1.17…忘れてはいけない日(26年) | トルベール音楽院

トルベール音楽院

トルベール音楽院のブログです。残念なことに一昨年3月末日を持ちまして40年の歴史に幕を降ろしました。このブログは「トルベールの仲間」として残そうと思っています。ここを卒業した人たちのその後をお伝えしていこうと思います。

こんにちはビックリマークトルベール音楽院の古賀(和)ですニコニコ

 
阪神大震災から26年が経ちました…
そして、今は緊急事態宣言が出されたコロナ禍。
 
毎年西宮市奥畑にある震災慰霊碑を訪れますが、昨日も行きました。
そこには西宮市内で亡くなられた方々のお名前が刻まれています。
1,086名もの犠牲になられた方々…
その中にうちのご近所に住んでいらっしゃった方など10数人の親しい方々のお名前も。
そして、当時私の友人であったご夫婦のお名前もあります。
 
慰霊碑の前にはたくさんのお花やお供え物が👆
 
いつもでしたら写真は撮りませんが、昨日は緊急事態宣言下ということもあり、記帳所もなく(市の職員の方が白いカーネーションを用意してくださっていましたが)なんとなく人も少なく感じました。
 
亡き友人の好きだった黄色いフリージアの花束をいつも持っていきます。
 
こんな風にメッセージを付けて👆
 
彼女のお墓は一緒に亡くなられたご主人の田舎、三重県にありますが、ちょっと遠いのでいつも慰霊碑に行って語り掛けます。
 
1歳年上の彼女はその時のまま思い出に残っています。
こんなコロナで大変な世の中をどんな風に感じているか、聞いてみたかったです。
 
音楽の好きな体育教師でした。
とても地震なんかに負けない頑丈な体を持っていました。
なのに…
 
あの日あの時間…26年前の1月17日午前5:46…
忘れもしないあの激しい揺れ…
怖くて体が動かなくなりました。
余震が何度も続き、揺れるたびに身体が硬直しました。
 
我が家は西宮北口の駅に近い場所にありました。
周りは古い家屋ばかりでしたので、ほとんど押しつぶされたようになっていました。
1階にお年寄りの方々が寝ていらっしゃったお家が多く、押しつぶされたお家の下敷きになり、命を落としてしまったのです。
不本意な亡くなり方。
本当に悔しかったはずです。
自衛隊の出動がもう少し早ければ救えた命がもっとあったと思います。
後の東日本大震災の時はその教訓が生かされたようでした。
 
当時、ライフラインも途絶え、不自由な生活を強いられてしまい、避難所になっていた小学校の体育館もおろおろしている間にいっぱいになり、近所の人たちと大丈夫だったうちの教室の2階に何日か避難しました。
 
比較的早く大阪~西宮北口間の阪急電車が復旧したため、会社の人々が大阪から毛布や水を運んできてくれました。
とてもありがたかったです。
それと同時に少しの距離の違いで被害の差が大きいことにも気が付きました。
 
その時の大変さは今でも忘れることがありません。
そして、不本意にも犠牲となったたくさんの大切な命…
 
当時西宮市立高木小学校6年だった息子の同級生にも2人犠牲になったお子さんがいました。
今も小学校の校庭に「復興の鐘」と名付けられたモニュメントに犠牲となった5人の児童の方々の名前が刻まれています。
今年はコロナ禍と日曜日ということもあり、15日(金)に学校のそれぞれの教室でリモートによる集会となったようでした。
 
震災であんなに苦しく辛い日々を送った私たち…
そして、今はまた違った苦しみを与えられている私たち…
 
人間が生きていく上で何度も困難が押し寄せてくることに私たちは立ち向かい、負けないで頑張らねばなりません。
今まさにそれを天から与えられているように思います。
 
あの時の苦しさを忘れず、きっとトンネルの先には明るい光が見えてくることを信じてみんなで支えあって頑張ろうと強く思いました。
 
カール・オルフ作曲、「カルミナ・ブラーナ」をぜひ聴いてみてください。
土臭い曲ですが、お腹の底から力が湧いてきます。
 
緊急事態宣言が来月まで出されていますが、果たして…
ひとりひとりが意識して気を引き締めて生活していかなければ!と思います。
昨日慰霊碑で亡き友人とそんな話をしてきました。
 
教室での感染対策、さらに気を引き締めてやっていきます!!!