そしてさらにコルカタの中心に迫る。

 

 

 

「Lok Bhavan, Kolkata লোক ভবন, কলকাতা」

 

 

 

1803年に建てられたかつてのイギリス領インド帝国の総督官邸。イギリス帝国権力の象徴。

現在は西ベンガル州知事の公邸。

 

 

 

さすがのデカい敷地とそれを囲う立派な柵や門。

 

 

中央の建物は立派だったが、正面に門番がいたので写真を撮るのはやめにした。

 

 

この辺りは「B.B.Dバック」と言われるエリアである。

 

 

 

 

 

(解説)

 

 

 

 

コルカタの中心業務地区であり、イギリス植民地時代にはダルハウジー広場(Dalhousie Square)と呼ばれた歴史的な場所。

1930年に当時の官庁(ライターズ・ビルディング)で、イギリス人の刑務所局長を暗殺した3人のベンガル人革命家、ビノイ(Binoy)、バダル(Badal)、ディネシュ(Dinesh)の頭文字から名付けられた。

1690年にイギリス東インド会社が商館を開設して以来、イギリスのインド支配の拠点として発展。

1772年から1911年に首都がデリーに移されるまで、イギリス領インド帝国の中心地だった。

 

この辺りの見どころとしては「ライターズ・ビルディング」らしいので、そちらを目指す。

 

 

 

 

「セント・ジョーンズ教会」が見えてきたが、入って見学する体力はない。

 

 

(セント・ジョーンズ教会 解説)

 

 

 

1787年に東インド会社の公共教会として建設。

コルカタで最も古い教会の一つ。

インド初代総督夫人の墓や、多くの高官、東インド会社の職員など歴史的人物の墓があるという。

 

 

 

「B.B.Dバック」はイギリス統治時代の歴史的な建造物が数多く残っていることから、別名「屋根のない博物館(Open-air Museum)」と言われているという。

なるほど。聞いていた通り、イギリス植民地時代の建物が驚くほど多く並んでいる。

 

 

開けた公園。

が、清潔度はそこまで高くなく、確かに落ち着いた雰囲気はあるが、地面に犬が寝転んでいて油断はできない。

 

 

中央にある「Lal Dighi」という池。

音楽をイヤホンで聞きながらくつろいでいる人がいるなど、市民の憩いの場になってそうだが、池の水はあまり綺麗そうではない。

 

 

先程のビクトリア・メモリアルの敷地の池は有料だけに流石に綺麗だった。

 

2026/4/1① コルカタ2日目 セント・ポールズ大聖堂、ビクトリア・メモリアル。像・碑巡り。 | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ

 

 

隣接する広場では若者が楽しそうにクリケットをやっていた。インド人はクリケットが好きだね。

 

そして目的の「ライターズ・ビルディング」に到着。

 

 

写真は木に隠れてしまったが確かに立派な建物。

 

(解説)

 

 

 

街の象徴的なランドマーク。

1777年にイギリス東インド会社の「ライター(記述員・事務員)」たちの宿舎およびオフィスとして建設。これが「ライターズ・ビルディング」の名の由来。

その後、英領インドの行政機関が入り、1911年に首都がデリーへ移転するまで、植民地支配の政治的中枢として機能した。

1930年には、3人の青年独立運動家(ベノイ、バダル、ディネシュ)が潜入し、悪名高き監獄総監を射殺した事件の舞台となる。「BBDバーグ」の名の由来はこの3人の頭文字。

インド独立後は、西ベンガル州政府の本庁舎。

そのため、観光客は立ち入り出来ない。

私も結局は外を見るのみ。

この他にもこの周辺は立派なイギリス植民地時代の建物が…

 

 

 

多すぎて本当に建物の博物館みたいだ…圧巻。

 

そしてこの辺り最後の目的地「Calcutta High Court কলকাতা হাইকোর্ট」を目指す。

 

 

 

しかし、ここまでの道は途中から飲食系屋台が並ぶ道となる。

にしても、衛生度が低すぎる。私の中で屋台飯を試そうという気は微塵もわかない…

こっそり撮影。

 

 

 

そして「Calcutta High Court কলকাতা হাইকোর্ট」。

日本語に訳せば「カルカッタ高等裁判所」

建物は必見と聞いていたが、確かにすごく立派な建物だった。

 

 

 

 

 

(解説)

 

 

 

インドで最も古い歴史を持つ高等裁判所。1862年の設立以来、ベンガル地域だけでなくインド全体の司法の象徴として重要な役割を果たしてきた。

2001年に都市名がカルカッタから現在のコルカタに変更されてからも「カルカッタ」の名前が残っている。

 

辺りをハリーポッターみたいにマントを羽織った黒装束の格好をした人が多く歩いていた。法曹関係者なのだろうか。

 

 

にしても、建物の前にはすごい数の車が駐車していた。車間距離はギッチギッチで間を歩いて通り抜ける事ができなかった。

 

こちらは別の場所の写真だが、インドではギッチギッチの車間距離での駐車をよく見かける。

 

 

内側に挟まれた車はどうやって発車するのか?トラブルにならないのか?

そう思っていたらこの後「こんなところに止めたら私の車が出れないだろう!」と軽く揉めている現場を見かけた。

 

インドでは言い争っている人の姿をよく見る。

インドに来てから1日数回は目にしている。

 

 

(インドでは日本より喧嘩が多いのか)

 

 

 

まぁ目にする機会が多いという感覚は間違っていないようだ…巻き込まれないように気をつけよう。

 

そして近くにこの像。

クディラン・ボス Khudiram Bosuという人。

 

 

 

 

インド独立運動における最年少級の革命家の一人。

ゴリゴリの武闘派。イギリスにより18歳で処刑。

 

歩き疲れた…

最初の「セントポール大聖堂」からずっと歩いている。10kmは歩いてないと思うが、炎天下がつらかった。

 

 

この時点で15時半。今日も昼ごはんを食べていない。

軽く食べるか観光を続けるか少し悩んだが、これからの目的地の営業終了時間が頭にちらつく。

このまま観光続行とした。

 

 

タクシーで「ティウ・スルタン・マスジッド Tipu Sultan Masjid」を目指す。

路駐のないタクシーを拾えるところを探して暫く歩いていたら州政府事務所の前だった。

このあたりはやはり行政機関が多い。

警備員の目が気になったがなんとかタクシーと合流。

 

 

今回のタクシーの運ちゃんは、ジャパニーズマネーがうんたらかんたらとずっと金の話をしてきた。

マジ怖かった。

見れば比較的低評価の運転手。低評価とわかった段階で配車をキャンセルするのも手。

 

「ティウ・スルタン・マスジッド Tipu Sultan Masjid」

 

 

外観がカッコいい。

 

(解説)

 

 

 

宗教を問わず観光客が訪れることができるということで少し安心して行ってきた。

 

 

ローカル感の強い通りに入り口がある。

 

 

確かにとがめられず中に入れたが、ハイライトは外観かもしれない。

お祈りしている人もいたようだが、横になって休んでいる人が多かった印象。

 

その後、礼拝を呼びかけるアザーンが流れているのを聞いたが、こんなに大音量で流してインドではトラブルにならないのだろうか。

コルカタはインドの中では比較的イスラム教徒が多いとは聞いたことはあるが。

 

 

(コルカタはインドの中ではイスラム教徒に寛容な都市なのか)

 

 

 

やっぱり寛容なんですね。

 

 

モスクの横でタクシーを呼ぶ。

 

 

タクシーを待っている間、目の焦点の合っておらず歯がほとんど残ってない貧しそうな60〜70代の男性が現地語でこっちにベラベラとしつこく話しかけてきた。

反射的に日本語でキレてしまった私。

ダメだ怖すぎる…

 

この辺りというかコルカタは外国人はあまり見かけない。

私は絶対悪目立ちしている。

とりあえず、基本的に大丈夫なんだろうけど警戒心Max。

 

次はある意味コルカタ観光のハイライト。

明日は休みなのでなんとか今日見たかった。

 

 

「マザーテレサハウス」

 

 

 

マザー・テレサが1950年に創設した修道会「神の愛の宣教者会」の本部です。彼女は1997年に亡くなるまで人生の後半を過ごし、現在はその墓所としても知られる聖地。

 

 

 

(マザーテレサ 人生)

 

 

 

 

個人的には彼女がアルバニア人というのが驚いた。

彼女の時代はオスマン帝国領だったようだが。

私が中学受験の時、入試の社会科のテストでマザーテレサの名前を書く問題が出た記憶があり強く印象に残っている。受験後、程なくして亡くなって少し悲しい気持ちになった思い出。

 

「マザーテレサハウス」

 

 

 

 

 

今もマザーテレサの志を受け継いで活動がなされている。

マザーテレサと同じ格好をしたシスター達が建物内を動き回ってお仕事をされている。

邪魔をしないように観光。

 

一階にマザーテレサの活動のまとめや彼女の愛用品の展示室があった。

勉強になる。

 

また、彼女の仕事場兼私室を覗くことができたが、事前に聞いていた通り手狭な質素な部屋。

彼女は誰でもいつでも話しかけて良いと自室のドアは開けっぱなしにしていたらしい。

また、亡くなったのもこの部屋で、案内板に最後の息を引き取る瞬間について克明に描写されており、その姿が実際目に浮かぶようで複雑な気分になる。

 

マザーテレサの墓のみ写真撮影可能。

 

 

入場料無料だが、思うところあって寄付をしたおいた。

彼女はインドの貧しい人たちを助けるためにインド国籍まで取得している。

私は今回の旅で道端で物乞いをする人々に喜捨をする気はあまり起きなかったのは前述の通りだが、無私・奉仕の精神でインドに尽くした彼女の志の高さに対しては尊敬の念をいだいた。なかなか人のできることではない。

 

寄付したら帰りにカードをくれた。

 

 

別に寄付してない人ももらっている気がしたが…

ありがたく持って帰らせてもらった。

 

人生苦しい時にこのカードでも眺めて、インドや彼女でも思い返すか…

インドの貧しい人の経験する理不尽さに比べれば、私が日本で経験する理不尽は大したことはないこの旅では感じた。

 

インドに来ると人生観が変わるという人もいる。

個人的には人生観が変わったとまではいかないけれど、より自分の人生を他の視点から見れるようになった気がするのでそういう意味では少しは変わったと言えるのか?

 

 

少し北に歩いていくとマザーテレサが建てて現在も活動している孤児院がある。

 

「Nirmala Shishu Bhavan (Missionaries of Charity)」

 

ここも建物は青色なんですね。

 

 

中に入って孤児と触れ合うこともできると聞いたが子供と触れ合う体力も志も時間も特にはないですし…

 

建物の写真を撮っていたら、どうした?という感じでスタッフが出てきたので慌てて退散した。すみません…

 

 

 

この日も観光の連続。

とても疲れた。

 

タクシーでコルカタで一番大きいショッピングモールという「Quest Mall」。

 

 

中は本当に綺麗なモール。

ああ、安心する…

アルマーニ、ロレックス、スワロフスキーなど海外高級ブランドが入っている国際的にも認められいるモールらしい。

 

 

 

当然ゴミなど落ちていない。

 

地面にゴミが落ちてないってこれだけ安心感があるものなんだな。

日本は日本で色々うるさいとこあるけど、自然に後片付けができる日本人はそれだけで素晴らしいと思った。インドは街歩きが本当につらすぎる…

 

結局、やっぱりバーガーキング。

 

 

最高でした。

 

 

この後近くのヒンドゥー教寺院を覗きに行こうかと思っていたが、とても疲れてしまった…

インドに来て「疲れた」ばっかり書いている。

 

まぁ、そもそも今日は体調が万全ではない。

 

結局、モールの地下のスーパーで買い物して帰ることにした。

 

飲み物中心にまぁまぁの量を買ったが、結局このスーパーもとても綺麗だったが、一昨日行ったスーパーと同様、値段は安価だった。

 

2026/3/31 デリー4日目 ラージ・ガート、アクシャルダム寺院。その後、空路でコルカタへ | 歴史好き感染症科医の旅行ブログ

 

 

タクシーを待っている間に目の前にローカルバスが滑り込んでくる。

 

 

インドのイメージ通りのバス。

この辺りは本数が多いようでギチギチに混んでる様子ではないが、車体も車内も薄汚れているし乗り心地は良くなさそう。

 

ホテルに帰ってテレビ見てたら高市総理が出ていた。

 

 

日本ガンバ。

 

インド不信になりつつあるのでインドを知るためにYoutube動画を見た。

 

日本語がペラペラのインド人が率直にインドについて答えていくという趣旨のものでインドについて多少なり理解が深まった気がするが、結局このインド人の方も「毎朝目が覚めると日本にいることに感謝する。日本は天国」と言っており、インド人でもインドは過酷な環境と思っているといるようで、なんだかなぁという気分に。

 

https://m.youtube.com/watch?v=_9xiK4bL6SU&pp=iggCQAE%3D

 

https://m.youtube.com/watch?v=ligbx23DsMk&pp=iggCQAE%3D

 

早めに就寝。