甲斐バンド考 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

1978年スタートのあの「ザ・ベストテン」。

ランキングに入りつつも出演拒否するアーチストがよくいた。

矢沢永吉、南こうせつ、中島みゆき、チューリップ、オフコース、ユーミンなど。

 

そんな中、1979年3月、一度きりの出演を果たしたのがミリオンヒット「Hero」を携えて出演した甲斐バンド。

条件としてNHK-FMスタジオからの生中継で、司会の黒柳&久米とは一切言葉を交わさないというものがあったという。

水割り事件としてバッシングを受けたあれである。

 

余談だが、1980年に芦ノ湖畔でライブを行っていたが、これ行きたかった。

後にライブアルバムとして発売されているけど。

 

この後、ニューヨークのパワーステーションスタジオ(現アヴァタースタジオ)を使ってのミックスマスタリング作業による音像作成に没頭する。

そうラドウィックがマスタリング/カッティングを担当して、ボブ・クリアマウンテンがミキシングを担当する作業。

その結果できた作品は当時の日本でも飛びぬけて異質だった。

クリアで粗雑、パワフルで繊細、バランスが取れていてアンバランス。

にぎやかで隙間が多い。

ブライトでダーク。

ハイファイでローファイ。

なんとも書き表せない感じの要素を散りばめた音像。

相反するものが同居している様は衝撃的だった。

 

「ゴールド」「ラブ・マイナス・ゼロ」もすごいけど、特に「虜」はすご過ぎた。

 

 

 

クレジットがまたすごくて、いったいどれだけのミュージシャンを動員したんだという感じ。

サポートベーシストやキーボーディスト、ホーンセクションだけなんかではない。

もう日本の腕利きのスタジオミュージシャンを総動員しようとしたのではなかろうかという勢いである。

コンボ編成の甲斐バンドの姿はもうそこにはなかった。

こういうチームで作品を作ろうという動きはこの後の音楽シーンで、本当によくみられるようになっていく。

 

 

オフコースのアルバムもすごかったが、こちらは西海岸風で、からっとしていて、マイナスミックス的で、隙間が美しい感じ。

甲斐バンドとはカラーは別だった。