日本におけるキリスト教 ⑦ 日本人とイスラエル人 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 ⑦ 日本人と聖書のイスラエル人」

 

これから、どうして日本での福音において天皇陛下と戦争のことが最も重要になるのかを「聖書」に基づいて最初から説明していきたいと思います。

 

まず、生まれも育ちも日本である日本人が、聖書を読んだ時に感じるのは「違う国のお話」ということです。

 

旧約聖書は「イスラエルの民とイスラエルの神」の話であり、新約聖書の冒頭には、アブラハムから始まる系図から始まります。

 

なぜアブラハムから始まるかと言えば、アブラハムがイスラエルの神に聞き従い旅立ったことから、ユダヤ人の歴史が始まった。

アブラハムは信仰の先祖、信仰の父と呼ばれています。アブラハムがわれわれの先祖であるということは、われわれは神に選ばれ神の召しを受けて、神と共に歩む信仰の民だということです。

 

 

ヨシュア記24:3「わたしは、あなた方の先祖アブラハムを川の向こうから連れ出して、カナンの全地を導き通り、その子孫を増やした。」

歴代誌上29:18「われわれの先祖アブラハム、イサク、イスラエルの神、主よ」

申命記6:10「あなたの神、主は、あなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに向かって」

 

 

新約聖書では、先祖アブラハムから始まるイスラエルの歴史を伝えることが最も重要になっています。

 

ステパノの宣教の福音もそうでした。

「そこでステパノは言った。『兄弟たち、父たちよ。聞いてください。私たちの父祖アブラハムが、カランに住む以前、」このように「信仰の父」である先祖アブラハムの話から話します。

 

パウロのアンテオケでの宣教の福音も「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れかしこむ方々、良く聞いてください。この民イスラエルの神は、私たちの先祖を選び、」と先祖の話から始まります。

 

パウロは続いて、「兄弟の方々、アブラハムの子孫の方々」と言ってから、神に選ばれた民への福音の核心を教えます。

「私たちは、神が先祖たちに対してなされた約束について、あなた方に良い知らせをしているのです。

神は、イエスをよみがえらせ、それによって、私たち子孫にその約束を果たされました。

詩編の第二篇に『あなたは、わたしの子。きょう、わたしがあなたを生んだ』と書いてあるとおりです。

 

神がイエスを死者の中からよみがえらせて、もはや朽ちることのない方とされたことについては、『わたしはダビデに約束した聖なる確かな祝福を、あなた方に与える。』というように言われていました。」

 

このように、イスラエルの民の先祖と歴史から宣教の福音を伝えることが最も重要でした。

 

 

イエスさまは、12弟子を遣わし、そのとき彼らにこう命じられました。

「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」

 

それは、イスラエルの民と、異邦人やサマリヤ人に対する宣教の福音方法がそれぞれあるからです。

 

その後、サマリヤにイエスさまが来られて、水をくみに来たサマリヤの女に「わたしに水を飲ませてください」と言われました。

そして「さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、『あの方は、私がしたこと全部を私に言った』と証言したその女の言葉によってイエスを信じた。」ヨハネ4:39というような宣教の福音でした。

 

 

ですから、「われわれの先祖は信仰の父アブラハムです」と信じるイスラエルの民に対しては、「御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」という宣教の福音が成り立ちます。

 

しかし、異邦人やサマリヤ人に対しては、そのような宣教の福音は成り立ちませんので、「神の怒り」や「永遠の火に入れ」「滅びか救いか」というような宣教の福音は一度も行われていません。

 

 

ですので、日本人には日本人に対する「宣教の福音」があるはずです。

それを「われわれは信仰の父アブラハムの子孫だ」と信じているイスラエルの民と同じ宣教の福音をしてしまえば、約99%の日本人がイエスさまを信じることが出来ないのは当然だと思いました。

 

もちろん、それで信じることができる人もいるのですが、日本では約0.02%ぐらいと言われています。

 

 

日本人は先祖を大切にする民族です。

 

新約聖書が教えるように、日本では、日本の先祖の歴史から宣教の福音を伝えることが最も重要になるでしょう。

 

そして、日本の歴史の中で現在も負えない大きすぎる十字架を背負わされているのが、「天皇陛下を神とする国家神道」が誕生して「大日本帝国憲法発布」が成されて、そこから次々に起こしていく「戦争」です。

 

その負えない大きすぎる十字架に対する「普遍的な神の愛と神のあわれみ」の宣教の福音が行われる時がなければ、いつまでも負えない大きすぎる十字架を背負わされたままになります。

なので、日本での宣教の福音の最も重要なことは、天皇陛下と戦争についてだと確信するようになりました。

 

つづく