明雄は読書を特別のものと考えていた。趣味としての読書であれば、その時間だけの楽しみであり、時間が来れば、授業、予習・復習にと、切り替えが可能である。ところが、読書においての著作者との対話を授業や、交友関係、家族関係に優先させてしまうような読み方をすると、学校の教師や親のいう事が聞けなくなる。教師や親の一言一言をまるで自分に向けられていない言葉として受け止めてしまう。著作者との自己同一化が起こり、「心的現象論序説」の概念に、枠組みに、言葉に、自分の心が占領されてしまう。顔も服装も著作者に完全に似てくる、いわゆるエピゴーネンの世界である。戦後世代は戦後民主主義の教育を受けた。それは、小学校で一度、中学校で一度、高校で一度、同じ授業を受ける。「民主主義」「平和主義」「基本的人権の尊重」「象徴天皇制」である。自分自身の考え・良心を持つ事、自己主張する事を勧められて来た。けれど実際にそれをしようとすると周囲との摩擦や軋轢が起こる。自主性が尊重されるとはいうものの、「従順」「和」「何事もない」事が求めらたりもする。ルールは法律・医者のアドバイスまで後退したところにあるのだろうか?