ザマーレックの老舗喫茶店Simonds とプリンス・ハッサン | エジプトの旅行会社 トライウェイズトラベル

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プリンス・ハッサンは、約150年続いたエジプト最後の王朝、ムハンマド・アリー朝のメンバーで、

2000年に出版された回想録『In the house of Muhammad Ali  A Family Album 1805-1952』の

著者 Hassan Aziz Hassanです。

 

 

最近になり、プリンス・ハッサンが、人と会う場所は、

老舗喫茶店のシモンドスを好んだというのを知りました。

 

プリンス・ハッサンはシモンドスで常連客と挨拶を交わし、

エスプレッソをすすっていたそうです。

 

びっくりびっくりびっくり

エジプト人はSimonds をシモンドスと呼びます。

(ブランチは違うけれど)こちらへ来た頃に通っていた

なじみの深い喫茶店コーヒー

 

リニューアル前のザマーレックのSimonds  

シモンドスは、1898年創業のおじさんたちの社交場で、

ザマーレック、ダウンタウンに位置するシェリフ通り店ともに著名人が集まる老舗喫茶店でした。

(歌手のオンム・クルスームも来ていたそうです!)

そこに元プリンスが通って来ていたなんてびっくり

 

 

8年前にシモンドスについて書いたブログに追記して、

常連さんには、50年以上、ダウンタウンに住み(←ステータス)、

シモンドスに通ってきているマリク(王様)と呼ばれているひとや、

テレビのコメンテーターとしても活躍している定年後の大学教授。

そして、元外科医だとか、有名な音楽プロデューサーなど、

有閑マダムならぬ、おじさんたちが毎日集い、おしゃべりに花を咲かせています。

 

おじさんたちに加え(紅一点といってもいいほど!)、

女優業を引退して久しいアマル・ファリードも通ってきていました。

 

朝、その常連の面々が手をあげ、握手をし、

ときには、互いの両頬を合わせる挨拶を交わす様子は、

にぎやかで、活気があり、毎日見ていても、エジプトっていいなぁと思えた風景でしたおねがい

 

驚いたのは、ダウンタウンに住むマリク以外、ヘリオポリスや、アッバセイヤなど、

距離のある場所から通ってきていたひとたちが多かったことです。

シモンドスで過ごすことが、有閑おじさんたちの大事な日課だったのですね。

 

時が流れ、大好きだったマリクと呼ばれていたおじさん、

ザマーレックとシェリフ通りのシモンドスに日替わりで来ていた、

老いた姿を撮られるのはごめんだと一度も写真を撮らせてくれなかったアマル・ファリードは、

もう亡くなってしまいました。

 

いまでは、スタッフも店も変わってしまい、足が遠くなってしまいましたが、

久しぶりに足を運びました。

 

コロナのため、現在は、テイクアウト、デリバリーのみで、

店内には、椅子もテーブルも置いていませんキョロキョロ

ただ、ひっきりなしにお客さんがコーヒー、

エジプシャンスイーツを買いに来ていましたデレデレ

 

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プリンス・ハッサンは、1952年の革命後、

エジプトに残った数少ないロイヤルファミリーでした。

 

 

ムハンマド・アリー朝のイスマイールのひ孫で、フアードは大叔父、

エジプト最後の実質の王ファルークはいとこにあたります。

 

イスマイール

フアード王

ファルーク王

 

4人きょうだいの末っ子として、1924年イタリアで生まれたプリンス・ハッサン

 

父は、ハッサンが1歳の時に亡くなります。

母はスペイン人で王室とは一切関係のない一般のひとだったため、

父が亡くなったあと、王室の判断で、母から離され、厳しい大叔母の元で育てられます。

 

夏は、アレキサンドリアにあるモンタザ・パレスでフアード王の子供たち、

未来の王になるファルークたちと遊んでいました。

 

イギリス、トルコで教育を受け、

アラビア語よりも、英語、フランス語のほうが流暢だったそうです。

 

王政崩壊後、メンバーはすべての肩書と特権を奪われ、

王室の所有物はすべて政府に没収され、

画家として生計をたてていました。

厳しい制限があり、エジプトではなかなか展覧会が開けなかったのですが、

外国人が彼の顧客になったそうです。

 

母とは生き別れ、

革命後、第一次中東戦争の従軍経験もある兄が自殺、姉のひとりはトルコへ

もう一人の姉の家族と一緒にカイロに住んでいました。

 

回想録には、貴重な写真とともに、

ムハンマド・アリーをはじめ、歴代の祖先について、

彼とあまり歳が変わらないいとこたちのこと、

彼らの華やかなパーティーや生活、女性たちの宝飾品、

身内しか知りえない彼らの性格、

今はもう存在しない宮殿のこと、彼らの住まいについて書かれています。

 

本を買ったのは、同じロイヤルファミリーの

女優のように美しいファウジィーヤのことが知りたかったからでした。

 

ファルーク王の妹ファウジィーヤ

 

プリンス・ハッサンの実体験で、本の中で印象に残っている部分が、

亡命後、ファルークがローマで亡くなってからの話です。

 

イスマイール以降の主なロイヤルファミリーのお墓は、

リファーイーモスクにあり、ファルークもそこで眠っています。

ただ、当時、リファーイーモスクへの埋葬がナーセルに許可されなかったため、

ファルークは、一旦、ムハンマド・アリーの息子たちが眠る墓地へ葬られました。

 

周りには、墓しかない、さびれた場所にあるその墓所に

亡骸が到着したのが、午前2時頃で、

エジプト最後の王だったファルークの遺体を待っていたのは、

ファウジィーヤ、その夫と妹、プリンス・ハッサンを含めた親族数名だった話が印象に残りました。

 

 

プリンス・ハッサンは2000年の本の出版の数日前に亡くなっています。

 

君主制が崩壊した後だからこそ、書けたこともあっただろうし、

崩壊後、大変な思いをしていても、ロイヤルのプライドや秘めた思いなど

書かなかったことのほうが多かっただろうな。

生きていらしたら、シモンドスでお話しを伺いたかったです。

 

プリンス・ハッサンは、名もない王子たちの墓へ入ることを望み、

墓碑銘には名も刻まれていないそうです。