平安時代に、千年の時を超えるベストセラー『源氏物語』を書き上げた女性、紫式部を主人公とした【NHK】大河ドラマ「光る君へ」が放送されています。僕は毎週、録画して欠かさず観ています。『源氏物語』が好きなんですよー。
今日は『源氏物語』について少し呟きたいと思います。源氏物語は過去に何度も映像化されています。僕が観たものは…
映画では
◎『源氏物語』(1951年)
監督:吉村公三郎、脚本:新藤兼人、主演:長谷川一夫
◎『源氏物語 浮舟』(1957年)
監督:衣笠貞之助、原作:北条秀司、脚色:八尋不二・衣笠貞之助、出演:長谷川一夫、市川雷蔵、山本富士子
◎『新源氏物語』(1961年)監督:森一生、原作:川口松太郎、脚本:八尋不二、主演:市川雷蔵、寿美花代
◎『源氏物語』(1966年)監督・脚本:武智鉄二、主演:花ノ本寿
◎『千年の恋 ひかる源氏物語』(2001年)監督:堀川とんこう、脚本:早坂暁、主演:天海祐希
◎『源氏物語 千年の謎』(2011年)原作:高山由紀子、監督:鶴橋康夫、主演:生田斗真
TVドラマでは
◎『源氏物語』(1980年)TBS、脚本:向田邦子、演出:久世光彦、主演:沢田研二
◎『源氏物語 上の巻・下の巻』 (1992年)、TBS、脚本:橋田壽賀子、主演:東山紀之、片岡孝夫
◎『映像詩 源氏物語 あさきゆめみし 〜Lived In A Dream〜』(2000年)、脚本:唐十郎、音楽:三枝成章、監督:三枝健起、出演:宝塚歌劇団花組、専科 ほか
僕は市川雷蔵さんの光の君や、向田邦子さん、橋田壽賀子さん脚本の『源氏物語』がお気に入りですが、作者・紫式部の生涯と源氏物語の誕生秘話が映像化されるのは初めてだと思うので、今回の大河ドラマ『光る君へ』は毎回楽しみに興味深く視聴させていただいています。
源氏物語のことは過去にこのblogで何度か書かせてもらっていますが、僕が『源氏物語』を好きになったのはご多分に漏れずと言いましょうか…大和和紀さんが『源氏物語』を漫画化した『あさきゆめみし』を中学生の時に読んでからです。そういう方は多いのではないですか?
『宇治十帖』を含む『源氏物語』54帖がおおむね忠実に描かれていて、平安朝の生活様式などが詳細に緻密に華やかに漫画化されています。
古典というととっつきにくいし、でも特に著名な『源氏物語』は読んでおいた方がいいんだろうしと思っていたところにこんな漫画があるよと教えてくれたクラスの女子に感謝です。この漫画を読み込んだおかげで僕は古典担当の女性教師に気に入られたんですよー(笑)
漫画という形でわかりやすく、視覚的理解を助け、古典への興味を持たせてくれた功績は大きいと思います。
大和和紀さんといえば『ラブパック』、『ひとりぼっち流花』『はいからさんが通る』、『ヨコハマ物語』、『あさきゆめみし』『KILLA』『天の果て 地の限り』などなど好きな作品がたくさんあって、僕はずっと『ヨコハマ物語』を映像化して欲しいなぁと思っているのです。今ならCGを駆使して、完璧にあの世界観を映像化できると思っているのですが…。
その後、しばらくして、『谷崎潤一郎訳・源氏物語』をコツコツと読み、あらためて『あさきゆめみし』は素晴らしいと認識しました。谷崎源氏は文章が感情過多ではなく、流麗、優美で美しく、そこが好きです。
『源氏物語』は、平安時代中期の11世紀初め、紫式部によって創作された日本最古の長編小説です。正しい呼称は「源氏の物語」だそうで、「光源氏の物語」「紫の物語」「紫のゆかり」などの呼び方もあります。主人公・光源氏の一生とその一族たちの様々な人生を70年余にわたって描き出し、王朝文化の最盛期の宮廷貴族の生活の内実が優しくしとやかに、そして艶やかに美しく克明に描かれています。
1991年に、歴史小説家、杉本苑子さんが書かれた『散華-紫式部の生涯』という小説が出版されていて、紫式部の生涯が書かれたものはあまりないと思うので、僕は興味を持ち高校生の時に読んでいたんです。
『散華-紫式部の生涯』では、紫式部は「小市」という名前で書かれています。内省的な性格の小市が世の中に対して敏感に感じる不安や戸惑い、心の揺れ動きが丁寧に描かれていました。
わずか3年ほどの結婚から、紫式部となって「源氏物語」執筆に至る過程、またそれに伴っての中宮彰子への宮仕えの様子、藤原摂関家の頂点を目指す様をも同時に丁寧に書き込まれています。
政治の影で揺れ動く受領階級の実家の人々の動向を知るにつれ、式部の心も変化し、源氏物語のテーマも書きぶりも変わっていったということがとても興味深かったです。
杉本苑子さんは、和泉式部は情の人、清少納言は感性の人、紫式部は理の人と評しているんです。的を得ていますよね。『光る君へ』を観てそう思います。
作者の杉本苑子さんは国民的作家と呼ばれた「吉川英治」さんに師事し、森繁久彌さん主演で劇化された直木賞受賞作『孤愁の岸』で有名な女性歴史小説家の第一人者です。
『光る君へ』の脚本家・大石静さんも絶対、読んでらっしゃるはずだと思いますね。
歴史好きな方や歴史に詳しい方、歴史をちゃんと学ばれた方は「そこ、おかしいんちゃう?」と感じる箇所があるのだと思いますが、脚本家の大石静さんは、歴史考証、風俗考証、言葉の考証、芸能考証、加えて和歌と平安文学考証、漢詩の考証…、一流の先生が何人もついて脚本の校訂をされていて「これはあり得ない」と先生方に言われた部分は一切書いていませんとおっしゃっているので、僕は一つのある歴史を描いたオリジナルストーリーとして楽しめばいいと思っています。
大石静さんは、変わりゆく世を、幼き頃から変わらぬ愛を大事に胸に抱き、懸命に生きた女性の物語として『光る君へ』を書かれているのだと思うし、それでいいんじゃない?と思っています。『紫式部』って、ユネスコの1965年度の世界偉人暦に最初の日本人として登載されているんですね。
でも、『源氏物語』ほど時代や読む人によって繰り返し批判に晒され、同時に評価されてきた小説もないですよねー。
主人公は輝くように美しく、才能にも恵まれ、「光る君」と呼ばれた皇子、光源氏。幼い頃に亡くした美しい母の面影を求めて数々の女性と恋愛遍歴を重ねます。
光源氏や光の周りを彩る宮の女性たちは自身の恋情に素直すぎるほどで、光は人妻や年端のいかない少女にも思いを寄せ、複数の相手と恋歌を詠み交わし恋を謳歌します。帝の寵を一身に集める身でありながら光との不義密通の罪をおかして苦しむ藤壷。嫉妬から光の正妻を生霊となって呪い殺す六条御息所。そして光の妻になったばかりにその生霊に取り憑かれ命を落とす葵の上…。
光源氏は朱雀帝の妃となった朧月夜との恋愛スキャンダルのために一時、都を追われ明石の須磨へ流されますし、そんな女性たちの親である朝廷人達は奔放な娘たちを利用して自身の出世の足掛かりにしようと躍起です。
『源氏物語』は前半だけよむと、光源氏の愛の遍歴だけがクローズアップされ、「ただの色情狂じゃん」なんてバッサリ切り捨てる人もいるんですけど、光源氏って無理やり女性たちを力でねじ伏せて自分のものにはしてはいないし、女性たちが身体を許したいと思う魅力的なオーラを醸し出している男なんだろうと僕は思います。高貴な身分ですしね。僕も迫られたら許してしまうと思いますーなーんてね(笑)
『源氏物語』を最後まで読むと満ち足りるとか充実感というよりは、目の前に誰もいない詫びしい風景が広がるというか… 喪失感や虚無感を感じるんです。「権力や財力を手にし、栄華を極めたが、私は何のために存在したんだろう…」と思いながら光源氏はあの世に言ったんじゃないか…と考えたりしてしまいます。
《源氏物語》は聖代(すぐれた天子の治める世)といわれた延喜・天暦の時代を目安として書かれた時代物といわれていて、光源氏のモデルも古来何人かの親王や罪によって遠方へ流された身となった源高明、藤原伊周、菅原道真などが挙げられていますが、誰か一人に特定することはできないですよね。
紫式部自身の求める理想の男性像や、こういう男性がいて欲しいという願望に基づくものなんだと思います。式部が夫と死別した直後,寂しい日々を支えるよりどころとして物語が書き始められたと言われているので、小説の中だったらどんな恋愛も叶えられるじゃないですかー。
光源氏はその生まれ持った美貌と才能によって多くの女性の心を掴み、六条院の主として頂点を極めますが、ただのプレイボーイじゃありません。一度愛した女性に対して純粋でひたむきで、いつまでも情を忘れない理想の男です。
愛のためなら思慮分別を失って時には暴発する激しさも持ち合わせる、欲望に忠実な情熱的で魅力的な男だと僕は思っています。魅力がなければこんなに長〜い間、世界中で愛されて読み継がれるわけがありません。その優しさと激しさとの共存が女心を酔わせるんじゃないでしょうか。
光源氏は政治に背を向け、風雅の世界に生き、一生を終えた男ですけど、第2部以降の、老境を迎えても自分を曲げない、反俗と愛の純粋性を最後まで貫くところが素敵だなと僕は思います。
『源氏物語』には「男の人に愛されても幸せにはなれない」という女性がたくさん登場します。それは恋愛は決して素敵なものではないのだという紫式部の信念のようなものがあったのかもしれませんね。
男の庇護の元でしか女性は生きられないというのが常識だった時代に、才能と努力と知恵で自分の生きる道を切り開いた紫式部は先進的な考えを持った女性だったのかもしれません。
印刷技術がなかった時代の書物は、人が一つひとつ手で書き写す写本でしたよね。写本を作る際には、故意に書き直すこともよくあったようです。そのため発表から200年も経つと、同じ『源氏物語』でも写本によっては内容がまちまちで統一されていませんでした。
これを嘆いたのが、小倉百人一首を編纂した歌人・藤原定家です。彼はできるだけ多くの写本を集め、その中の優れたものを校訂し、青い表紙をつけました。この「青表紙本」が僕たちが読んでいる『源氏物語』の元となっているものです。
残念ながら紫式部のオリジナルは残っていませんが、日本最古の長編小説を後世に残そうと藤原定家が情熱を注いでくれたおかげで、『源氏物語』は現在もなお、さまざまな形で世界中の読者を魅了し続けているのですね。感謝です。
今年の1月でしたか、『光る君へ』が始まるのを記念してNHK BSで、市川雷蔵さんが光源氏を演じた1961年の映画『新源氏物語』(森一生監督)「4Kデジタル修復版」が放送されました。
当時、大映の重役であった作家の川口松太郎さんの新解釈の原作を映画化したものです。光源氏が須磨に流されるまでを描いています。
当時は2本立て興行でしたから、102分ほどしかないのですが、話の流れが分かりやすく、衣装、美術が豪華で、撮影もカラーで美しい作品です。
幼少の頃、得られなかった母の愛を必死に取り戻そうとする光源氏の若き日を描いています。爽やかで気品ある美貌の持ち主でありながらどこか憂愁の翳りを宿す光源氏に市川雷蔵さんはピッタリはまっています。雷蔵さんの光の君は、どんな女性と身体を合わせても満たされないんです。一番愛している人は愛してはいけない人だからです。恋に苦悩する雷蔵源氏がいいんですよ〜。
光源氏の憧れの人である桐壺=藤壺を演じるのは、高島忠夫さんの妻であり、高嶋政宏、政伸さんの母である寿美花代さん。宝塚出身で映画出演はとても少ないので貴重な映像ですね。雷蔵さんが寿美さんの大ファンで共演を希望されたそうです。
葵上に若尾文子さん、朧月夜に中村玉緒さん、末摘花に水谷良重(現八重子)さんと女優陣も華やかです。おすすめです。
紫式部が宮中の様子を中心に書いた『紫式部日記』の中には、自らの想いを吐露している箇所がいくつもあります。
一条天皇の中宮・彰子(藤原道長の娘)の女房として働く紫式部は、多くの同僚の女房たちとともに働いていました。大河ドラマでも描かれていますね。
同僚に「言いたいこと」はあるけれど、「いやいや」と思い直しグッと我慢することもあったようです。それは「わかってくれない人に言っても、何の得にもならない」からだと。
他人を貶して「我こそが」と思っているような人の前では、「口を利くのも」嫌になる。紫式部は、そうした鬱陶しい人の中には、なんでもこなせる優秀な人は滅多にいないと記しています。
「何事につけても世の中は、噂が飛び交い、憂鬱なものです」とも述べています。
これはね〜僕もそう思うんですよね〜こんな人いるでしょう。職場にー(笑)まぁ、僕もそう思われているかもしれませんが。今で言うマウントを取りたがる人とでも言いますか。
紫式部って観察眼も鋭い人だったんだと思います。友達になれそうです(笑)