オタまにPhilosophy -8ページ目
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思い出は、美しき二輪なり

GPZ250R

デザイン学校の学生時代にバイクのリアルイラストレーションの課題が出たのだが恥ずかしがらずに「ハリケーン」とか「クルーザー」とか「ガーランド」を描いておけばよかったといまだに後悔している(当時は某大事件のおかげで、いや、それと関係なくしても「オタク」はなにかと肩身が狭く感じていた人も少なくなかったのだよ)

そういえばそうだったのかも…くらいの記憶しかないのだけれど、80年代半ばはバイクブームのピークだったようで、国内の4大メーカーは原付から大型まであらゆるジャンルのバイクをカタログに並べていた。

どのモデルを描こうか…生まれて初めてバイクの雑誌を買い、候補に挙がったマシンは4台あった。

その中でも抜群に個性的で美しかったのがこの一台。

…といいながら自分は別のマシンを描いたのだが(笑)それはまあ置いといて

課題提出時に親友が、たまたまこのマシンを描いていて驚いたのが懐かしい思い出となっている。


シンプルで斬新なシルエットを構成する線の繋がりは、美しさの中に軽快で鋭い躍動感を内包し、他のマシンにはない存在感を示す。

1985年に販売された個性的なシルエットを持つこのマシンの名は KAWASAKI GPZ250R

当時のレーサーレプリカ人気の影に隠れてしまい、一般のライダーには不人気だったようで、わずか1年ほどで生産中止となってしまった。

バッタみたいで嫌だとか、当時の流行と固定観念にとらわれてこのマシンにそっぽを向いたライダーたちや、これからライダーとなる人たちに見てほしい。

性能はともかくデザインだけならば現在でも第一線級だとおもいませんか?


余談だが兄貴分のGPZ400Rは大ヒットし、後継モデルのGPX400Rがコケて早々と生産中止した後も生産され続けたロングセラーバイクであった。




憧れの白いハヤブサ

ファルコラスティコ

第26回東京モーターショー

パールホワイトの近未来的フォルムをまとった1台のマシンがスズキのブースに展示された。1985年 まだ走行さえできない状態にもかかわらず周囲の脚光を浴びたそのマシンの名は。

FALCORUSTYCO

ファルコラスティコ(ラテン語でシロハヤブサの意)という。

スタイリッシュなシルエットは自分には非常に衝撃的だったのだが、「一般の興味はもっぱらメカニズムに集中した」と当時ファルコを特集した雑誌の記事にある。


10年待てばこんなに美しいバイクが走る時代がくる!

憧れた。

10年後、1995年を待ち遠しく思った。

1987年に発表された「NUDA」という名のコンセプトモデルは、当時流行り始めた秩序の無い不安定な3次曲面を多用したシャンペン・ゴールド?のボディーをもつ重量感のあるフォルムで、この車体を目にした瞬間、不安になった。

いやな予感は的中し、美しい白ハヤブサが再び地上に舞い降りることはなかった。 

1999年「GSX1300隼」という鈍重な粘土の塊のような大型バイクが発表、市販される。

このバイクのどこが「ハヤブサ」なんだよ?

少年の未来への期待は見事に裏切られ、失望を通り越して絶望へと変わったのでありました。


最近「グレート・メカニック」というアニメのメカニック系のムックに自分が尊敬する漫画家のひとりである田中むねよしさんがファルコラスティコのイラストコラム?を描いているのを発見!とても嬉しかった。






日本が世界に誇る美しきマシン [2台目]

OX99-11

幻のレーシングカー、日野サムライプロト。

この名を継ぐスーパースポーツがついに出現した!!

…と、思わず叫びたくなる美しいロードゴーイング・カーのプロトタイプがバブル末期の1992年に発表された。

YAMAHA OX99-11
日本屈指のレーシングカー・デザイナー、由良拓也によって生み出されたそのフォルムは日本人特有の感性と精神であればからこそ生み出せたものだと感じるのだ。

空気を切り裂くというよりも受け流し華麗に交わすといった印象の、品のある滑らかさに強靭な戦闘力を織り込んだインパクトのある美しい「線」で紡がれたものだ。

(頭の中をネスカフェのCM曲が流れ続けるのはなぜだろう?(笑))
当時、いや、現在も「日本が世界に誇る究極の一台」だと思っている。

しかも、トヨタではなく、日産でもない。そのボディに誇らしく輝くのは「ヤマハ」のエンブレムなのだ。

この車もサムライプロト同様、宝石のように輝く真紅を纏っており、コンパクトで超絶に美しいその車体には日の丸のステッカーがさぞ似合うことだろうとおもうのだ。

発表時、市販を前提としたプロジェクトであるといった記事が様々な誌面に掲載された記憶がある。

市販されたとしても1億は下らないだろうとも言われていた。
もしも搭載されているエンジンがV123500cc(このエンジンの名称OX99が車名につながっている)などというモンスターではなく、チューンされた1300ccくらいにしておいてで700万くらいだったなら…とか当時考えたりしたものだ。

バブル崩壊の影響が大きく響き、市販計画は中止の記事を読んだときはちょっとショックだった。

ボディカラーはレッドとブラックの2種類の存在を雑誌で見た記憶があるがそのほかにも存在しているのだろうか…?

トヨタ7みたいな純白ボディも美しいだろうなあ。


21世紀に入って早5年。小気味良く綺麗にまとめられた国産車がそこいら中を走り回っていているがインパクトのあるマシンはなかなか現れない


国内のカー・デザイナーたちよ、頑張ってくれ!


エコが叫ばれ電気自動車がよく話題に上る。

何をいまさらとい言いたくなるときがある


今こそ痛快な動力性能にOX99-11のような美しさを兼ね備えた超軽量の「スーパー・スポーツ」を登場させるチャンスなのでは?などと考えてしまうのだが、どんなものだろうか。

ヒノサムライという名のレーシングカー

サムライプロト

この車の名前を覚えたのは中学校の頃だろうか。
弟が買ってきたゼンマイ動力の100円プラモデルのパッケージにこの車名が印刷されていたのを鮮明に記憶している。

このプラモデルの残骸(シャーシーと屋根が破損し原型を失ったボディの2パーツだけなのだが)を俺はいまだに大切に持っている。

今はバスとかトラックしか生産していない日野自動車だが1960年代にレーシングカーを作って日本GP等のレースに参加していたのだ。

ヒノサムライは赤くペイントされた誰もが一度見たら忘れられない(と俺は思う)。

レーシングカー・デザイナー、ピーター・ブロック氏デザインの非常に美しい流麗なフォルムをまとった車だ。 当時の日本人のセンスはこんな美しいボディラインは描けなかっただろう。
残念なことに車検を通ることができず、レースに出走することなく消えた悲運のレーシングカーである。

もしもこのクルマが出走していたならば、たとえ、入賞できなくても、たとえ、リタイアしたとしても、多くの人々の記憶に焼きついたであろうことは間違いない。
ふとそのことを思い出して検索したら、日野のモータースポーツの歴史をまとめたサイトを発見した。

このサイトに当時の事を知る鈴木孝氏が書いた「ロダンとヒノサムライ」というタイトルの寄稿があって、短い文章だけど読ませてくれます。

http://www.hinosamurai.org/Contents/welcome.html  
こんな感じでデザインと芸術とが融合したドラマティックな短編小説とかを書くことができたらなあ…とか考えてしまった。
ヒノサムライ。日ノ本のサムライ 。

HINO SAMURAI

可能性は限りなくゼロに等しいが、日野自動車といすゞ自動車には1モデルでいいから各社のエンブレムを輝かせた美しく華麗な乗用車をいつか再び世に出してほしいと願っている。
日本人ならトヨタ2000GT117クーペと一緒にぜひこの名前を記憶しておこう。

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