『よぉ~ぉクラリスぅ!』『おひさしぶり!おじさま☆』…
1年以上前の情報なので何を今さらと思われる方もいらっしゃるかもしれない。
けれど、価値ある情報を一人でも多くの人に知ってもらうには、ひとつきっかけがあるごとに繰り返し発信するべきと考えたりするのだ。
FIAT TREPIUNO
2004年のジュネーブショーで発表されたコンセプトカーである。
クルマに興味を持っていない方の中にも「おや?どこかで見たような…」と思われる方もいるのでは?
モチーフとなっているのはフィアット500(チンクチェント)。
アニメ「ルパン三世~カリオストロの城~」で大活躍した可愛いイタリアの名車である。
ひとまわりサイズアップしてはいるが、それでも全長3.3mと小さい小さい(笑)
基本的には3人乗りで、「ぎぅ…」と無理矢理詰め込んでギリギリ4人の3+1シート。
まさにルパン、次元、五右衛門(と、クラリス)のために造られたといってもよい?車だ。
2006年以降に市販予定があるといわれているが、はたして?
ART Force 再び!?
「Art Force SILVIA」のキャッチコピーを記憶されている方は多いと思う。
S13型シルビアのCM以来(※もしかしてそれ以前にこの手法の車のCMってあった?あったら誰か訂正してくださいね)
このCMの手法を使用したコマーシャルが何本作られたことだろう。
5代目シルビアは、そのCMにふさわしく以降の車のデザインに絶大な影響を与え、大ヒットした。
それだけ効果があるから真似たCM作りをするのだろうけど、最近はCM見ていても、
『あ、そう』
『ふうん…』
としか反応できない「新型」が多い。
個人的にはおなかいっぱいなのです。
んなCM作るなら、
「待っていたよ!」
と歓迎できるクルマで魅せてください。
さて、またもモーターショー2005に出品される1台を紹介。
日産 フォーリア
人気があれば、シルビアの後継車種として市販化もありえるらしい。
デザイナーは否定しているらしいが明らかに初代シルビアをモチーフにした造形に見える。
いいじゃない、それでさ。
以前発表されたランチアのコンセプトカー「フルビア」にインスパイアされている感じもする。
もしもそうなら、それでもいいじゃない。
6代目(S14)、7代目(S15)とS13以来続いたキープコンセプトのシルビアには閉口していたんだよね…
清潔感あふれる上品でスポーティなデザインには好感が持てる(ボディカラーのせい?)。
このまま市販されたら、女性に人気が出そう。
でも2~2.5ℓのパワーは不必要な気が。
もうチョイコンパクトになるともっといいのだけど。
Macの横に置きたかった電話
バブルもはじける一歩手前の頃に発売された、とっても欲しくてたまらないデザインの電話機がありました。
でもね、高価だったんですよ。
7万円。
電話機ひとつ7万円。
買えませんよ、そんなん。
最近ふと思い出して、中古で少々傷物になっていてもいいから入手できないものかと画像検索かけてもひっかからない。
しっかり記憶していた名前の電話がネット上に出てこない。
…そんなに不人気だったのか?
いや、それはありえない。
あのデザインは当時の電話機の中でもかなり異端だったはずだが、あのルックスの美しさに衝動買いした人は絶対いるはず。
ルックス…そう、その電話機「ルクス」という名前だったはずなのだ…
「ルクス」←(すでにここで大間違いをおかしている)
幸運にも最近見つけたプロダクトデザインのサイトでついにその電話機に出会うことができた。
Panasonic KURZ
K・U・R・Z…
…ク・ル・ツ
ク、クルツゥ~?
ああはずかしい。
ルクスではなく、クルツだったのでした。
見つからないわけだねえ…
男のロマン
デスラーの名前はデス・ラー。
「死の太陽」ということらしい。
子供の頃からほぼオンタイムで観てきた宇宙戦艦ヤマト。
大人になってからあらためて観る機会が幾度かあったが、気づかぬうちに彼のファンになっていた。
彼を主人公とした作品を見たいなあ。
そういえば昔「デスラーズ・ウォー」という作品が企画されたらしいけど、どうなったのだろ
う…?
芸術の秋、読書の秋、物欲の黒
我が家には自転車がない。
友人が折りたたみ自転車を購入して家にやってきた。
それを借りて10年ぶりくらいで自転車を走らせたらこれがまた楽しい!
スクーター、自転車、本、画材、楽器、工具…欲しいモノだらけである。
ブツブツ物物言う物欲大王のくせに、ビンボから脱出するための努力を怠っている自分がああ情けない(苦笑)
このSTRIDAという名の個性的な折りたたみ式自転車は結構有名なはずなので知っている方も多いと思います。
初めてその存在を知ったのは何かのデザイン誌だったと記憶しているが、「このチャリ欲しい!」と感じたのは松下由樹主演のドラマ「オイシーのが好き」(1989年)のオープニングで彼女が真っ黒なストライダを通勤用のアシとして使用するシーンを観てからだ。
発売当時、東急ハンズに展示されていてその洗練されたデザインはプロダクトデザイン専攻の学生だった自分には良い刺激になった。
ふと思い出して調べてみたら、改良されつつ現在も販売されていることを知った。
お願い、どうか俺が買うまで生産していておくれ。
ストライダはMk1、Mk2ときて現在はⅢ型でカラーバリエーションも3色ある。
価格は5万円前後くらいか。
も少し出せばチョイノリに届くゾ、おい。
恐怖!「1989年スクーターの旅」
免許を取得して生まれて初めて運転したのは自動車ではなくスクーターだった。
友人が卒業制作の材料として知人に譲り受けたスクラップ一歩手前の原チャリ、パッソル(パッソーラだったか?)を友人のアパートまで運ぶために借り出されたのである。
ギヤ付は無理だがスクーターならと快く引き受けたのだが、運ぶ車体を試運転して絶句した。
前後のブレーキがほとんど、いや全くに近いくらい利かないのだ。
♪運が悪けりゃぁー死ぬだけさ~…
そう、ズザザーッと「足ブレーキ!」で30分の道程を乗り切らねばならないのである。
命がけの若葉マークの少年の路上デビューはなんとか無事に終了するわけだが、恐怖のドライブのおかげで数か月分の命がスニーカーのソール数ミリと共に擦り減らされたのだった(笑)
それ以来、スクーターを運転する機会に恵まれていない。
つまりちゃんとしたスクーターを運転したことがない。
天気のよい日にはフンフンと、鼻歌まじりに『黒い』スクーターでドライブがしたいなあ。
と思ったりする。
家からクルマで数分の場所に古い自転車屋さんがあるのだけれど、以前通りかかったとき広くはない店内スペースいっぱいに数台の
SUZUKI Cho ino ri& Cho ino ri SS
(※画像はチョイノリSS)
が展示されているのを見かけた(自転車屋なのに…)
シンプルでクセのないデザインのスクーターが7万円そこそこの価格で購入できる。
3.3psという出力はちと非力な気がするのだけれど、のんびり散歩ライディングにはこの程度がちょうどよいのかもしれないなあ…♪フンフン~
男は黙って真っ黒バイク
イメージカラーは黒。
ファッションセンスがゼロで自分をコーディネートするのが救いがたいくらいヘタなのは自覚している。
周囲に合わせ、流行に合わせて着こなそうとしてもダサダサになるのは目に見えている。
ならばせめてと自分の納得できるスタイルを決めた。
だから季節関係なく普段の自分は黒づくめである。
友人が手に入れたCBR-AEROは今も憧れのバイク。
三十路を過ぎてから奮起して、19、ハタチの若者にまぎれてやっと普通二輪の免許を取得したのは、いくつか大きな理由があるのだが、まあそれは置いておいて…(苦笑)
教習所に行く前に、すでに乗るマシンは決めていたのだった。
CBRに受けた刺激はすさまじく、ライバル意識全開ですぐに自分も免許を取ろうと鼻息荒くしていたのだが、そのときに免許を取り次第買おうと決めていたのがこのマシン。
彼が事故ってしまったために一気に熱が冷めてしまい、乗りそこなった、何から何まで凄みのある黒に塗りつぶされた精悍なマシン。
その正体は分かりやすく言えば当時大ヒットしたGPZ400Rのネイキッド版である(細部を語ればそれですまないのだけど)
FX400Rのシルエットは現代の洗練されたバイクにはないものだ。
やっとのことでの免許を取得後、中古で87年型FXRを手に入れた
若さは取り戻せない。
少々苦い味がするが、過去に残した何かを一瞬だが取り戻せた、そう思った。
自分の『黒』のルーツはこのFX400Rだと思ったら、大間違い(笑)
「はみだしっ子」のサーザ・グレアム・ダルトンである。
「キリン」になり損ねた少年のココロ
中学、高校と食わず嫌いで視野の狭い「おたく(当時はそんな言葉はなかったが)少年」だったボクはバイクなんて
「不良少年と暴走族を証明するための乱暴な乗り物」というレッテルを貼って見向きもしなかった。
無知とはおそろしいものだ。
専門学校に進学してからできた友人(自分とは正反対のシティーボーイ(死語?))がバイクの免許を取得していきなりピカピカのマシンを購入したのは1987年のこと。
真夜中に彼から電話。
これから遊びに来るという。
バリバリと耳をつんざく暴力的な排気音を撒き散らしながら自分のアパートにやってくると思いこんでいて、いささか憂鬱な気分だった。
しばらくすると『ビュゥン、ビュンビュン』と風を切るような不思議な音が、道路に面したアパートの2階にある自分の部屋にとびこんできた。
バイクのエンジン音じゃないな…
…なんだろう?
窓から階下を覗くと見たことのない真っ白なボディにブルーのストライプが鮮やかな、美しいフルカバードのマシンにまたがった彼がキザに小さく手を振っていた。
マシンには HONDA CBR400R AERO と、刻まれていた
衝撃的だった。
いくつかの原チャリの名前とカブとハーレーしか知らない自分が初めて覚えたバイクの名前だ。
そして、初めて乗ったバイクでもある。タンデムだけど(笑)
タンデムだけど、このときCBR400Rの与えてくれた痛快な加速の気持ちよさは快楽以外の何者でもなく、バイクの免許を取ると強く心に決めた瞬間だった。
しかし、それから数ヶ月後、彼とCBRは事故に会い、CBRは大破して廃車、彼は足を粉砕骨折する大ケガを負い、完治に半年を費やすこととなる。
「僕」が普通二輪の免許を取得するのは、それから十数年も後、三十路を越えてからのことである。
あれから18年の歳月を経た今も、あの美しいマシンの心臓部が奏でる風を切るようなサウンドが頭から離れないのだ。