野獣死すべしと朔太郎 | 脱腸亭日常 ~MY TESTAMENT of trifling beetle~

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名誉も金も、素晴らしい音楽を作り人々を感動させようという気持ちもない、極めて不心得なアマチュアミュージシャンであり、アマチュアアーチストtrifling beetleの遺書。
HP https://www.music-scene.jp/triflingbeetle/

 

 

野獣死すべしについて

 

松田優作のアクション系作品の中での最高傑作はと問われれば、自分は迷わず「野獣死すべし」を挙げる。

 

かって仲代達也主演のもののリメイクという位置づけだが、内容が全く異なる。

原作との乖離もすごい。

なので、前作とも原作とも「同名ながら異なる話」扱いされて今に至るという。

原作者大藪春彦は沈黙を貫いたまま1996年没。

 

この優作版野獣死すべし。

「肉体なきアクション」を目指し、8キロの減量、奥歯4本抜歯、徹底した食事管理、自宅にサウナを作り、身長を縮める為に両足切断迄まじで考えたという狂気フルな作品。

この映画での優作は、何にもましてぶっ飛んでいる。

ブラックレイン以上だ。

 

作品自体は原作の原型をほぼ残さない丸山昇一の脚本により、難解極まりない。

それが、すばらしい!

まさに「狂気」が満ち満ちている、日本の「地獄の黙示録」ではないかとさえ思ってしまう。


 

 

瞬きを全くしない優作がリップバンウインクルの話を語るシ-ン。

トマトジュースを飲みながら萩原朔太郎の詩「漂泊者の歌」を朗読するシーン。

秀逸だ。

相棒鹿賀丈司のブチ切れっぷり。

スイカを人に見立てての射撃訓練シーン。

ストの優作のセリフ「あ”~っ!!」も、なんか、よくわからない。

ラストは「俺たちに明日はない」「明日に向かって撃て」みたく、日比谷公会堂の入口でハチの巣にされたことを暗示している説が根強いが。

原作では復讐編とか続きがあるんだよな。

 

繰り返しになるが、よくわからないことづくめで、それがいいのだ。

同じような理由で「陽炎座」も大好きなのである。

 

 

そして極めつけ、あのタイミングでの小林麻美射殺。

早すぎる気がする、ヒロインの途中退場。

半分くらいだぜ、時間的に。

涙も情もかけらもなく、冷血極まりない。

これも計算のうちだろう。

こうやってまじまじと考察してみたらば、なんて、すごい映画なんだ。

 

 

 

で、優作はひそかに「ディア・ハンター」のロバート・デ・ニーロを意識しているような気がした。

ロバート・デ・ニーロ。

ブラックレインを見て優作に感激した彼は、セントラルアーツに共演を打算してきたという。

しかし時すでに遅し、優作は鬼門に入っていた、デ・ニーロ愕然...というエピソードも有名。

 

観たかったよな、優作とデ・ニーロ。

 

 

ところで、話が戻るが、この映画、賛否両論。

その出来が、前作「蘇る金狼」とあまりにも違い過ぎて、それを期待していた配給元の角川春樹が激怒して「優作を殴る!」と息巻いたエピソードも有名だ。

武闘派社員二名を手配して、舞台挨拶後の優作を渋谷のガード下に連れてくるように命じたという。

人が多すぎて未遂に終わったそうだが。

「人間の証明」の時にも助監督を殴った優作とひと悶着を起こしたそうだし。

このあたりは「松田優作クロニカル」とか「最後の角川春樹」なんかに詳しく書かれている。

 

売り上げは「蘇る金狼」と比して、3億ほど落ちたそうだが、自分は、わかりやすい「金狼」よりも、はるかにこちらのほうが魅力的だと思う。

日本映画として、かなり先を行っていた感じ。

 

ちなみに春樹氏、80代でボクシングを普通にするという(笑)。

こちらもある意味「狂気」の塊だ。

 

 

漂泊者の歌  萩原朔太郎

 

日は断崖の上に登り
憂ひは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後〔うしろ〕に
一つの寂しき影は漂ふ。

ああ汝〔なんぢ〕 漂泊者!
過去より来りて未来を過ぎ
久遠〔くをん〕の郷愁を追ひ行くもの。
いかなれば蹌爾〔さうじ〕として
時計の如くに憂ひ歩むぞ。
石もて蛇を殺すごとく
一つの輪廻を断絶して
意志なき寂寥〔せきれう〕を蹈み切れかし。

 

ああ 悪魔よりも孤独にして
汝は氷霜の冬に耐えたるかな!
かつて何物をも信ずることなく
汝の信ずるところに憤怒を知れり。
かつて欲情の否定を知らず
汝の欲情するものを弾劾せり。
いかなればまた愁〔うれ〕ひ疲れて
やさしく抱かれ接吻〔きす〕する者の家に帰らん。
かつて何物をも汝は愛せず
何物もまたかつて汝を愛せざるべし。

ああ汝 寂寥の人
悲しき落日の坂を登りて
意志なき断崖を漂泊〔さまよ〕ひ行けど
いづこに家郷はあらざるべし。
汝の家郷は有らざるべし!

 

 

萩原朔太郎の『氷島』が出版されたのは1934年、西脇順三郎の『Ambarvalia』が出版された翌年。

「詩句に先だつて、それに充実すべき内容の方からまづ膨らみ上つてくるやうな場合、言語はかうした虚勢を張らないだらうとも考へられます」という三好達治の批判はよく知られている。

 

この評価が分かれる詩集『氷島』の巻頭に置かれた「漂泊者の歌」

「野獣死すべし」に組み込まれたこの詩、「詩篇小解」によれば、「断崖に沿ふて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が永遠の姿。寂しき漂泊者の影なり。巻頭に掲げて序詩となす」とある。

賛否両論を巻き起こしたいわくつきの作品だったというわけで、いわくつきの作品を、いわくつきの作品に組み込んだ丸山昇一。

天才だ。

 

しかし、萩原朔太郎はやたら「憂鬱」という言葉を使っているなあ。