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「できる子」の構造

子どもの中学受験が終わった。はじめは楽勝だと思っていた。でも楽な受験なんてないんだなと思い知らされた。まぁ結果的には第一志望合格だったのだけれど...。そんな回想記。

実際には、自分の子が「あまり頭の回転が速いほうではない」なんてことを

すんなり受け入れた訳でもなかったのだが、

でも同時に、頭の回転が速いことや、スタートダッシュがいいことに

それほどの重きをおいていなかったことも確かだ。

 

我が家の場合、姉子というこちらはまた典型的なスプリンターがいた。

とにかく勉強の理解や成績にしても、習い事の技術の習得や進度に関しても

抜群のスタートダッシュを見せる。

はじめのうちは私たちも「この子って天才?」 なんて

おめでたい感想を抱いたのだが
じきに化けの皮がはがれてきた  ・・・ 要するに、兎と亀の兎さんなのだ。
立ち上がりのカーブが鋭いからといって到達点が高い訳でもない。
リードしてると思えば油断するし、持続力に欠ける。
 

中学受験では 「速さ」は強力な武器だけど、それが無くたって

何もコンプレックスを抱くほどのものでもないと思う。

中学受験のその先まで見据えれば、大切なのは持続力だと思う。

 

この時点で 「速さが足りない」 という課題に対して

「よし、速さを上げていくぞ!」という対策はまったく考えつかなかった。

「弟彦は要領が悪いから、学習時間をもう少し取るようにしなければ」

としか思わなかった。

弟彦の中学受験で「速さ不足」 に対しては 「量での対応」 一本槍だった。

  

この 「速さ」は生来のものであって、後天的に伸ばすことはできない、 と

ある塾長さんがブログに書いていたのを見たことがある。

どうなのだろう? そんなことはないような気もする。

ただ、無理に「速さ」を上げる訓練を施そうとすると、私が思いつく限りでは

子どもの頭の中に手を突っ込むようなプロセスが必要になってしまうように思う。

こうしたやり方はやはり親の側にも抵抗がある。

  

いっぽう、子どもの側の性格による抵抗もある。

弟彦は、何よりも急がされることが大嫌いなマイペース人間なのだ。

小学校5年のこの時期まで、ほとんど急がされたことがなかった。

お姉ちゃんの習い事の練習の間、放ったらかしにされて、の~んびりと絵を描き、

塗り絵をしてシールを貼り、トミカ・プラレールの大都市を作っていた子なのだ。

(だからこの子の速さ不足には、ちょっと親の側に罪の意識がある)

  

小学生になっても、特に時間に制限を設けるような課題を与えたことはない。

小学校低学年の間に、公文や百マス計算などのタイムアタック系の作業を

させればよかったのだろうか? 今になっても結論の出ない問いだ。

でも、当時の私はそうしたあまりにも「ベタ」な負荷に対して抵抗があった…




5年の夏休み前のこの頃、自分の子の勉強ぶりを

(単に学習計画の指示を出すだけでなく) かなりintensiveに見守った。

なんとかSコースに残留させて自信を失うことがないようにしたかったのだ。

そしてちょうどその頃、上の学年の子達の合格体験記の類をよく目にした。

それで、私にも 国語という「教科の弱点」 とは別の息子の弱点が見えてきた。

 

私が読んだ合格体験記で先輩のひとりは

「水曜までにテキスト類は終わらせるようにしました」

「木曜以降は試験に備えた見直しや演習をしました」

と書いていた…  驚いた。 それって可能? そんな処理能力は弟彦にはない。

確かにそんなタイムテーブルで1週間を廻せればもっと順位は上がるだろう、

でも絶対に無理だと思った。

  

弟彦はまず理解カーブの立ち上がりが鈍い。

ジリジリと上昇していくタイプだ。 

はじめのうちは問題を解くのに時間がかかる。
問題の難易度がどうこうではなく、とにかくはじめのうちは苦戦するのだ。
1回の単元でも、算数など
予習シリーズ=ボロボロ → 演習問題集=改善 → 応用編=意外に優秀
といった感じで、途中の間違い直し抜きに良くなっていったし、
スパイラル式のカリキュラムにおいても
各回の週例テストよりも総合回のテストの方が常に成績は良かった。
 

理社など塾に通うようになって授業を受けても、

一生懸命取ったノートと予習シリーズの内容が

頭の中でシンクロするのに時間がかかる。
それだけじゃなく、短期記憶というものが全く使えない。(今でもダメだ)
「とにかくまずムリヤリ丸暗記して問題演習しながら肉づけしていこう」

ということができない。
じっくりじっくり頭に収めていく感じだ。

 

こうした弱点は、4年生の頃の学習内容やCコースでの競争では

カバー可能だった。 顕在化していなかったのだ。
でも、とにかく毎週のテスト演習を繰り返すYT系では、
「速さ不足」は1週間の予定を廻す上で、非常なハンディキャップとなった。
 

いったい 「速さ」というのは 「知力」というフィールドにおいて
どの程度の意味を持つのだろう?
「中学受験」という土俵では、「頭の回転の速さ」というものは非常に重要視される。
(面白いことに特に首都圏でその傾向は強いと思う。)

 

でも。

フェルマーの定理の証明にどれだけ年月がかかったかなんて誰も問題にしない。


INTER_EDUの 「自慢星人」 というスレッドを見て、ちょっと動揺した。

 

どこの親でもそうなのではないかと思うが、受験期にはひたすら上を見ている。

私の場合も常に注視し頭の中を占拠していたのは、

S1から落ちる気配など微塵も見せない 「できる子」 たちだった。
そして彼我の実力差を見せつけられて、

常に自分の子の 「できない構造」 を考えていた。
どうすれば弟彦が彼らを超えられるのかそればかりを考えていたのだ。
受験が近づくにつれてこの問題はますます私の中で大きくなっていった。


でも、そうした弟彦の 「酷い成績」 を、当時の気持ちのままに正直に書いた場合、

より苦しい状況で呻吟している受験生やその親御さんたちは、

読んでいて不快な気持ちになるかもしれない。


それは私の本意ではない。

お世話になった塾の後輩のお子さんたちにはやはり親近感を感じるし、

基本的には彼らの受験の役に立つ内容を書きたいと思うのだ。

私は多分、無知で高慢な親だったのだろうけど、

今現在、自慢という感情とは別のところにいるつもりだ。
 

表現には気をつけようと思う。
でも、私が誠実に何かを伝えよう・拙い一例報告を試みようとすると
どうしても、当時自分が感じてたことをそのまま書くことになってしまうだろう。