明雄が高校生の頃も、塩原温泉と南会津を結ぶ道路はあったのだが、トンネルではなく、山を迂回する道路で不便だった。それ故、交通の便利な鬼怒川温泉や川治温泉に行った事はあっても、塩原温泉には行った事が無かった。

後で知った事なのだが、栃木県にはかつてもう一つの御用邸があった。塩原御用邸であり、終戦直後に廃止された。陛下・皇族が保養の為に訪れる場所には、文化人も訪れる。尾崎紅葉の「金色夜叉」がここで書かれたという。塩原温泉郷の紅葉は見事だが、尾崎紅葉との不思議な一致である。
英語を勉強していると、今とは違って大きな壁にぶち当たる。生のネイティブの発音など聞けぬ時代である。英語は書かれた英語と音声の英語の間に大きなズレがある。ローマ字読みで読む事は不可能なのである。戦前の日本で、ある程度の規則を覚えれば、ローマ字読みに準ずる読み方でどうにか読める言語があった。ドイツ語とイタリア語である。ドイツはその昔神聖ローマ帝国と呼ばれた時代があり、イタリアは古代ローマ帝国であった。日本も大日本帝国で帝国同士、相性が良かったのである。もちろん、大日本帝国憲法がドイツの憲法を手本にしてつくられていたという事情もある。日本の旧制高校生達が、「デカンショ・デカンショ」で青春を謳歌したというのは、デカルト、カント、ショウペンハウエルのうちカントとショウペンハウエルがドイツ語の原書でも読めたという事情もあったと思う。ドイツ型大学を目指す旧制中学・高校の戦前のリベラルアーツ教育が解体され、全ての後期中等教育が新制高校として1本化され、旧制高校は新制大学に、あるいは、新制大学の教養部・教養学部となった。そして、混沌と断絶の戦後中等教育、高等教育機関となる。明雄が中二の時、安田攻防戦があり、それは、戦前型の帝国大学の理念が完璧に失われた象徴のように思えた。明雄が高校生の頃は、医学もドイツ語から英語に置き換わりつつある時代だった。外国語と言えば英語の時代が始まっていた。
明雄は、一人の思想家との出会いを綴(つづ)る。その思想家の本を読む事で、自分自身が明らかになったという体験を何度もしたから。

「先行する世代の到達点が、次の世代の出発点になる。
青年は権威に靡(なびか)ない。だから、思いもよらないところから全く新しい価値創造を開始するのだ。」

「青年は無力だ。もしも、その情熱を鍛え、陶冶し、その才能を教育し、訓練しなかったら、
いつまでも無力のままか?中には、自ら試行錯誤し、何か新しい方法で、課題を自ら設定し、出現する突然変異のような表現者もあるに違いない。コース外からのエントリーは世界を豊にする。」

善・悪、美・醜、損・得。その不易と流行。