明雄は読書を特別のものと考えていた。趣味としての読書であれば、その時間だけの楽しみであり、時間が来れば、授業、予習・復習にと、切り替えが可能である。ところが、読書においての著作者との対話を授業や、交友関係、家族関係に優先させてしまうような読み方をすると、学校の教師や親のいう事が聞けなくなる。教師や親の一言一言をまるで自分に向けられていない言葉として受け止めてしまう。著作者との自己同一化が起こり、「心的現象論序説」の概念に、枠組みに、言葉に、自分の心が占領されてしまう。顔も服装も著作者に完全に似てくる、いわゆるエピゴーネンの世界である。戦後世代は戦後民主主義の教育を受けた。それは、小学校で一度、中学校で一度、高校で一度、同じ授業を受ける。「民主主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」「象徴天皇制」である。自分自身の考え・良心を持つ事、自己主張する事を勧められて来た。けれど実際にそれをしようとすると周囲との摩擦や軋轢が起こる。自主性が尊重されるとはいうものの、「従順」「和」「何事もない」事が求めらたりもする。ルールは法律・医者のアドバイスまで後退したところにあるのだろうか?
仏教が日本に伝わったのは、538年とも、552年とも言われている。それ以来千五百年近くに渡って伝承・布教・研究が続けられている。毎年100名もの博士が誕生している領域なのかどうかは、全く見当がつかないが、多くの仏教系大学、仏教学部が存在する。研究者資格は博士号、最上位の職階にあたる教員は教授である。○○大学名誉教授というのは、通常は○○大学教授の定年退職後の称号である。従って○○大学名誉教授は、○○大学教授であった人と同じ意味になる。
明雄は志望校に関して、クラブ顧問で数学担当の高木数之教諭に相談した事があった。一通り話し終えると、意外な答えが返ってきた。
「無い。君が知りたがっている事、学びたいと思っている事を教えている大学は、残念ながら無い。」
明雄は志望校に関して、クラブ顧問で数学担当の高木数之教諭に相談した事があった。一通り話し終えると、意外な答えが返ってきた。
「無い。君が知りたがっている事、学びたいと思っている事を教えている大学は、残念ながら無い。」
漢語が翻訳語として使われたのは、国際都市長安などを思い浮かべれば、多くの時期に多くの言葉を翻訳して来たように思える。その中でも、中国人による仏教の漢語への翻訳は膨大である。中国人だけが漢語への翻訳を行なったのではない。日本人も漢語への翻訳を行なっている。近代日本人による欧米の近代文化文明の漢語への翻訳大系である。これは、中国に逆輸入され中国の近代化におおきな役割を果たした。また、孫文をはじめとした日本への留学生が中華民国の建設を指導した。
日本史を勉強していると、東洋史特に中国史は避けて通れない。教科として日本史・世界史・漢文・・古文・現代国語と別れているけれど関心はつながっているものなのだ。分析的教科と総合的問題意識あるいは、関心。明雄の悩みは尽きない。
日本史を勉強していると、東洋史特に中国史は避けて通れない。教科として日本史・世界史・漢文・・古文・現代国語と別れているけれど関心はつながっているものなのだ。分析的教科と総合的問題意識あるいは、関心。明雄の悩みは尽きない。