日本におけるキリスト教 ⑥ 運命と摂理 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 ⑥ 運命と摂理」

 

今日、前橋市では気温が34℃を記録しました。将来的に気温はますます上がることを予測する人は多いです。

 

そして、個人的には天皇陛下の影響によって、日本における「普遍的な神の愛と神のあわれみのキリスト教」が異常なくらいに国民に親しまれるようになると推測しています。

 

もし、明治天皇から代々の天皇陛下が心の中ではイエス・キリストを信じていることが事実であり、公になされるとすれば「皇室神道のままのキリスト教」ということしか出来ないと思います。

 

 

もし、そのような事が現実に起きれば、何千万人という日本国民が、イエス・キリストに心を開き、受け入れる状態になると思われます。仏教徒のままでも、無神論のままでも、イエス・キリストを信じることが出来るのですから。

 

そして、これからは、その「皇室神道のままのキリスト教」は、聖書の教えにおいて正しいのかを見ていくことが、非常に重要になると思い、まとめているところです。

 

 

個人的に、日本におけるキリスト教の神学・聖書解釈・福音理解は、戦争という残酷非道な十字架を背負わされた者から生まれてきたものが最も重要になると確信しています。

 

日本の代表する名優の吉永小百合さんは戦後の年に生まれたので、戦争は体験されていないのですが、戦後何年という言い方が続いてほしい。と切願されていて、戦争のことを語り続ける仕事をされています。

 

そして、昨年の10月に、クリスチャンの戦没学徒の遺稿が復刊されました。それが、池田浩平著「運命と摂理 一戦没学徒の手記」です。

 

いちクリスチャンとして、戦争に参加することの絶望・苦しみ・嘆きの葛藤が赤裸々に綴られています。

 

本の帯にはこのように書かれています。

「兵となる日までの私は、飽くことなく戦争の理念を追求するであろう。

そして人間の歴史に、神が何を為し給おうとしているかを疑うであろう。

 

そうだ、現に今も私は疑っている。戦争そのものが大きな矛盾なのだから。

 

小さな矛盾が人生に悲劇を喚び起こしている現実は 当然とすべきであるかも知れない…」

 

 

池田浩平さんは、高知高校を卒業後、学徒兵として中部八十七部隊に入隊。翌年8月に出動命令により準備待機中に、部隊にパラチフスが発生する。看護にあたり感染して、9月に小倉陸軍病院にて戦病死されました。

 

 

本の初めに、内村鑑三とカール・バルトを世に伝える著書を出版している日本を愛するキリスト者の会の「富岡幸一郎」理事のメッセージが書かれています。

 

「昭和十九年九月に弱冠二十二歳で没したこの一人の青年の手記は、現代のグローバリズムの混迷と新たな戦争の時代の中にある日本人に、ある意味では、預言書のような役割を果たしてくれるだろう。

 

戦争末期の特攻作戦に参加し没した者たちも多い。本書の池田浩平もいうまでもなくこの世代の一員であるが、キリスト教徒としての自覚とアイデンティティを明確に貫き、その立場から一冊にまとまる文章を書き遺したのはめずらしい。」などと書かれています。

 

 

現代の高校生たちが、この戦争時代であれば、お国のために卒業後に部隊に入隊しています。

 

戦争では、赤痢、マラリア、パラチフスなどで戦病死した者は、戦死者よりも多かったりします。

 

新型コロナウイルスでクローズアップした感染症のパンデミックは、戦争する場所に必ず起きています。

そして、人間を殺すために出撃して、戦死すると、「お国のために立派に戦った」と親は我が子を栄誉に思うのです。

 

 

クリスチャンである池田浩平さんは、キリスト者の「キルケゴール」の著書に大きな感銘を受けていました。随所に出てきます。

 

キルケゴールの福音理解によって、おのれが直面している限界状況(死)を運命としてではなく、まさに神の摂理として、しっかりと受け止めようとしています。

 

キルケゴールを日本で最初に紹介したのが内村鑑三でした。

 

小原信氏の「キルケゴールと内村鑑三」という論文には、このように書かれています。

「まだヨーロッパでもそれほど知られていないキルケゴールの名を内村は、すでに明治三十九(1906)年六月にあげており、その後も彼を『余の同志』とか、『余の先導者』とも呼んで、キルケゴールを無教会主義の弁証のために意識的に自分に引きつけようとしたところがあった。」

 

 

内村鑑三も天皇陛下を神のように崇拝することは出来ないという「不敬事件」を起こしてから、非国民として多くの日本人が敵となりました。

 

激怒した人々が次々に家に押し寄せ、罵声罵倒を浴びせ、石を投げつけ、家に押し入って放尿しました。

 

教師の職も勝手に誰かが書いた辞職願を提出されて失いました。キリスト教会からも見捨てられ、四面楚歌の状況の中で、病いに倒れて生死をさまよいました。

 

その時に22歳だった新妻の加寿子さんが、必死に看病をしながら、抗議者の矢面に出されてしまい、憔悴したところへ流感にかかり、二か月後に病死してしまいます。

 

内村は病気から回復しましたが、その時のことを「無限地獄」だと語っています。

 

 

無限地獄を体験した内村鑑三と池田浩平さんの「福音理解」と「聖書解釈」は「神の愛は普遍的」ということで一致しています。

 

キルケゴールは、既成の教会の福音理解と聖書解釈を徹底的に批判していることも、内村鑑三先生と池田浩平さんの共感するところでした。

 

 

1965年の第二バチカン会議までのカトリックの教えは「教会の外に救いはない」という排他的なものでありました。

 

現在はマザーテレサや晴佐久神父のように「普遍的な神の愛」の福音が受け入れられています。

 

プロテスタント福音派の福音の中心は初めから現在も「御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネ3:36 神の義とは罪に対する怒りである。」という教えです。

 

池田浩平さんは、戦争の大きな矛盾の中で見出したのが、キルケゴールのこのような福音理解です。

 

「人間の戦きの前にも厳存する神の義とは何であるか。それは、愛であるがために、『汝が苦しむよりも多く苦しむ』ところの神の愛を指しての呼称である。

 

これ(神の義)、神よりの愛である。

 

実に神は、この世の罪と矛盾とを許しつつ、我らよりも以上に、そのことのために心を痛めているのである。

 

悪魔の活動を許した神。

神は上より、戦争などに於いて我らが悩む以上の悩みの中に呻吟(苦しくうめくこと)しているほどに思われる。

 

即ち、『神の義はまさに、その恐るべき厳格さに於いて、かかる事を許すのである。神は存在する。

 

『この世に於いて刑罰を受ける犯罪者罪人は、同時にまだ救われうる。永遠へ救われうる。』のである。

 

このポイントを逸している時代の教会こそは、正に呪われるべきである。

キルケゴールの教会批判もまた、ここに至って、極まるのである。」

 

 

そして、池田浩平さんも内村鑑三先生と同じく、聖書のみではありません。

キルケゴールの「死に至る病」からの福音理解が多いです。

 

また、ドストエフスキーの福音理解から

「俺たちをあわれむものはすべての人をあわれんでくださる神さまだ。たった一人しかない神さまだ。

さあ、こっちへ来るがいい!俺はもう一度お前を赦してやったのだ。一度赦してやったのだ。

今はもうお前の多くの罪は、すっかり消え失せているのだ。なぜって、お前は多くの者を愛したからだ」

 

 

戦争という過酷すぎる無限地獄に生きた池田浩平さんも内村鑑三先生と同じく「万人救済」の福音理解でした。

 

お国のために戦地へ行き、人間を殺し、自分の命を捨てていくという「大罪」が大罪ではなく「栄誉」だった時代、

神さまは理解してくださり、あわれんでくださる。赦してくださる。神の義も神の愛なんだという福音理解です。

 

つづく