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サマショールを観た。
ウクライナ語: Самосели、ベラルーシ語: Самасёлы、ロシア語: Самосёлы。
サマショールとは、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故によって立ち入り禁止区域とされた土地に、自らの意志で暮らしている人々である。
日本語では自発的帰郷者、帰村者等とも表現される。
このことを題材にした映画に衝撃を覚えた。
ユエの流れ
♪流れは月にきらめき 憶いは波にゆらめく
恋しやあの人の胸 くるめく愛の接吻
黒髪匂いをこめて 唇花より紅く
粧いこらして待てど あの人は来ない
遥かにひびく たいこの音は
涙をそそる 別離のしらべ♪
「ユエの流れ」。
昔、甲斐よしひろがDJをしていた番組でこの曲を聴き、鳥肌が立った記憶がある。
歌詞カードに「母なる順化(ユエ)の流れよ」と書かれていますので、「ユエの流れ」とはベトナムの都市フエ(ベトナム戦争の激戦地)の中央を流れる香江(フオンジャン)のことのよう。
東南アジアの香りが漂うスローで美しい曲。
戦争のさなかに作られるのは軍歌だけではなかった。
ベトナム戦争のころに日本の巷で聞かれた「ユエの流れ」もそのひとつ。
フォークルが1968年に歌って注目されたこの曲の作曲者は驚いたことに、昔、戦時下に軍歌を作っていた日本人の須摩洋朔という人だった。
作詞は桐雄二郎。
最初に歌ったのは、妙に声の高いマリオ清藤という人。
この歌はベトナム戦争真っ盛りの1960年代末の話である。
あのようなアメ公による暴虐の振舞われていた現実とはまるっきし裏腹の、ひそやかな恋歌が、ベトナムから伝えられていたようだ。
フォーククルセイダースがその次のシングルとして用意していたものの、発売の前日に発売禁止となった朝鮮民謡、"イムジン河"を思い起こさずにはいられない、アジアっぽい旋律が心を惹く一曲。
1968年の"テト攻勢"でベトナム解放軍がフエを解放したあと、米軍が反撃、フエ再占領をした。
米空軍次官のタウンゼント・フープスが、1968年3月のメモに米軍のフエ攻撃の結果を次のように記した。
「残されたのは廃墟と化した市街だった。建物の80%が瓦礫と化し、破壊されたあとの残骸の中に一般市民2000の遺体が横たわっていた。市民の4分の3が家を失い、略奪が横行した。米軍に支えられた南ベトナム共和国陸軍の兵隊たちが最悪の犯人だった」(1967年ベトナム戦犯国際法廷文書集へのノーム・チョムスキーによるまえがきより)
ユエの街は、豊かな歴史を誇るベトナムを代表する古都。
そこで遠い昔、月を写す川面のほとりで恋する人を待っていた娘の面影。
歌は、こう結ばれている...
「装い凝らして待てど あの人 来ない」と。
そして時は流れ、戦の暴虐は人の想像力を超える勢いで振舞われ...そしてまたその後、さらに時は流れ...もう爆弾の降ることのないユエの流れのほとりで、恋人たちは心からの安らぎに抱かれて、尽きることのない逢瀬を重ねているのだろうかなぁ。
ちなみに、この曲が収録されている、甲斐よしひろのソロアルバム「翼あるもの」は1978年発売の作品。
現在も「TEN STORIES」というカバーアルバムを発売してますがその源になったアルバム。
内容については…う~~~ん(笑)(^_^;)。イマイチかな(笑)。
収録曲は...
①恋のバカンス(ザ・ピーナッツ)
②10$の恋(憂歌団)
③喫茶店で聞いた会話(かまやつひろし)
④マドモアゼル・ブルース(ザ・ジャガーズ)
⑤薔薇色の人生(甲斐バンド)
⑥ユエの流れ(マリオ清藤)
⑦あばずれセブンティーン(浜田省吾)
⑧えんじ(森山達夫)
⑨サルビアの花(早川義夫)
⑩グッドナイトベイビー(キング・トーンズ) 計10曲。
*()内はオリジナルアーティスト
この時点で⑦⑧は未発表曲だったという。