鴨長明の名作「方丈記」は、「無常」を綴ったエッセイであると言われる。「人」も「住処」も、流れる川のように流転し、過ぎ去ってしまうものであると言う。それは、平安時代・貴族の時代から鎌倉時代・武士の時代へと移り変わる時代状況を大きく反映したものである。私は昭和30年代から平成20年代末へと世相を観察して来たが、「方丈記」に見られる様な消滅的無常観(関口忠男大東文化大名誉教授)を感じた事は無かった。例えば、昭和40年代の埼玉県「東大宮駅」は木造の駅舎で、周辺には昔からの民家が点在しているだけだったが、今日ではビルや商店街が立ち並ぶ市街地である。多くの人の葬式にも立ち会ってきたが、絶望的無常観を感じる事なく生きてくる事が出来た。人が死んでも葬式も出せず、家々に火を放つ戦乱の巷からは、当然の事として絶望的無常観が生まれて来るのだろう。とは言うものの、例えば「越後湯沢のバブル期後のリゾートマンション群」はゴーストタウンのようだったし、南会津八総鉱山跡の魚が浮いていた公害期の河川など、絶望的無常観を呼び起こす景観もあり得る。
絶望的無常観は旨くいかない社会からは容易に生まれ得るのだ。

今日は数学教師の話を、思い出している。

 

「直線とX軸の関係は、交わるか、平行か、重なるかだ。2次曲線とX軸なら、接するか、2点で交わるか、交わらないかだ。グラフは数式に対応しているので、それぞれの場合について2次方程式は重根を持つ、異なる2つの解を持つ、虚数解を持つとなる。虚数解をもつ時、実数解は存在しない。方程式を解く時に、うまく因数分解できればいいけれど、解が分数だったり、無理数だったりする事もあるから、どうしても最後は解の公式に頼りたくなる。でも、解の公式は暗記するよりabcの定数を持つ2次方程式から自分で導けるようにしておいた方が良い。間違えて覚えていたり、思い出せなかったりするからね。3次曲線になると、極大値と極小値が問われる。また、左下から右肩上がりで現れて極大値を示して右肩下がり、極小値を示した後、また、右肩上がりで右上に去る形か、左上から右肩下がりに現れて、極小値を示した後、右肩上がり、極大値を示した後、右肩下がりに右下に去る形かが問題となる。前者は定数aが正、後者は負だ。3次関数を微分した2次関数はグラフの傾きを示す微分係数だ。プラスの値ならば、グラフは右肩上がり、マイナスの値ならば、グラフは右肩下がりになる。微分係数がゼロの時その点が極値だ。右肩上がりゼロ右肩下がりなら、その極値は極大値だし、右肩下がりゼロ右肩上がりなら、その極値は極小値だ。」

 

確かに3次曲線と微分系数、3次曲線とX軸との交点abc、斜線部分の面積を求めるaからcへの定積分は高校数学のハイライトだろう。

日曜日に神田あきらの講演会に行って来た。1時半開場2時開演だったので45分頃に入場した。場所は新宿区、西北大学からは、かなり離れた場所だ。会場にはもう半分程は受講者が詰め掛けていた。前列から2列目の左端に席を見つけ、通路側の人に言葉を掛けて席に着いた。

 ステージでは録画の為の機材の点検等が行われている。まだ、神田あきらは来ていない。沈黙が続く。とその時、ステージに向かって左側の入り口から本人が入って来た。拍手だ。拍手が巻き起こった。

「わずか1時間5分の講演の為に、日本中から集まってくれてありがとう。1時間で、高校全教科の復習をすべてやってしまおうという時間だ。これは今は私にしか出来ない。終了時にはここに来たみんなも、私のようになり、入試の1次試験にはかなりの自信を持つようになるだろう。三千語が1時間の早口の話の中に含まれる。この3千語のマスターが入試突破の必要条件なのだ。READY?」

 

1時間の間、次から次に現れる高校教科の教科書の中のヒーロー・ヒロイン達!全部聞き覚えのある重要語だ。例えば、化学なら周期表の中身が、物理ならばSI基本単位・SI組立単位・SI併用単位の中身が、登場する。数学は微分・積分だ。過去に行ったおびただしい計算のエッセンスが頭の中でイメージとなって行き交う。歴史では、歴代天皇125代、ハプスブルク家出身の王や蘇我氏や藤原氏や源氏、北条氏、足利氏、徳川氏等が次々に登場する。あっという間の1時間だった。

 

カリスマの降臨と退場。実際はそうではなかったのだが、ドライアイスの霧の中を退場して行ったような気がした。自分がこれからやろうとしている事の、イメージがつかめた。