青山界隈・その昔 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

 

 

青山界隈・その昔

 

 

青山か原宿かというと明治通りから東で青山一丁目辺りまで骨董通り、キラー通りなど。

青山一丁目の交差点から墓地の方へ入った一つ目の角あたりの、確か記憶によれば2階。

メシ所っぽい、所謂 飯や。

なんて店なのか?出てこない。

だが懐かしい

 

ユアーズ(Yours、通称: 青山ユアーズ)は、かつて東京・青山北青山)にあった高級スーパーマーケット当時は珍しかった輸入食品や輸入雑貨などが販売されており、日本で初めての24時間営業スーパーとしても知られるもの

開店したのは1964年昭和39年)。

東京オリンピックの年だ。

表参道、青山が大きく変わっていった時代である

 

 

所在地は表参道にも程近い港区北青山三丁目(現在)の青山通り沿いで、営業時間は、朝10時開店・深夜1時閉店であったが、やがて深夜3時までとなり、その後24時間営業にいたった。

 

ユアーズで取り扱っていた商品は輸入食料品が中心で、アメリカ風の店内にはハンバーガーやサンドイッチが食べられるカウンターがあり、入口にはハリウッドチャイニーズシアター前にあるようなスター達の手形・足型・サインなどが入った石版が並んでいた。

 

スーパーマッケットはビルの1階と2階で、1階では食料品のほか輸入雑貨、2階では洋服が販売されていた。

また、店の脇には駐車場も設置されていた。

男性店員は、白いワイシャツにネクタイを締め、黒く長いエプロンをつけた。

レジの後ろで紙袋を広げる際に、袋を大きく上下に振ってパンという音を出すパフォーマンスを行なったとも

 

店には石原裕次郎岡田真澄田宮二郎ら、当時の人気芸能人らも毎日のように出入りしていたという。

1982年(昭和57年)、入居していたビルの取り壊しと同時に閉店。

 

さて、ユアーズの反対側には青山通り沿いで50年以上にわたり営業を続けていたスーパーマーケット「ピーコックストア青山店」があった。

途中から「大丸ピコック」になり最近はイオングループの傘下となっていた。

ここも現在閉店。

 

 

 

 

神宮球場の隣には東洋で一番初めに開店した「青山ボーリング場」があった。