コントかよ!
多々良学園問題
1983年の秋の中国大会、山口県で優勝した勢いをかって、地区大会を初めて制した多々良学園。
さらに選抜初見参。
2年生エース湊と古谷のバッテリーを中心にまとまった好チームで、さて、翌第56回センバツ甲子園でどういう姿を呈してくれるのだろうか?とわくわくしたことを覚えている。
新チーム結成後22連勝。
今風に言えば下関国際臭が濃い感じ。
当然期待は高まったが、初戦であっけなく敗退。
手も足も出なかったのだ、大船渡の金野に。
この年の中国大会の出場校は多々良のほか近大福山と、名門広陵。
古田―定詰バッテリーを軸にした準決勝で敗退した広陵が前評判が一番高く、優勝候補にもあげられていた。
同じ広島の近大福山には2年生で後に西武に入る岡田投手がいたし、その他にも森、神田と3人投手体制の好チーム。
両校は広島大会決勝で対戦して、広陵のスラッガー石橋にホームランを浴びたが、5-4で近大福山が勝利している。
この試合の広陵の先発は2年生本原だ。
ちなみに補欠校になったが、ベスト4のもう1校は翌年春夏甲子園を沸かす田上投手の宇部商業。
もう一つの補欠校岡山南には荒木もいた。
さてさて、初戦からきわどい1点さ勝負をものにしてきた多々良が、準決勝でも広陵にサヨナラ勝ちし、そのままの勢いで決勝でも近大福山を一蹴した。2-7で下して初優勝という経過だったのである。これで結成22連勝、負けなし。
たまにこういう無敗チームが選抜に来ることはあるが、あまりぱっとしないまんま連勝が止まるイメージが強い。
例えば1981年・槙原擁する大府とか。1976年の名古屋電気、もしくは1997年の41連勝・上宮とか。
蓋を開ければ三校とも初戦敗退に終わる。
多々良学園0-4大船渡、近大福山2-4岩倉、広陵2-10法政二
くじ運もあったのかなって気がするのだが。
その後も何度か甲子園に行くチャンスはあったがすべて夢破れて、やがて経営破綻、民事再生法適用を申請、高川学園へと身売り。
その後に甲斐名都の甲子園には出ていたりする。
ということだそうだ。
ちなみに多々良学園はサッカー部も相当強かった。高川学園に変わった年も含めて、ナント、1992年から2007年まで15年連続で全国大会に出ている。
まこの学校、そもそもが曹洞宗の西日本における教化・僧侶養成機関だったとのこと。
なのでそもそも私立男子校。部訓は「球禅一昧」だったという。
ちなみに近大福山は、当時、禅学科出身の麻生監督が率いていたが、麻生さんの教えが「球禅一如」だったという。
多々良学園、近大福山、共にいずれも「禅」の心で躍進を図るという学校だったことも興味深い。
https://www.bukkyo-kikaku.com/archive/bk_tusin_no2_2.htm