対自・対他の後はなーんだ?心の問題だね。相手の心も自分の心の中に相手の心として位置を占める。子供の頃、親に叱られた時、その時の親の心わかった?これが、子供の時に良く解る子は偉いと思う。学校・会社・多くの人間、「心」の問題として毎日生きている?心の問題なんだよ全部。深いところでは、、、。多くの知識や多くの商品が扱われているけど、その背後の人の心の問題。大きいよこれは。

 

その時成績が悪かったとか、何か事件があったとか確かに、自分の歴史ではあっても、マイルストーンというか、ラベルの様なものは必要だと思うけど「心の歴史」が大切です。

 

明雄は自分の心についても、他人の心についても、良く解らないが、今日の神田あきらの話の、「心の大切さ」、については、良く解った気がした。

 

 

 

 

「いい思いと努力」の教訓は対自的なものだけど、対他的な教訓としては、「ギブ アンド テイク」がある。give and take には、いろいろバリエーションがあって「お歳暮を貰ったら、その相手にお歳暮を返す。」式の対応は、基本だし、固定的な関係を維持する為に用いられる。あまり、親しくない相手から、接待・贈答を受けると「お返し」が大変だからと躊躇したり、丁寧に断ったりする事もある。経済法則に近いgive and take としては、あまり親しくない相手から、接待・贈答のオファーがあった時に、とりあえず受け取り、その相手ではなく、何かしてやろうと思っていた別の相手に何かを贈るという形を取れば、景気が良くなるように関係が拡大してゆく。「何かしてやった。」のに、お返しがない。裏切られた。というのは人情だし、お返しがなくても、構わないように、あまり高価でないものを贈るというのは知恵だ。やり取りされるのが、「物」「サービス」ばかりでなく、「考え」「哲学」「思い」と人間関係は豊富だ。

 

明雄もこの神田あきらの話を、自分の周囲にあてはめて見る、最大の問題は、読書の時間が多く、その為に考えている事が、現実・授業の言葉で構成されるのでなく、もっぱら吉本隆明ワードで組み立てられている事だ、「心的世界はそれ自体として扱いうるか?」とか、「身体・環界の2方向からやって来た心的世界をどの様に表すか?」とか、、、、

翔は唯物論哲学だし、山下浩は「山本周五郎」や「吉川英治」だ。ボキャブラリイがそれぞれ独特だ。共通言語は「オス!」「消耗した。」「自分ばかり、まともだと思っているな?」なかなか、共通の考えには、至らないのである。

今日は、「いい思いをしたかったら、苦労しろ。」という話をしたい。最近の傾向として、すぐ結果を求めるという事があると思っている。「いい思いはしたい。でも、努力はいやです。」そういう人が多い。まあ、努力しなくても、歌が上手い人とか、ずば抜けた才能を発揮する人とか、確かにいる。でも、そういう人も努力すれば、もっとうまくなれるし、もっと才能を発揮できるようになるんだ。努力のところは見てなくて、結果だけ見てるから、努力してないように見える事もある。「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」や「刻苦勉励(こっくべんれい)」という言葉もある。

 

スポーツ選手の素晴らしいプレーが、想像を絶する練習の成果であるように、「いい思い」は「苦労」の後に訪れる。だから、「いい思い」を楽しみに、「苦労」をしようよ。

 

神田あきらの言葉を、聞いた。「今日も読み続けている分厚い小説の続きを、読むぞ!」と、意志に力が入る。