三上祐一が2012.02.08~02.10に考えたこと(エッセンシャル) | 三上祐一のブログ

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 独自の日本大改革案を掲げる三上祐一のブログです。 なお私はこのブログの著作の一部がウィキペディアの「三上祐一」の項に投稿されることを認める。 http://yuusukeueno.blog40.fc2.com/

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 二流の男
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 俺は早稲田大学商学部出身だ、それは俺の一番の誇りでもあるのだが、ああそうですよ、それははっきり言ってしまえば、二流の学部だ。俺はスキー検定2級を持っている、1級の実力はあるとは思うのだが・・・、それは、神立高原スキー場パトロールで、正しく鬼軍曹の役割を見出した住安誠によって、もたらされた、一転び100円制度の実施によって、私のパトローラーであるにもかかわらず、多く転んで成長しようという邪道の道が絶たれた結果だった、ああそうさ、それも正しく二流。しかし私は42歳の今、私の世における役割というものを感じて、かえって思ふ、ああ俺はこの時代の大激流の中で、二流としてあるべき男也!結局は中身が問題なんじゃ!中身が!

 なおその身分で俺は、一切の伝統宗教に敵視される身分、しかし、伝統宗教よ、俺の作り出した宗教に価値を見出したならば、それを取こもう、という宗派は出ぬものか?そしてそれこそ、まさしく、言葉における、真の勇気の体現。“ことばがまさに神であった???”
“アンビリーバボー!”
なお、言葉が神であった、と主張する、キリスト教のDNAを受け継ぐものに与えられたのは、国語能力偏重主義者、という進化と退化。

松田龍平・沢尻エリカ~[連想]~
 井草中学は二流の中学じゃ、青山中学校は一流の中学校じゃ、そこにおいては、俺はどちらを取るかと言われれば、どちらを取るかは決まっいるんじゃ~

 なお、イスラム教とキリスト教とユダヤ教とヒンドゥー教と仏教と神道においては、相乗効果を見出すことは、可能だ。

 浅田真央は愛知を代表する顔をしている。なお、浅田真央のもとで結党されるべき党が“日本島国党”そして浅田はその党の愛知代表。



 愛知~[連想]~ ああ、愛知は正しく、労働者の県。 単身女性の3人に1人が貧困状態。

 日本には三つ子の魂百まで、という言葉がある。5歳の子供が提示する絵は、証拠として、尊重されることが相応しい可能性がある。

 雪国に果報を与えさせてもらいたい、なお、これは、元々が大風呂敷の私が発想した、下らぬ発明の可能性がある。それは、各家が、地上500mの軽量の屋根を持つ建物の建造である。そこに5mの雪が降り積もれば、その重さで、それを一気に落下させて、発電するシステムである。それで、一家の一年分の電力ぐらいは発電できないものか?

 私は言葉で物事を考えない、心で感じる者である、人間には感官・反射神経の総体として心が存在し、頭脳も存在するようである。私は理性という言葉ほどにインチキくさい言葉を知らない。

 私は弟子になる気持ちがわからない。私淑ということはあるが。私が私淑するのは、日本では司馬遼太郎であり米ではマーク・トウェインであり、独ではニーチェである。フランスでは、読み進めば多分スタンダールになると思う。英国ではオースティンである。しかし、それは私からの勝手な私淑であり、それらの人々に、勝手に非を見出してしまう可能性はある。


 私は愛を感じることはできるが、私には愛が無い。愛を一切採用ぜずに、できるかぎりを有益なアイテムとしては効果がやはりはある、言葉でもって、できる限りのことは解決したい。“言葉が神である”とまでは言葉を過信しないが。

 もっと、人間評価学、のようなものが発展してもらいたい。そして脚光を浴びていない素晴らしい人々が見出され正統に評価されるべき面もある、と思う、そうなれば経済はより実質価値を帯び発展する。そこにおいて、人々は無益な競争は差し控え、それぞれの人々が実質価値を作り出し、それぞれの人々が特色を帯び共存が求められるべきである、と思う。

 今世界で起きていることが、実質的価値があることの無料化であり、それが、世界経済無料化を招いている。私は世界経済では、多くの人々に、最低限機会均等が与えられ、無益な労務は“自動ハンド・システム”で解決されることを望む。

 “なんのために世界はできたのか?ああ無益な問いよ”世界は何のためとかもなく、そうなっているのが現実なのである。それぞれにあらゆる理由が混在し、それを一言に集約しようとすること自体が無益である。

 アメリカは2億7264万人の人口を有する国家であり、日本は1億2700万人の人口を有する国家である。その観点からして、日本とアメリカは決して対等ではない。

 しかしどこかの国の13億人とまっこと小さき国の評価において、まっこと小さき国が守られるべきである、という価値評価が出る可能性もある。しかしこれはまっこと無益な究極論である、中国国内において、無益なのがまずは海軍である。無益な暴力論で世界が圧倒される、ということはあってはならない。

 無益な中国少将に対しては、国際社会からの正統評価がその結果として、待ち構えている、そこにおいてはもはや、組織の一人物という評価は下されない、そして国際社会の表舞台に引き出される、そして一人の人間としての耐え難き低評価という、現実が待ち構えている。国際平和を乱すことを言っているその男には、単純経験欠落思考からまぬかれる多大に世界の平和にとって有害な考えがあり、国際社会において、もはや許されざる行為であり、結果として無益な男として裁かれる、という悲しい現実が待ち構えている、そして中国国家はその許されざる国際社会の平和を著しく害することの実現派と国際平和派にいみじくもその男の発言が原因によって、分断される可能性が生じる。まずは軍閥と共産党党中央執行部との間に確執がもたらされる可能性がある。中国において正しく66年前に結果が既に出ている無益なことが再沸している、それは無益な民族主義と核戦争の実施、という許されざる行為。そこにおいては、我らが親日派である胡錦濤国家主席との対立に発展することも懸念される(まあチベットには部分的に悪いとは思うが)。そして中国軍閥は軍部大臣現役武官制を主張し始める、ああ、それは正しく戦前の日本。

 無益な組織は有益な組織に生まれ変わるべきである、まさに価値を生み出す組織に。

 私がコブを満足するほどに克服できなかったのは、思いっきり力を出し尽くし、ベンディングで思いっきり踏ん張る滑りをやらなかったことがその可能性としてはある。ただしスキー検定一級相当のコブは克服している。神立高原スキー場の、あの細かく深いコブが克服できなかったのだ、それはやはり鬼軍曹・住安誠によってもたらされた、一転び100円制度の実施が影響している。

 住安さんは“45歳までパトロールやるゾ”と息巻いていたことが懐かしく感じられる、可哀想にそのささやかな夢は彼の“仕事しすぎ”という一つのまあ愛されるべき欠陥が原因で実現できなかった状況がもたらされてしまったのだが・・・、まあ俺はホモではないが。

 パトロールの鈴木は、滑りが突出してうまい、後輩からは尊敬されるべき男であった。しかし、私の2つ下の1年目の奴らに、煙たがられていた。ああ、アルバイトにおいては、尊敬されるべき先輩が尊敬されない、という現実がある。しかし俺は内心面白くもあった。なぜならば、鈴木は1年目に、仕事のできない俺を軽視して、“はいはい、とっとと行きましょう”、のような雰囲気を醸し出し、住安さんに使える男と評価され、滑りにおいては住安誠と価値の共有を行っていたから、しかし住安誠のそれらの行為は浅はかなことであった。パトロールの1年目において、最終日に住安誠に殴られた俺は、寮の4人部屋において、2段ベッドの上にいた、住安誠に歯向かって行き、それをスクールの菅野に服の首元を掴まれて下ろされて1年に幕を下ろされた。しかし菅野もスクールを立ち去るはめに会う。彼の快楽主義がスクール内部で嫌われたからであった、当然と言えば当然の結果であった。その俺は4年パトロールに勤め、住安さんに、住安流が温存されるためには、確実に必要である、という評価を受け、認められ、握手を求められた。
 
 住安さんの鬼軍曹気質はかなり価値が高かった、なお俺はMでもないが・・・。なお、私には、組織維持のために高い役割が常に見出される。私は組織維持のために多くの場合は献身的に振舞った。しかし多くの組織においては、私の献身は、ないがしろにされた。そして一度は不運な出来事の結果として組織を立ち去らなければならない現実を与えられた。一度は浅はかなやきもち感からの結託の結果として私はその組織にいる価値が無いことを感じ、その組織を立ち去ることとなった。私が立ち去った後の残された組織には、ただ単につまらぬ組織である、という現実のみがクローズ・アップされることになる。なおCSKには残業を習慣化しようと画策する、一人の鈴木という下らぬ男が存在したが、多くの素晴らしい人々が存在した。そして私が立ち去った後に残された者達は、思いもよらずに、私が高い価値を持っていたことに初めて気が付くことになる。 そしてコンピューター派遣会社で与えられたのは、何の夢の萌芽の気配も一切感じられぬ、限り無き虚無感。私は下らぬ請負作業を行える小さな器が存在しなかった。新多摩川線の帰りの電車の中で、俺は耐えられずに不平不満をぶちまけていた。そこで俺は一人の会社員にガン付けされ5個ぐらいの駅の間を一触即発の本気の睨み合い、という不幸がもたらされ、私の新多摩川線内での不平不満は許されざる行為として私自身が認識する結果、となった。私は、日本社会不適合者だった。ああ東京には、無益な許容範囲を超えた、200%の満員の状況が存在する。高校時代の東中野・大久保・新宿・新宿で乗り換え、代々木・原宿・渋谷・恵比寿の頃は我慢できた、当時の日本社会自体が活気で満ち溢れていたから。そしてその都会生活は、私にとって、充分に満足できるものであったから。

 さくら銀行に就職した一つ上のゼミの先輩も価値が低かった。しかし、さくら銀行で俺にくだらぬ説教をした奴は、限りなく価値が低い、そいつはどういう下らぬ仕事を行っているのだろうか。そして日本の多くの大企業は、有益な人材を見出す能力が0だった、と言っていいだろう。IBM においては、最終面接の前日に、ある医者に限りなき不幸な宣告を与えられ、心が一杯一杯で、返す言葉が見つからずに、言葉を詰まらせた私に潜在能力が存在したことに気が付いてもらいたかった。富士通には、やはり私に特別な潜在価値があることを見出してもらいたかった。なお富士通は限りなく器が小さい会社であることを私は見出した。第一勧業銀行では、特別枠で評価され、握手の一歩手前であったのだが、他の学生が採用され、握手する人間は現われなかった。それは櫻井徹さんに教えてもらった、そして櫻井徹さんは俺に「よっぽどのことが無い限り採用されない特別枠でそこまで持って行った自分に自信を持っていい」と慰めてくれた。ああ採用されなければどうしようもないのに。そして組織において、そういう情報って、どこでGETするのだろうか?なぜ私がこんなにも、就職で苦戦したか?それは私において、就職において絶対的に明かすことができない不幸が存在し、それが消えうせるまで、就職活動を始められなかったからである。その不幸は私の元を立ち去らなかった。私が組織の一員になれなかったのは運命であったのかもしれない。

 はっきり言って、大学時代の人間関係は、私にとってはハードなものとなった、それは私が招いたくだらぬことのせいでである。大学時代に籍を置いていた組織の幸せ最大化の任務があった私は、副代表としての責任感にあふれ、いつもそのような者として振舞わなければならない状況があった、その責任を逆手に取って、小林丞と浅井は幸薄き結託の元に私の幸せの阻止を目論んだ。大沢とは兄の「セカンド・バッグ持ってる奴って馬鹿だろ」の発言を受け、まさしく男のくせにビトンのセカンドバッグを持って、嬉しげな大沢は馬鹿だ、の評価が行われることとなって、彼とは無益な敵対関係を生んでいた。私はいつも70人の人々に無益と判断され、30人に価値が高いと評価される不幸が常につきまとった。兄は多くのことで下らぬことを言ったりやったりした。そして私はその組織の同学年の者に、下らぬ人間と思われてもしょうがない生活を送っていた、ということもあった。私はその組織の幸福実現を大学時代の義務としていたのであるが、またもや兄の下らぬ一言が原因で、裏表のある人間を演じなければならぬ事がアダとなって組織の同学年のもう一人の重要人物ともあまり良い関係では無かった。大沢はくだらぬ面もあったが、面白い奴の一人でもあった。まず大勢の人間の前で一言も喋れない、という欠点があった。そんな大沢は、その組織においては、「俺を諸葛孔明と呼んでくれ」と、無邪気な信じられぬことを言っていたなあ。そして自分は参謀として素晴らしいと自分をそんな風に言ってたっけ。しかし大沢は私がその組織から立ち去ったことによって、私の価値の高さに気が付いてくれたらしい、卒業式のときに、早稲田の校門のところで、私がいなくなったことにょって、面白みの一段と下がった組織構成員達は、下らぬ振る舞いに明け暮れていた。そこで2年ぶりに大沢と会ったのだが、彼は俺がいなくなってつまらぬものになった、組織では私が重要人物であった、という評価の笑顔があった。小林丞には、不幸と同時に共存した、俺の鍛え抜かれた体つきを見て、恐怖を感じているつらだった。浅井も「今度飲みに行こうよ」、と俺を高評価してたっけ。

 俺は、組織において、責任から開放されたときから、えばりたいだけえばってやろうと密かに計画を練っていた。そこにおいては、まずはそこの組織員との間において、決定的な体力の違いが必要である、と感じ、俺は日々、プロテインを飲んで、筋トレを行っていた、多分それらの多くのことが祟って、私に健康上の異変が生じたのであろう、今思うに、その小さな幸せは私にもたらされなくてかえって良かった、と今では思っている。

 私の上にある、当時、明らかな不幸の存在の可能性が100%である、という思い込みは、私に多くの事を人生において遠回りさせた、しかしその救われぬ精神の煩悶の日々は、私に思いもよらぬ人間性・能力の向上をもたらせた、という確信が私にはある。

 鈴木浩一郎も価値が低い、まずは器が小さい。

 私は高校時代から、人事の決定権の一切を握っていた。高校時代の私の友人グループは俺が選出したメンバーだった。大学時代も、組織の6割の人材を私が集めたという現実が存在した。なお、そのメンツ達は私の同学年の者達の中では同大学内で2番目のグループであった。

 早稲田大学内では、早稲田学院卒の人間のみが、組織員となれる資格がある、多くの一般人の共通の敵である、「ブルージェイ」という腐った組織がNo.1として存在していたから。しかし早稲田学院出身者というのはどの程度かはたかが知れている、それは岩崎という奴を見て私が判断した。なお、早稲田学院出身者の中で一人俺の組織にいたわけだけれども、彼はまあましな方ではあろうが、やはりその実力はたかが知れている。そいつは末田という奴だったが、1個下の“小川憲一”派閥との派閥争いで破れ、組織内では冷や飯食っていたっけ。“戸山高校出身の“小川憲一”は価値が高いは。「レッド・バロン」は俺の代の奴は一人しかいなかったかと思う。「オール・ラウンド」というサークルも俺の代は価値が低かったなあ。「ストロベリー・ロード」という謎のサークルもやはり、俺の代では、田中という奴一人だけが在籍していただけだったと思う。「ウイスパーズ」も価値が低い!「ボーイズ・コミュニティー」の福島は面白味がある奴だったなあ。STROPS関係と我が組織は親戚同士と言ってもいいぐらいに仲が良かったっけ。

 ああ思い起こせば我が28年の生涯は駆け抜けた特別な経験が多く鏤められた人生だったなあ。もう作家活動をして14年も立っているのか。そしてまさに俺を評価しない“文藝春秋”に何の価値があるだろうか?そして出版界全体に何の価値があるのだろうか?まあ“共食い”と“苦役列車”は面白そうだけれどもな。そして、カツマーは国語能力偏重主義者であり、まとめるのがうまいという限定的価値が存在する、まあそれはある程度は価値が高いが。カツマーのライバルとして現われた香山リカという人もどうやらそんなにものすごく特別に価値が高い、というわけではなさそうだが、でも“努力で幸せになれますか”は一つのアンチテーゼとして価値はあるだろう。

 医者という職業を選択する、ということ自体が私にとっては“アンビリーバボー!”なぜならば、いっぺんに多くの人々を幸せにすることができない職業であるから。そんな俺もスキー場では多くの骨折・脱臼者に手当てをしたなあ。なお、スキー場パトロールとは、ゲレンデという場所を実質的に実効支配可能な能力を持ち備えた有益な組織だと思うけどなあ。

 まずは、組織員16人ぐらいが、常に無線で結ばれていて、ゲレンデ内のどこに誰がいて何の作業をやっているかという経験は、多くの果報を俺にもたらせたと思うよ。その組織力は実質的にはスクールよりも多くの面白いことがある、と思う。しかし、現実的には、世のスキー場においては、常にスクールが上に立ち、パトロールはその下という価値評価の存在が推測される。そして俺の言語能力は、鬼軍曹住安誠によって、高められた、という現実がある。まず聞く能力が開発された。ありがとうな、安さんっ!

 もう一度整理



 私の経験は世のために役立たなければ意味が無い、それが正しく役に立つことを限りなく追求した、二流の男の主張。

 “EXILE USA”って何だ?とうとう魂をアメリカに売ってしまった、ということか?そうであるならば、EXILEに受け渡されるのは“はっきり言って~はっきり言って~はっきり言って~どうなんだ~”精神からすれば、価値低しという評価。なお既存の大企業、TOYOTAとも結託していて、明らかに社会における有害化の可能性が生じている。TOYOTAの宣伝で見受けられる、敵視の表情は、一体誰に向けられた目つきなんだ?そしてTOYOTAとEXILEにある共通したこととは、既存で古びた組織、ということか?そしてEXILEに聞きたいことは、その敵視の奥に眠る欲求が満足された結果、世に有益なことを生み出す実力はあるのかな?ということ。そしてTOYOTAが自分達組織体を再認識してもらいたいことは、ブルー・カラーとホワイト・カラーの賃金差を生み出し、労働者を酷使し、搾取することによって、利益を上げている企業という現実。日本の高いGDPを生み出している源の一つとの評価もまああろうが、私はTOYOTAが利益を上げることによっては、あまり利益が与えられないという現実がある。いいよな、TOYOTAの正社員は。

 私が存在しなくなると、世の中には明らかなる空虚が生まれる可能性がある。私がいなくなってから、その価値を知る、という最低にほど近い行為は決して行ってくれるな。

 私のような人間は、役割が無いと社会では烙印を押され、置き去りにされがちだが、そういうわけではない。

 私は民主主義・自由に、できる限りの平等(最低限の機会均等の実現)を追加しようと試みる者、そして、天皇が象徴天皇制として認められるべきであると考える者。そこにおいては、既存のアカ・右翼の区分が無い。そして私は決して共産党ではない、なぜならば、私はマルクスの資本論に何の価値があるのか?と疑う者であるから。中華人民共和国はマルクス思想についてどのような実質的評価を持つのかが興味がある。マルクスの無意味さを、説明できる、文学的成熟はその国家においては体現されているのであろうか?私には、言葉の節々を見るだけで、もはやマルクス思想は無意味であると評価できると考える、私には本の1ページの面を見て、その著述に高い価値があるのか無いのかを、まずは文体をもってして評価できる能力が元々あるみたいで、その理由をとくとくと語ることは可能である、その理由をとくとくと語る能力は経験によって培われた。中華人民共和国にそのような実力が無いのであれば、あの有害な少将の行おうとしていることにはまるで価値が無い。

 最低限の機会均等とは、どの家でも子供が大学に行ける収入を実現できることである。

 そして、単にアメリカを敵視する中国と、TPPに中国が加わることによって、お互いの共存を模索するアメリカの方が価値が高い、という現実がある。 なお北朝鮮人民共和国の正恩氏には、一人の年上の役人らしい人間に話しかけられて、表した表情には、明らかな善意と素直さを確認することができた、そこにおいては、金正日よりも明らかに指導者の性質としては、高いものを感じる(柔和さなど)。正恩氏によって、導かれるべきことは、北朝鮮国家において、産業が作り出され、それが運営されることで、経済成長がもたらされ、その先においてできる限りの平等の状況がもたらされることである、それらが実現されれば、正恩体制もまあ悪くは無いであろう。

 まずは北朝鮮は、日本の麻薬密輸犯2人を釈放した、という現実がある。それらは、北朝鮮でどのように意思決定がなされたかが解明されるべきである。

 私は北朝鮮の組織構造を明かされれば、それらをより改善できる能力が私にはあると感じる。

 アメリカ・韓国・中国・北朝鮮・ロシア・日本による、六カ国協議をそれらの、体制の違う国家での、意見の交換場とすることには価値がある。そして六カ国協議は、そこにおいて、国連とは違うあり方で価値を持ち得る、とも考える。今まさしく新しい時代として、試みるべきことは、国家主義を超えることである、と考える。
 
 米国と日本の友達関係は長い年月を重ねて形成された。 東京に人々が集まりすぎる状況は、分散されることが相応しい。 なお、伊藤忠商事において、私に価値を見出さなかった人間は価値が低い。 私は14年も執筆活動を行って来た、という現実がある。そして、私のアリバイが成立されるためには、私は書き続けなければならない。今のところ私には、27作品と、膨大な他の著述の記録がある。 週休2日制で週5日勤務として換算すると、私は一日当たり14.4時間も作業を行っている、という現実がある。

 私には、私の故郷が都営団地乱立地区であったために、自然と平等を志向する傾向が具わった。

 無益な者達には、分相応の無益が与えられるのが相応しい。

 なお、私は、多くの私益の温存をはかる器の小さい者から敵視されているであろうことも感じている。私益が多く温存されているのは、・・・、そしてそれらは容易には解体されない。

 拉致問題、・・・国と国の関係性を考える上ではあまりに小さな過去の出来事。拉致問題の存在が理由で、北朝鮮を有害な国家と考える政治家は、あまりに器が小さい政治家。器の小さい政治家としてまずはすぐに頭に浮かぶのは安倍。あまりにも稚拙すぎる、弊害だらけの日本復活を希望する者。この人間は、政治家としては、あまりに考え及ぶことが少なすぎ、資質が問われる。そこら辺から閨閥との癒着が大きいと推察する。自由民主党は、私権ばかりが目立つ政党。民主党の議員の目や口を歪めた映像を作り出した者は、そういうことを行うこと自体そいつそのものの方がもはや精神が健康ではない。自民党も民主党も・・・。なお、韓国・北朝鮮の血がある程度含まれる者は、日本社会そのものに受け入れられたい、という願望があるのは当然である。下層社会の者は、閨閥と対決することが相応しい。

 ネット上には明らかなる差別が蔓延している。日本が中国に売られる?考えられない。帰化人には帰化人特有の日本人に明らかに差別されている、受け入れられない、という、彼らにとっては解消されたい問題が現実的に存在している。

 小沢氏には、韓国人の血が多く含まれている、ということであるが、そこにおいては、日本と韓国両国にとって都合がいいことではないか?そこに北朝鮮も加わるべきである。そしてアメリカ・中国・ロシアが加わるべきである。そして東南アジア人を安い労賃で労働者として雇い搾取を行っている者の方が罪が深い。そしてそこに東南アジアが加わり、インドが加わり、中東が加わるべきである、そして欧米、北米、南米、アフリカが加わるべきである。解消されるべきことは無益な国家主義である。しかしそのようなことを、日本の支配階級が選択するようなことは、絶対にと言っていいほどに有り得ない。

 たちあがれ日本で確認できたことは、ほとんど全ての人間の表情の表現の能力の欠落とあさましきド素人の作り笑い。勉強しかして来なかった奴らは、勉強のことだけやってればいいんだよ!しかし平沼氏だけは本気の顔は確認した。しかし正しく野合連合。尖閣なんかどうでもいいんだよ!あそこは明治38年に日本に編入された土地である、ということが実際のところ。しかし韓国側のその実効支配の行使において、多くの日本人が殺害されたことは、遺憾である。しかしそれは、日本と韓国が乗り越えるべき過去の歴史である。

 無益な中間搾取者は排除されるべきである、それは、例えば、警備会社で見受けられた。私には、8000円が与えられ、警備会社が7000円搾取していた。そこにおいては、労働者が9000円もらい、警備会社は1000円ぐらいを手間費として、受け取ることが相応しい。

 なお、私は、私が書いている小説においては、ある国の人を差別する表現があるが、それは小説上の登場人物の心理であるだけであって、私には、韓国人・中国人・北朝鮮人に対する一切の差別感情が無い。北朝鮮には過去に拉致という罪があるのは事実であるが、それが理由で北朝鮮との関係改善を一切考えないこともどうか、と思う。北朝鮮との関係改善が実現されれば、そこに拉致問題解決、ということがついてくる可能性が大きい。

 堤義明の言動を見て、そのバスを空から監視するやら、 「頭のいい奴は要らない。物事の判断はすべて私が行う」 「どうせもう崩壊って言われてんだ。崩壊したら崩壊したでいい。また一から作り直せばいい」(平成不況期に) 「(西武鉄道上場について)何でかわからない。そういうことも含めていろいろ甘かった」(引退会見にて) 「来年以後も監督がやりたいならどうぞ」(1989年10月、西武ライオンズ監督の森祇晶に対して。森は監督としてライオンズを1986年から1988年と1990年から1992年まで2度も3年連続日本一に導いた。1989年は終盤まで優勝を争ったもののパ・リーグ3位で終わった) 「もったいないから、少しでも高く売れ」(上場維持のために裏で株を売らざるを得なくなったときに下した部下への命令) 「土日位きちんと休ませろという諸君はうちの会社にはいりません。」 「A型は安く使うだけ使って捨てればいい。日本社会はB型が優遇されるべきだ。」ああ価値が限りなく低い言動ばかりだ。なお俺はA型だが、何で使われるだけ使って捨てればいいんだよ!この野郎!日本社会はB型が優遇されるべきだ。?ねぼけたこと言ってんじゃねーゾぼけ!そして日本には閨閥という解消されるべき実行支配グループが存在する、ということだ。そして堤義明の言動には侮蔑の気持ちを感じざるを得ない。

 閨閥という存在はまさしく敵視されるべき奴らである。