地獄行きの教え 日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ⑦ | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本では宗教に対する恐怖が広がっていることについて ⑦」

 

今年の7月から注目されている旧統一教会問題では、2009年に旧統一教会の信者が逮捕された事件が取り上げられています。

 

それは、信者が「あなたの先祖が地獄で苦しんでいる」と不安をあおり、高額の印鑑を売りつける手口の被害でした。

 

自分や自分の愛する人たちは死後、どこに行くのか?

 

「地獄へ行って苦しんでいる」と教えられたら、その苦しみを取り除ける方法があるのなら、出来る限りのことをしてあげたいと思うのが、人がもっている愛であり、善良な資質でしょう。

 

この度、日本の多くの人々は、その人がもつ愛・善良な資質につけこんだ悪質な教えは「あなたが愛する人は死んで、地獄で苦しんでいる」という教えだということも認識しました。

 

私の母親や周りの人たちも「大切な先祖たちが、地獄へ行って苦しんでいるって脅して、なんて悪い宗教や!」と言って激怒していました。

 

 

その時、旧統一教会ではないのですが、自分も「すべての人間は地獄へ行く」という教えの宗教(プロテスタント福音派の教会)に長年通っていたので、超恥ずかしかったです。穴があったら入りたい気持ちでした。

 

 

今年、クリスチャン精神科医の工藤信夫先生の著書「これからのキリスト教」を読んで、多くのプロテスタント福音派の教会のクリスチャンたちが病んでいることを知りました。

 

また、その著書の中で、福音派ではないのですが、同じプロテスタントの「日本基督教団」のクリスチャンたちの実態も知りました。

 

工藤先生が個人的に親しくしている引退牧師がある教会の伝道礼拝で語られたことは非常にショッキングな内容でした。以下の通りです。

 

「私どもの教団の信徒20万人のうちの半分の10万人はすでに信仰を失っており、教会に残っている10万人の半数5万人は教会に魅力を感じなくなっていると言えます。

 

統計によれば、この割合は13年間まったく変わっていないのです。

 

いずれにしても信徒総数20万人の4分の3、つまり15万人は礼拝に出席していないということになります。」

 

これはプロテスタント日本基督教団のことなので、日本基督教団の教えはどのような教えかを知りたいと思いました。

 

 

そこで、日本基督教団の牧師の中で、最も有名な一人「佐古純一郎名誉牧師」の著書が最適だと思いました。

 

佐古名誉牧師は、NHKの放送番組「こころの時代」において「新約聖書を語る」というテーマで全国の人々に一年間も教えていたからです。

 

その「新約聖書を語る」が著書として、NHKライブラリーから出版されていたのを中古で入手しました。

 

NHKテレビを通して、全国の人々に教えられた「キリスト教」の教えはどのようなものか、日本基督教団は福音派と違い、エキュメニカル派、リベラルと言われていますし、佐古純一郎名誉牧師はその中でも穏健派のようです。

 

それで、かなり期待して読みました。

 

 

佐古牧師はまず旧約聖書の律法と義について教え始めています。

そして、次のように教えています。

 

「神の愛」の一番大事な点は、神はお創りくださった私たちが一人も滅びないように願っていてくださるということです。

 

「滅び」というのは、私たちの感覚では、地獄に行くこと、と考えていいと思います。

 

「ローマの信徒への手紙」七章でパウロは、「私はなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれが私を救ってくれるでしょうか」と、

 

この「死に定められた体」は「地獄行き」と言い換えてほとんど違わないと思います。

 

旧い契約としての律法だけを厳格に要求したのでは、もはや滅びを免れることはできない人間、

 

神の側から言えば、「死に定められた体(地獄行き)」としか言いようのない人間が、一人だって滅びないようにというのが、(人間を)お創りくださった神の愛の御心なのです。

 

「イエス・キリストの福音」ということは、イエス・キリストによって罪が赦され、永遠の命を得ることが出来るようになるという、まことに喜ばしいおとずれのことだといってよいのです。

 

 

世の中でも大きく用いられるプロテスタント日本基督教団の佐古純一郎名誉牧師が教えていることは、プロテスタント福音派の教会の牧師たちが教えていることと全く同じでした。

 

神の側から言えば、地獄行きとしかいいようがない罪人である人間を、一人でも滅びないようにというのが神の愛の御心であり、

 

そのために、すべての人の罪を背負われて、十字架にかかり死んでくださったイエス・キリストを信じれば永遠の命を得ることができるようにしてくださった。

 

けれど、生前にイエス・キリストを信じなければ、生まれながら地獄行きと定められている人間は、そのまま地獄へ行くというのが、「イエス・キリストの福音」です。

 

 

さて、クリスチャンは人口の約1%弱しかいない、約99%はノンクリスチャン(未信者)という統計がある日本で、このような「イエス・キリストの福音」を聞けば、

 

キリスト教は、非常に恐ろしい宗教だと思う人が圧倒的に多いです。

 

なぜなら、自分も愛する人たちもノンクリスチャン(未信者)であり、先に亡くなった愛する人たちもノンクリスチャン(未信者)だという人が圧倒的に多いからです。

 

しかも「人間を地獄行きに定めている」という教えも、「そんな神など本当の神ではない。」

「そんな神など到底に信じることが出来ない。」と思う人は多く。

 

「まるで、イエス・キリストは地獄の大王」「イエス・キリストが悪魔のようだ」と思う人も少なくありません。

 

 

さて、そのような「イエス・キリストの福音」が正しければ、新約聖書には、イエス・キリストを信じない人は地獄へ行くという教えが何度も教えていなければなりません。

 

ところがぎっちょんちょん、そんな教えはどこにも書かれていないのです。

 

しかもイエスさまは、イエスにつき従って来た群衆、12弟子たちだけに、神を信じていると自認している律法学者やパリサイ人たちに教えています。

 

マタイ4:25~5:30、マタイ13:36~42、マタイ18:1~9、マタイ23:33,マルコ9:33~48、を確認すれば明らかです。

 

ルカ17:14~31を読めば、金持ちとラザロの死んだ金持ちが死後にもがき苦しんでいるというたとえ話は、イエスをあざ笑っていた金の好きなパリサイ人に教えています。

 

 

また、ルカ12:4~5には、イエスさまは、このように教えられました。

 

「そこで、わたしの友であるあなた方に言います。体を殺しても、あとはそれ以上何もできない人間たちを恐れてはいけません。

恐れなければならない方を、あなた方に教えてあげましょう。

 

殺した後で、ゲヘナ(火の池)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。

そうです。あなた方に言います。この方を恐れなさい。」

 

ここで、イエスさまは、友であるあなた方に「ゲヘナ(火の池)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい」と言われました。

 

「わたしを信じていない人に言います」ではないのです。

 

そして、続きを読めば、その理由がわかります。

 

「たとい、人の子をそしる言葉を使う者があっても、赦されます。

しかし、聖霊をけがす者は赦されません。ルカ12:10」

 

つまり、ルカ12:4~10を続けて読めば、イエスさまの友の中に「聖霊をけがす者」がいて、その者は赦されることがないのです。

 

なので、殺した後で、ゲヘナ(火の池)に投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさいという厳しい警告を伝える必要があったことがわかります。

 

 

使徒ヨハネは、③で書きましたが、ヨハネ第一の手紙の中で、悪魔から出た者と神から出た者とを区別して、悪魔から出た者は、私たちの中から出て行きました。と教えています。

 

「罪のうちを歩む者は、悪魔から出た者です。悪魔は初めから罪を犯しているからです。第一ヨハネ3:8」

 

この使徒ヨハネの教えによって、イエスさまがどうして、地獄へ行く警告を、イエスにつき従って来た群衆や12弟子、パリサイ人と律法学者たちに教えられたかが理解できます。

 

「悪魔から出た者」と「神から出た者」を区別することによって、地獄行きの教えが明確にわかります。

 

 

「このことに驚いてはなりません。墓の中にいる者がみな、子の声を聞いて出て来る時が来ます。

善を行なった者は、よみがえって命を受け、悪を行なった者は、よみがえってさばきを受けるのです。ヨハネ5:28~29」

 

「のろわれた者ども、わたしから離れて、悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に入れ、

 

お前たちは、わたしが空腹であった時、食べる物をくれず、渇いていた時にも飲ませず、わたしが旅人であった時にも泊まらせず、裸であった時にも着る物をくれず、病気の時にも訪ねてくれなかった。

 

まことに、お前たちに告げます。お前たちが、この最も小さい者たちの一人にしなかったのは、わたしにしなかったのです。

こうして、この人たちは永遠の刑罰に入った。マタイ25:41~46」

 

イエスさまが教える地獄へ行く者たちは、悪を行なった者であり、どのような悪の行ないかといえば、最も小さい者たちの一人が助けが必要な時に、何もしなかった者たちです。

 

つまり、ヨハネの手紙で教えているように、神から出た者は、兄弟を愛して、善を行ないます。

 

けれど、悪魔から出た者は、兄弟を憎み、悪を行ないます。

当然に、最も小さい者たちの一人が助けを求めても見捨てます。

 

そして、聖霊を汚すのです。

 

それゆえ、クリスチャンたちの中にいる悪魔から出た者たちが地獄へ行くことがないように、イエスさまは何度も警告される必要があったのです。

 

 

それから、イエスさまは、悪魔から出た者たちは、父である悪魔の欲望を成し遂げようとすると言われました。

 

悪魔の究極の欲望は、イエス・キリストに成り代わることです。

その事について、イエスさまはこのように忠告されています。

 

「あの荒らす憎むべき者が、聖なる所に立つのを見たなら、その時はユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。

 

その時、「そら、キリストがここにいる。」とか、「そこにいる」とか言う者があっても信じてはいけません。

 

にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。」

 

 

悪魔の計画は、聖なる所に立ち、にせイエス・キリスト、にせ預言者たちを出現させて、にせイエス・キリストをすべての民に「本当の神」だと信じさせることです。

 

そのために、悪魔の手下どもは、イエス・キリストを本当の神だと信じさせないように全力を注ぎます。

 

その手口は、「キリスト教会」の中に入り込んだ義のしもべに変装した悪魔の手下どもが、偽りの教えで惑わすのです。

 

その偽りの教えを聞いた人々が「こんな教えをするイエス・キリストなど信じない」

 

「こんな教えのイエス・キリストは本当の神ではない」

 

「こんな教えをするイエス・キリストは、悪魔だ」と思わすことができれば成功です。

 

そして、世の終わりには、にせキリストとにせ預言者たちが、聖なる所に出現して、大きなしるしや不思議なことをして見せるのです。

 

これこそが、本当の神だ!と思わせるのです。

 

それゆえに、イエスさまは「悪魔とその悪魔の使い(手下)どもは、用意された永遠の火に入れ!」と言われているのでしょう。

 

 

ですから、聖書を読めば、イエス・キリストに対して恐れることはありませんし、地獄を教える聖書箇所も怖いとは思いません。

 

ところが、悪魔から出た者たち、悪魔の手下どもは、聖書を読めば、地獄行きを恐れ、地獄へ投げ込む権威を持っておられる方(イエス・キリスト)を非常に恐れるでしょう。

 

なので、悪魔の手下どもは、聖書の教えをすり替える必要があります。

 

悪魔の手下どもが地獄行きではなく、他の者たちが地獄へ行くというようにすり替えて教えるのです。

 

 

だけど、神に造られた人間たちにとって、イエス・キリストは、このような神さまです。

 

すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなた方を休ませてあげます。

 

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた方もわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。

そうすれば魂に安らぎが来ます。

 

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。(マタイ11:28~29)で教えられている通りなのです。

 

そして、そのような教えから育まれる「愛」は隣人に対して害を与えることは決してありません。