「日本におけるキリスト教 ⑤ 日本人の心」
新型コロナウイルスによって未曾有の不安に襲われている時に、世界に誇る日本の心を伝えている3大名著がクローズアップされていました。3大のうち、1つは内村鑑三の「代表的日本人」で、もう1つは新渡戸稲造の「武士道」です。
浦和神経サナトリウムの菊池章院長は院長ブログの中で、新渡戸稲造は現在でいえば「反復性うつ病性障害」、内村鑑三は新渡戸より深刻な要素があり、精神的には微妙、彼らの精神状態が平常ならばあの名著は生まれなかったような気がする。と言っていました。
さらに、内村の代表的日本人に紹介されている5人のうち、二宮尊徳はうつ病になり、西郷隆盛は投身自殺を図っていることも述べています。
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個人的には前の記事で紹介した「宮中クリスチャンコンビ」の「新渡戸稲造&内村鑑三の門下生」が日本の福音宣教に最も必要だったと思っていますので、うつ病を患ったり精神状態が平常ではなくても、神さまは大きく用いられると確信しています。
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そして、無教会の内村鑑三先生とフレンド派の新渡戸稲造先生の一致している教えは、クリスチャンと未信者を区別していないことであり、それゆえ、未信者をも聖書の教えに通じる天の声を聞いているという信仰です。
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個人的にも、前回記事で言いましたが、上皇さまと美智子さまはクリスチャンのように思っています。
美智子さまの祖母「正田きぬ」さんは、カトリックのフロジャック神父から洗礼を受けています。美智子さま自身もカトリックの聖心女子学院で中学・高校時代を過ごされ、聖心女子大学を卒業されています。
昭和天皇と香淳皇后は、フロジャック神父と交流があり、「昭和天皇実録」にフロジャック神父と聖園テレジアの名がしばしば出てきます。
フロジャック神父は昭和天皇から託された親書をローマ・カトリック法王ピウス十二世に渡しています。
ローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書 バチカンに保管
戦後、日本が主権を回復した1952年にローマ教皇と昭和天皇が交わした複数の親書がバチカンに保管されていることが分かりました。
教皇が日本の主権回復を祝ったのに対して、昭和天皇が感謝の意を示した内容などが含まれていて、国際政治史に詳しい専門家は、戦後の両国の関係を研究するうえで貴重な史料だとしています。
保管されていたのは、1952年にローマ教皇のピウス12世と昭和天皇が交わした複数の親書で、国際政治史が専門の日本大学の松本佐保教授が、ローマ教皇庁があるバチカンの使徒文書館でおととし公開された機密文書を調査して確認しました。
このうち、1952年10月にピウス12世が昭和天皇に宛てた親書では、この年の4月にサンフランシスコ平和条約が発効して日本が主権を回復したことや、当時、皇太子の上皇さまの成年式などが行われることを祝うことばが記されています。
これに対する昭和天皇の親書には、「祝意に対し、わが皇室並びに日本国民の深厚な感謝の意を表します」などと記されています。
「昭和天皇実録」によりますと、昭和天皇は太平洋戦争が始まる2か月前の1941年10月に、「戦争終結の手段を最初から十分に考究する必要があり、そのためにはローマ教皇庁と親善関係を樹立する必要がある」などと述べたとされています。
松本教授は、「昭和天皇とローマ教皇が終戦後にやり取りをしていたことは歴史的な経緯から推測されてはいたが、実際にそれが確認できる史料が見つかったことは、戦後の両国の関係を研究するうえで意義が大きい」と話しています。
松本教授は12日、都内で開かれる日本とバチカンをテーマにしたシンポジウムで、これらの親書について発表することにしています。
さらに2019年には、カトリック教会のフランシスコ教皇が来日されて、皇居で天皇陛下と会見されましたが、全世界が絶賛しています。
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BS朝日のスペシャル番組「皇室スペシャル 上皇さまと美智子さま 永遠のメッセージ」では、日本を代表する名優の「吉永小百合」さんがナレーターに抜擢されています。
吉永小百合さんは、上皇さまと美智子さまを ”希望の光” と感じてこられ、一つ一つの言葉に万感の思いを込めてナレーション収録をされました。
最期に「お二人は心の羅針盤」という語りは、日本に生きている人たち、みんなの思いじゃないかしらと考えて語られたそうです。
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そして、吉永小百合さんの言葉の数々を聞いていると、日本人の心を教わるようです。「戦後何年という言い方が、ずっと続いてほしい。」という言葉に、日本の福音宣教にとって最も重要なことに気づかされました。
それは、内村鑑三先生が言われている聖書の教えに通じる天の声を感じるものでした。
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例えば、「聖書のみ」という信仰、聖書に書かれていることだけでいえば、「ローマ」はイスラエルを含めた多くの国を支配して、クリスチャンたちを迫害する悪です。
ローマ帝国は、太陽神を最高神として仕えた多神教国家です。皇帝にも礼拝する宗派が流行していたそうです。
皇帝ネロはローマ市の大火の放火罪をキリスト教徒に背負わせて、次々と捕らえました。「放火罪というよりも、むしろ人類憎悪のゆえ」に罰せられたそうです。
その処刑はあまりにも惨かったのです。
へブル書11章36~39に詳しく書かれています。ムチで打たれ、のこぎりでひかれ、剣で切り殺されました。
ローマ皇帝に迫害されている時期に書かれたヨハネの黙示録では、ローマ皇帝たちを獣や竜と比喩して書かれていると言われています。
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しかし、現在のローマはローマ・カトリックです。神の栄光が現わされているのです。聖書で書かれている事とはひっくり返っているのです。
その事は聖書には書かれていません。
同じく聖書には、偶像が満ちている「アテネ」は、ギリシャの中でも福音宣教が失敗に終わっています。
しかし、現在の「アテネ」は、ギリシャ正教会の大主教座を置かれているキリスト教の中心地です。
聖書に書かれている事とは、ひっくり返っているのです。
その事は聖書には書かれていません。
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吉永小百合さんと上皇さまと美智子さまの話を聞いていると、クリスチャンとしては日本に福音宣教への希望の光が与えられました。
日本に対することは聖書には書かれていません。
イスラエルでいえば旧約聖書にあたるのが、日本の古事記になります。
古事記&日本書紀の教えは、聖書によく似た話がいくつもあるそうです。
三柱の神は独りであって、人の目には見えない。など
古事記を日本語ではなくヘブライ語として読めば、聖書が教えていることになると指摘する人たちもいます。「アナニヤシ」=「アナニヤシエ われに応えませり救いに神は」
日本国歌の「君が代」は現代の意味にすればこうなります。
「我が君は 千代に八千代に 細かい石が大きな岩となり こけが生えるまで」
どうして、こんな歌詞が国歌になるのでしょう。何度か変えようと代わりの国歌が検討されたそうですが、不思議と変えられずにいるのです。
ところが、ヘブライ語として解釈すると意味はこうなります。
「立ち上がり神をたたえよ シオンの民 神の選民 喜べ残された民よ 救われよ 神の預言は成就した 全地に語れ」
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松下政経塾の論考の中に「日本の伝統精神~神道と天皇~」があります。冒頭にこう言っています。
「西暦2011年は、皇紀二千六百七十一年である。日本には万世一系の天皇陛下がおられ、神道がある。
国民の祝日は今上天皇、明治天皇、昭和天皇の御生誕が制定されている。現在の日本において、神道や天皇という日本固有の伝統や文化はしっかりと息づいている。」
そして、ここにも内村鑑三の名前が出てきます。
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ローマ帝国は、太陽神を最高神として仕えた多神教国家で、皇帝が治めていました。
聖書には書かれていませんが、それがひっくり返り、神の栄光が現わされるローマ・カトリック教会となりました。
それゆえ、カトリック教会は聖母マリア、聖人を敬愛することが取り入れられたのは必然であったという見解があります。
また、カトリック教会が聖母マリア様へのとりなし、聖人を敬愛する信仰があるゆえに、昭和天皇はカトリック教会に救いを求めてきたという見解もあります。
ローマ法王は天皇制などにも普遍的な神の愛で受け入れてくださるからです。
プロテスタントではあり得ません。驚いたのがプロテスタントのリベラルやエキュメニカル派でも共産党と共に「反天皇」の声を発信していると聞いたことです。
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数々の著書がいくつもの賞を受賞している原武史教授は、次のように語っています。
「昭和天皇のキリスト教への接近は、何よりも、神道に対する反省の念が動機となっていたように思われます。
教祖もいなければ経典も存在しない神道は、いわば『宗教としての資格』を欠いていると、おそらく天皇は考えたのでしょう。
そのようなエセ宗教に国家の浮沈をかけたがゆえに、日本の破局を招いてしまった。
だからこそ、きちんとした教義や神学があるキリスト教から、天皇は改めて真の『祈り』というものを学ぼうとしたのではないでしょうか。
そしてそのことによって、自らが宮中で行なう『平和の祈り』を、単なる形式から文字どおりの『信仰』の域にまで高めようとしたのかもしれません。
明治になってからも、皇后や女官の多くは仏教を捨てませんでした。明治天皇の皇后美子さまは日蓮宗の熱心な信者であり、『国家神道』体制の時代にすら法華経信仰を捨てることはなく。
大正天皇が死去した時には、貞明皇后の発案で『南無妙法蓮華経』と書かれた紙を多数つくり、柩に収めたという証言があります。
そのような歴史に鑑みれば、明治以降につくられた神道にことさら固執する必然性を、昭和天皇は感じていなかったはずです。
出家した天皇が奈良時代から江戸時代まで連綿と存在したということは、天皇が神道を捨ててキリスト教に改宗したとしても、とくに奇異なふるまいではないことになります。
かりに昭和天皇がカトリックに改宗しても問題はないはずです。改宗は天皇制を否定することとイコールではないのです。
1948年6月には、来日したフランシス・ジョセフ・スペルマン枢機卿が天皇と会見しています。この会見は天皇がカトリックに改宗する準備ではないかとの憶測まで呼びました。」
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1946年5月1日、戦後初のメーデーが行われました。
約50万人という空前の人数の人々が宮城前広場に集結しました。
当時の徳田球一日本共産党書記長が声高らかに「天皇を打倒しろ!」と叫ぶと、約50万人の群衆がそれに応えて長い歓呼が起きたと言います。
「戦争責任」という負えない十字架を背負わされ、日本で最も憎んでいる人も多いのが天皇と皇室だと言えるでしょう。
約3%は嫌っているとすれば、約400万人にもなります。
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しかし、日本で最も尊敬されているのも天皇と皇室であります。
約35%は尊敬していて、約36%は好意を持っています。
吉永小百合さんは美智子さまへの思いはひとしおで、「美智子さまの後ろを歩いていきたいほど、いつも憧れている方です。」と言われています。
そこには「普遍的な愛情と平和」があります。
そこには聖書には書かれていないのですが、聖書の教えに通じる神の御心があふれているのです。
そして、戦争責任という十字架はイエスさまが背負われていることを日本は知るでしょう。
それから、日本は普遍的な神の愛とあわれみの教えが満ち溢れるでしょう。
神のあわれみは尽きないからです。
うつ病だった新渡戸稲造先生と内村鑑三先生の教えが、宮中クリスチャンコンビを通して、天皇と皇室の心の支えとなりました。
神はあらかじめ「あわれみの器」を用意されています。この「あらかじめ」というのは、世界の基の置かれる前からという意味だそうです。
ですから、クリスチャンと未信者の区別はありません。
また、人の心は神さましかわからないので、未信者と決めるのは無理があります。
「あわれみの器」の言動や行動によって、聖書には書かれていなくても、日本はローマやアテネのように、神の栄光が現わされる国へと変えられることを知るのです。