三上祐一が2024.3.16に考えたこと | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

 私はくだらない人間だ。若い頃、私は自分のことをくだらないと薄々分かっていた。私には友達は二種類あって、一つは一軍で一つは二軍である。一軍は見た目カッコいい奴らで、二軍は自分のくだらないことを赤裸々に打ち明ける用である。一軍の友達には、自分の素の部分は見せなかった。それを無心でやっていた。今思うと二軍の奴らには悪いことしたな、と思う。しかし二軍の連中は私には冷たかった。二軍の友達のKは私が言ったくだらないことを、身内に話して、私を悪く見せたりした。Kの母親はKの結婚式のときに私を白い目で見た。KはKのねえちゃんにも話したが、ねえちゃんはその話を信用しなかったらしい。Kのねえちゃんとは以前会っていて私のことをかわいいと思ってくれたのかもしれない。二軍の友達のFは私が電話して遊ぼうと連絡するときは、遊ぶが、自分から私に連絡し、遊ぼうとしたことは無かった。もしかしたら二軍の友達たちは、私が一軍と二軍と使い分けていて、裏表があって、扱いが違うことを、疎ましく思っていたのかもしれない。私は今、二軍の奴らには悪いことしたな、と思う半面、それは友情の証であって、もっと尊ばれてもいいものだったのではないかと思う。それは友情の一種ではないかと私は思う。Kは、私が、Kに世の中にくだらなく埋まってしまう人間ではないから執筆活動しろ、と言ったら、それをないがしろにして、これから子育てという大きなイベントがあるから、もの書く気になるかどうか分からないだとよ、ふざけんじゃねえ!でもそれは私が駄目で、まっとうな意見かもしれない、というのはある。そして人間には、友達に、自分のくだらない部分を打ち明ける種類と、自分のくだらない部分をパートナーと分かち合う2種類がいると思った。むろんどちらもしない人間もいるであろう。そういう人間は孤独であろう。
 私はくだらないことを無邪気に表現する、ということで、行くところまで行ったしまった。もう戻れず最悪な状況まで。そんな私のテーマ曲はブルーススプリングスティーンの「明日なき暴走」って、そんなにカッコよくないって。

 そして私は若い頃、カッコつけて、サーフィンもやっていないのに、サーフィンに関係するアイテムを身に着けていた。サーフィンをやっていないから気がちょっと咎めるから、流行っていて王道のボディーグローブなどは身に着けず、クイックシルバーのディーパックやSANTACRUISEの帽子やロコモーションの半袖シャツやBEARのトレーナーなどのマイナーな奴を身に着けていた。それで、ちょっとしたプライドを感じたりしていた。今考えると、本当にダサいと思う。SANTACRUISEの帽子を被っていたからだろうか、私のいた大学の学部で、私が入試の監督官をやっていたときに、受験生に、妙な目で見られたのかもしれない。
 私がくだらないことの例を挙げると、ナンパした女子のあそこが臭かった、と友人のKに話したりしたことだった。今思えば、嫌な奴だったなあと思う、今はそんなことやっていない。それをKがKの母親に話したりしたから、私はKの母親に白い目で見られたりしたんだと思う。

 私は気が弱い。私はスキー場のアルバイトに4年間行っていたのだが、そこで、見た目怖そうな奴に、寮の4畳半4人分の2段ベッド2つある部屋を、気を使って自分が出来る出来る限りのおもてなしとして「自由に使っていい」と言ったりした。彼らが使って私が帰ると、部屋は汚れていた。そいつらはその後私の寮の部屋を自由に使うことはなかった。寮の一部屋を自由に使っていいって言ったって、そんなのたかが知れている、っていうのもある、そいつはそれを全く有難いとは思うはずもなく、その後私に対しては無礼に振舞った。

 

 フランスでは動物愛護が進んでいる、というが、牛肉や豚肉や鶏肉や魚を好きなだけ食っているんだから、その動物愛護はおためごかしだ。

 

 時代劇で戦国時代の武将が、合戦をするときに一斉に斬り合うというのがあるが、果たして本当か?

 

 北朝鮮で革命を起こさせるためにはどうすればいいか?