僕は現代国語の学習にというだけでなく、何を読むかについては、かなり悩んだ方だろう。同じ学年でも、大沼翔のようにいわゆる左翼系の唯物論哲学を読破している者もいたし、県立会津若松高等学校教諭を父にもつ西川雅也のように、シェイクスピアやトインビーを真っ先に挙げる高校生知識人もいた。読書らしい読書と言えば中三の時に青少年向きに書かれた谷川徹三、伊藤整、笠信太朗、神田順治、天野貞祐の本を読んだ事、赤と黒、狭き門、車輪の下といった名作を読みはじめた事、世界名言集をめくって先哲の箴言を味わっていた事位だ。そして投稿マニアで何度か学習雑誌に掲載された事があった。長山聡先生の言うように、作者の国籍は重要だと思う。思想家が日本人か外国人かは重要だ。昭和40年代、マルクス主義の影響は大きかったし、民族系国学系の思想書も多く出版されていた。在学中に湯川秀樹博士の講演を聞く事ができたが、その事がきっかけで理科系の書籍は日本人の書いたものを読むようになったとすれば、その流れは自然だ。一方、現在の日本社会に不満で、社会変革の理論を海外に求める人もいる。思想は日本人の書いたもの、科学書は欧米人の書いたものを翻訳で読むという組み合わせもある。広く国内外に書を求めるあり方も当然ありだ。