私が自分の思っている通りのことを行うとこうだ、それは戦後レジューム体制の崩壊を一方で模索しつつ、戦後レジューム体制側と日本の関係をある程度親密に保ちつつ、ドイツ・イタリアとの関係を高め(ブラジルを含めるか含めないかは、ブラジル側の出方次第)、東アジア6ヶ国協議の意義を高めつつ、インド・アフリカとの親睦も深めることを模索する、ということである。これを推し進めると、英・仏・独・露・中の対立を返って深めてしまうという結果になるようである、しかしこの事実は、欧州諸国には悪いが世界の諸地域にとっては好ましい状況とは言えるだろう。そしてこれらの地域(ヨーロッパ)と運命共同体となることを自ら選んだ東アジアの笑うべき国も存在する、その国は、それらの国々を深く洞察することなく、どこかの一国をなめてかかってきた、ということでそいつら自体に咎がある、私達には言うべき権利がある、私達が過去に行ったことに咎として認められる部分があるならば、それにもそれ相応の分量があり無限ではない、ということを、そして捏造は認められないという明白な事実を彼らには教えなければならない、そしてこの事実も伝えなければならない、そこいらの猥俗な女どもの寄せ集め集団の適当に誂えた生意気な歌で、簡単にやられてしまう俺ではない、ということを、その芸能に対する考えは浅薄極まりない、そしてその適当に誂えた女集団は今後日本で芸能活動をする機会自体が存在しない、という事実を伝える。一方で『スピード・アップ』を求める一方のグループは可愛げがあり、日本に対する親善の気持ちも認められる。『スピード・アップ』という無理難題を私に向けないで欲しい、一つ一つの問題を解き明かしていく、というのが私の方針であるが、ここでやっていることが多くの人々に価値が高いと認められれば、自然と『スピード・アップ』は生じるであろう。そして捏造・咎が無限であるという妄想を元に私に怨みつらみの顔を向けた若者達は本性を現すには早すぎた、ということを伝える、そしてその面を私に向けた以上は、もう私に向ける笑顔は残されていない、つまりはその方針を人生をもってして貫く覚悟はできているんだな、と問う。しかし“冬のソナタ”はいいテレビドラマだったな。独はどうやら私が認める方向と反対のことを行っているようである、それはシー・シェパードの代表者を捕まえたことを見てそうである、と率直に感じた。
私が発明した、足腰自転車が発明されれば、...しかし多くの奴らはめんどくさいから、ということが主な理由でその発明を無碍とするだろう。
私にも多くの人と人との多くの関係がある、しかしそれらは温存しているだけである。
倉木麻衣はまあかわいい方だけど、結婚したくはないな。『Feel fine!』でオタクっぽく踊ってるのを見てちょっと・・・って俺って時代遅れかな?倉木さん、メール下さい。