福音派と無教会の決定的な違い ➉ 愛する人の死について | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「福音派と無教会の決定的な違い ➉ 愛する人の死について」

 

今年は6月に群馬で40℃超えを記録して、あっという間に梅雨が明けて、異常すぎる気象の幕開けとなった感じがします。

この連日の暑さ(35℃超え)で、疲れと重荷を負うようです。

 

聖書はこのように教えます。

「すべて疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。

わたしがあなた方を休ませてあげます。

 

わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた方もわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。

そうすれば魂に安らぎが来ます。

 

わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。マタイ11:28~30」

 

 

人が、最も生きていることに疲れ果て、生きていることに重荷を負うことは、愛する人を失なうことだと思います。

 

そのような疲れ果て、重荷を負った時に、休ませてくださる心優しい神さまが本当の神さまだと信じています。

 

 

無教会の矢内原忠雄先生は、内村鑑三先生とクエーカー教徒の新渡戸稲造先生が恩師です。

 

「新渡戸稲造の紹介で、内村鑑三のもとで聖書を学ぶに至った者は少なくはない。」と愛農学園高校の「佐藤全弘」理事長は言われます。

 

「新渡戸稲造」先生は、日本人のクエーカー観としてクエーカー教徒の信仰を「Retroactive Grace」と言い現わしました。

佐藤理事長は、この意味を「神の恵みは、さかのぼって働く」と訳されました。

 

クエーカーの教えとして、まさにキリストによって示された「神の恵み」は、人類史の初めにまでさかのぼって働き、すべてのありとあらゆる人を救うことをハッキリと示すためでした。

 

つまり、無教会の内村鑑三先生とクエーカーの新渡戸稲造先生は、神の恵みは、すべての人を救うことで一致しています。

 

ちなみに、令和6年からの新五千円紙幣の顔に抜擢された、日本初の女子留学生で教育者の「津田梅子」先生も、新渡戸稲造先生の弟子です。

 

その「すべての人を救われるイエス・キリスト」の教えは、人口の約1%弱がクリスチャンという状況の「日本」では、愛する人がイエス・キリストを信じることなく亡くなってしまう場合が圧倒的に多いので、将来に希望と平安が与えられて、休むことができます。

 

愛する人を失なうことについて、いつもハリウッド映画スターの「ジェームス・ディーン」を思い出します。

 

熱心なジェームス・ディーンの信者の小森和子さんが徹底的に調査された著書からピックアップして伝えます。

 

ジミー(ジェームス・ディーン)のお母さんは福音派のクリスチャンでしたが、クエーカー教徒の歯科医と結婚されてから、夫と同じクエーカー教徒に改宗されました。(クエーカーはキリスト教のクエーカー派、フレンド派とも言います)

 

ジミーは母親によって幼い人生のあらゆる楽しさを知り、神の存在をも信じるようになりました。

 

けれど、ジミーが8歳の時、最愛の母親が末期がんで天国に召されます。

それまで明るく人懐っこいジミーは、まるで別人のようになり、無口で影を宿すようになったのです。

 

軍隊の歯科医だった父親は、ジミーを育てることは難しいので、男の子がいなかった妹夫妻と相談の上に預けることにしました。

妹夫妻はジミーを我が子同然のように可愛がりました。

 

しかし4年生になったある日、算数の勉強中に、急に机につっぷして泣き出して、心配する先生に「ママに会いたいんだ!僕のママはいったいどこにいるんだろう」と泣き叫びました。

 

そして、どこかへ姿をくらまし、学校中を大騒ぎさせたこともありました。

 

 

ジミーが14歳になった時、妹夫妻に待望の男の赤ちゃんが生まれます。

家中の注目がこの赤ちゃんの上に集中され、ジミーはしばしば無視されるようになりました。

 

ジミーは妹夫妻を愛していましたが、愛していたからこそ、反抗的になりました。

 

その後、妹夫妻の元から離れ、ハリウッドに行ってから、親友にもらした言葉です。

 

「僕がどんな悪いことをしたからって母なし子にされたんだろう。

僕よりもずっといやな奴やいやなことをしているヤツでさえ母親があり、両親があり、みなそれぞれ一緒に楽しく暮らしているのに、

僕には兄弟姉妹もなく、一人の父も遠い存在だ。

 

たった一人の僕自身の母親を僕のそばにおいてほしいと願うのが、神にとって僕には過ぎた欲望なのだろうか。

僕にはわからない。神の心とやらが、第一、神の存在すらも僕にはわからないよ。」

 

 

ハリウッドに行って、ますます心が飢え渇いたジミーは、このような言葉を吐き捨てたという証言がありました。

 

「僕は、僕を愛してくれる人には人一倍反抗してみたり、つらく当たってみたくなるのさ。

だって、もし僕を本当に愛していてくれるなら、僕がどんなに憎たらしい最悪の状態の時でも愛してくれるはずだもんね。」

 

しかしながら、そのような屈折した反抗者ジミーを受けとめてくれる人は誰もいませんでした。

 

 

ところが、人嫌いとなったジミーは、アメリカ中西部一円に「今世紀に神のつかわし給うた使徒」とまで言われた「ジェームス・デウィーヤド」司祭と出会って、人生が一変します。

 

デウィーヤド司祭の見るからに偉大な包容力を感じさせるオーラに、ジミーは惹かれたように、デウィーヤド司祭の家を訪ねるようになりました。

 

デウィーヤド司祭は歓迎し、チャイコフスキーの音楽を聴きながら、詩や哲学について語る晩餐。それはジミーにとって詩の世界そのものでした。

 

デウィーヤド司祭がメキシコで撮影してきた闘牛の実録映画を見たり、大自動車レースも見物しました。

 

「お前にとってこの世で最も意識のある生き方は演劇の道なのだ。それを通じてお前の個性を、苦しみを、心の叫びを表すのだ」と俳優の道を進むことを決心させました。

 

そして、キリスト教の教えではこのように教えました。

「私はジミーに、人間の偉大な個性は不滅であることを教えた。また、ジミーは絶対に死を恐れていなかった。」

 

 

ジェームス・ディーンは、8歳の時に、最愛の母親を失ってから、屈折して反抗します。

疲れ果てているのだけれど、無理に重荷を背負い続けます。

 

ところが、デウィーヤド司祭との出会いによって、少しは安らぐことができて、重荷をおろすことができたようです。

 

そして、人間の偉大な個性は不滅だということを学び、最も意識のある生き方である俳優の仕事が与えられて、全身全霊でやり遂げました。

 

 

「神は言われた。我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。創世記1:26」

 

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。創世記1:27」

 

神にかたどって、神に似せて作られた人間。

人間の偉大な個性は不滅なのです。

 

愛する人を失って疲れ果て、重荷を負う人たちが、その出会いを通して、安らぎを得て、重荷をおろすことができることを、神さまは望まれているのです。

 

私自身も、無教会の内村鑑三先生、クエーカーの新渡戸稲造先生、デウィーヤド司祭たちが教えていることと出会うことによって、「愛する人の死」という重荷をおろすことが出来ました。

 

また、キリストの十字架上の死と復活による「神の恵み」は、人類史の初めにまでさかのぼって働き、すべてのありとあらゆる人を救おうとされていることを信じる者になりました。