コン年度は戌年であり、一番身近さを実感する動物の年である。

そういうわけもあってか、コン年度は何かとわんこに関する記事を投稿する事がそれなりに多い。

バニラを撮影する機会が多くなったのもあるからでもあるが、それもコン年度というタイミングのもとで出来た事である以上、コン年度の干支の誼で出来たと言っても過言ではないかもしれない。

 

 

そしてこれもそのためなのか、今日は11月11日。

ワンと読む数字が4つ並んでいる日であり、ひそかに唯一『同じ数字が4つ並ぶ日』でもある日である。

こういう事をわざわざ意識するようになっているのも、戌年の影響なのかもしれない。

 

 

そんな中、私はふとある事を思い出した。

それは、まさしく犬の一番の特徴を鮮明に描いたとある漫画だった。

その漫画は、今から7年前に私が市川にいた時に偶然見つけたものだった。

 

 

その漫画に惹かれたきっかけは、一目でそれを実感した表紙の絵だった。

 

 

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タイトルは、『犬と歩く』。

雑誌に掲載されていた漫画を単行本にしたもので、色んな中で生きるわんことそれと関わる人との絆を描いた話である。

 

私がこの漫画に惹かれたのは、先ほども述べた通り、この表紙の絵である。

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まるで現実にそうなったら間違いなくこんな感じであろうと言わんばかりに描かれた『犬が泣く』という絵…

私は、このイラストに真っ先に惹かれたと同時に何かを覚え、後日意を決して購入した。

 

表紙においてもそうだが、漫画の内容はまさしくこのイラストの通りの規模であった。

一匹のわんことそのわんこと交流した人との絆を描いた本作は、わんこの魅力をかわいさにとどまらない『本当の意味』で伝えている。

この話を読んだ後、私の中でのわんこの印象に今までにない新たな境地が築かれる事となった。

 

あらためて思う。

『心』の意味で見ると、一番人間に近い動物は間違いなく犬であると…

 

 

 

 

 

この話の描く絆は、わんこが飼い主に対して抱いている共通の思いのもとで描かれている。

わんこが飼い主や関わる存在に抱いている思い、それはたった一つだけ。

 

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この一言が完全にわんこへの思いにおける決定打となった。

これをあの表紙のイラストと乗せて言われた日には…

 

 

市川に住んでいた頃から、ひそかに故郷にいる飼い犬の事がずっと気になっていた。

道でわんこを見かける度に私は常にわんこに対して何かを思う事が多かった。

それは、ただ離れて暮らしているからというだけではなかった。

私はずっと、わんこと直に交流をし直したいとひそかに思っていたのかもしれない。

あの漫画のキャッチコピーに書かれていた事に対して、『もちろんだよ。』と実際にそれに相当する形で応えられるようにするために…

 

 

 

今私は故郷にいる。

そして飼い犬のバニラと欠かさず交流している。

バニラも散歩以外の形で関わってくれるのが私だけという事もあってか、ひそかに嬉しそうにしてるようだった。

 

 

今となって、この漫画によってひそかに抱いていた事の意味がわかったような気がする。

そして、それは今こうしていつの間にか叶えられていた。

 

私はずっと忘れていたのかもしれない。

この本を買った当時から身を置いていた境遇ばかりに気をとられ、故郷に置いてきた色んな大切な事を…

飼い犬の事だけでなく、それを通して私は『本当に大事な事』をそっちのけに、やがて限界が訪れる今だけの事に逃げていただけだったのかもしれない。

それをこの漫画と飼い犬を通して、『故郷にもいるようにしたい』と思えるような事に気を向けて思い出させようとしていたのかもしれない。

本当の事はわからないけど、少なくともそのように私には思える…

 

 

7年前にふとした事で見つけたわんこの漫画は、今になって私に色んな事に気づかせてくれた。

気づく事が出来たのならば、そしてそれに向けた事を今こうして進められているのならば、今からでも遅くはないはずだ。

 

 

この表紙のわんこに何かを覚えたのならば、ぜひともこの漫画を手にとってほしい。

 

 

 

今日もこれからも、歩き続けていく。

 

犬と共に…

 

 

いつしかコン年度もあと2か月。

わんこの年も大詰めである。

そういうわけで、久々に実家の飼い犬『バニラ』の記事を投稿する。

 

 

わんこというのは基本、にゃんこのように丸まって寝る事が多い。

これは、腹部を狙われないようにするためとの事だ。

しかし、もしそこが狙われる事のない安心した環境ならば、堂々を仰向けになって寝るそうである。

その姿はまるで人間のようだ。

アニメでは、トワイライトルガさんが頻繁に表れている形でその様子が描かれている。

私としても、ルガさんがあれほど堂々とした寝方をするのは意外だったとひそかに思っている。

そして、私のもとにもトワイライトルガさんのように堂々と仰向けになって寝ている存在はいる…

それが、バニラである。

 

 

 

本邦初公開。

これが、実写版を含めた『堂々と仰向けになって寝るわんこの図』である。

 

 

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先に言うとすれば、『安心してください、生きてますよ』である。

歴代の飼い犬からしても、これほど堂々と仰向けになって寝ているのは見た事がないほどバニラは頻繁にこうやって寝る事が多い。

もう一度言うが、寝てるだけである。

 

では、横から見てみるとしよう。

 

 

 

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…安心してください、普通の顔ですよ。

仰向けなので、こういった顔になってるだけでして…

 

さらにアングルを変えると…

 

 

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…あらためて思うが、今まで撮った中でもすごい顔である。

何度も言うが、仰向けゆえにそうなってるだけで、普通の顔である。(タブンネ~)

 

 

 

全体像を撮影するとこんな感じである。

 

 

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…アングルや顔の見え方からするとやはり色々な見え方があるが、これもバニラの一面の一つであり、何より『わんこが堂々と仰向けになって寝る図』である。

 

 

あらためて次のフォトへ…

 

これも何度も言うが、バニラは『メス』である。

メスという事もあるので、時にセクスィな一面を見せる事もある。

それが表れる事が多いのが、座ってる時だ。

 

 

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最近のわんこは典型的な座り方をせず、この姿に合わせた形で人間っぽい座り方をするのが目立つ。

人間以外の動物も人間に近いような意識をするようになったのだろうか…

それが一番表れているのが座り方なのである。

この座り方は明らかにこれまでのわんこの座り方ではないとあらためて思う。

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ちょこんと座ってる感じではなく、何かと『ぐでん』とした感じの座り方である。

見え方によっては、メスゆえの事もあり、まさしくセクスィショットと言えるだろう。

 

 

『ぐでん』としたポーズはもちろん、寝ている時も表れている。

 

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バニラが基本使っている寝床では、このようにして寝て過ごしている姿を頻繁に見かける。

ここにも、バニラの仰向けになって寝るポーズとセクスィさが表れてると言えよう。

…これが本当の普通の顔と言うべきなのかな…(でしょうね)

 

 

バニラのフォトは、時に意識してドアップに撮影する事もある。

意外と近くで撮らせてくれないので、こういったフォトは何かと貴重なのである。

というわけで早速…

 

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写りにおいても、アングルにおいてもちょうどいい分類に入るフォトである。

バニラの『なんすか~(※メスです)』みたいな表情もなかなかの出来である。

 

 

この状態を、少し離す形で撮影するとこうなる。

 

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ここにもバニラの『ぐでん』とした様子が表れている。

時にセクスィ、時にぐでん。

それがバニラの魅力の一つなのである。

 

 

わんこを撮影する際は、ただ撮影するだけでなく、『強調すべき場所』を伝えられるように意識して撮影するようにもしている。

わんことその科に属する動物の魅力といえば、(私個人の見解だけど)『鼻とマズルの長さ』である。

私自身、マズルの長いわんこやその科に属する動物がどちらかというと好みなのだ。

もちろん、わんこ系統全般は好きだが、その中でも特に『マズルが長い』方に惹かれるのである。

きつねさんにおいては…

それもあると思うが、それ以上に別の理由があると言うべきかなぁ…

 

というわけであらためてその『マズルを意識したフォト』を披露する。

 

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伏せ座りの状態からの撮影。

アングルと距離からしても、マズルの長さを強調する形で撮影した形だが、ちょうどいい感じで出来ていると私は思う。

マズルを意識する時は、横過ぎてもいけなく、近すぎてもいけないと言った形で、意外と黄金律が定まらない中で撮影している。

感覚的な判断のもとでは、『とにかくそれがわかるように撮ればいい』と言った事は通じず、『これだ』と自然に思えるような形でやる必要がある。

本格的に撮影してる人は、間違いなくアングルや距離に限らず、こういった事を常に意識しているのだろう。

 

 

 

アングルはカメラだけでなく、撮影するもの本体が動く事によっても成り立つ。

 

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バニラが少し下を向いた状態の中での撮影で、このアングルからも『マズルの長さ』が別の形で強調されていると言える。

これほどわんこ系統の動物における『マズルの長さ』を意識した事は今までなかったと言っていいであろう。

やはり、わんこの魅力はここにあるのかもしれない。(もちろん、マズルの長さが短めのわんこも好きだけど)

 

 

わんこの魅力は他にも、『視線』による魅力がある。

メスであるバニラは、ひそかにそれを伝えているわんこでもある。

 

 

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カメラ目線のような感じでこっちを向いているバニラ。

撮影しようとすると、決まってバニラはそっぽを向くのでこういったシーンはなかなか撮れない。(その証拠に、私がカメラを構えてない時は決まってこっちを見てくる)

バニラもメスゆえにシャイなのかな?

 

あらためて見ると、バニラが目でこっちを向いているシーンは何かと大きな魅力を醸し出していると言える。

 

 

バニラは時折、こうして自ら寝転がって色々催促してくる事がある。

そういう時は決まって、妊婦のように膨れたお腹をボディーパーカッションのようにポンポンしたり、スキンシップをしたりしている。

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我が家にいる人の中で、積極的にスキンシップをしてくるのは私だけだからなのだろうか、バニラは私が来ると決まってこういうポーズをしてくるのである。

 

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寝転がったポーズで見つめてくるのは、セクスィさにとどまらない魅力を覚えるものである。

バニラは間違いなくメスなんだなぁ…とあらためて思う。

 

 

 

撮影する側は、一瞬のベストショットを逃さないもの。

しかし、私の場合は今のやり方もあってかそういう時をなかなか活かせないでいる。

そんな中で、私は偶然にもまさしくベストショットと言える瞬間を撮影した。

 

それがこれである。

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バニラが大きく口を開けている瞬間。

これは、想像はつくと思うが、『あくびをしている瞬間』である。

私がバニラを撮影しようとシャッターを切った時、バニラがあくびをして少し間を置く形で撮る形式が功を奏したようにこの瞬間で撮影出来たのである。

そしてこれはこの時だけじゃなかった。

 

 

この瞬間を撮影した後、少ししてから再びバニラがあくびをして、再びその瞬間を撮影したのだった。

 

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コン度は伏せている状態で、ちょうどいいアングルでその瞬間を撮影した。

これぞ、間違いなく『あくびをしている様子』を撮った瞬間と言えるだろう。

歴代のバニラのフォトにとどまらず、歴代のわんこのフォトからしても今までにない最高のタイミングでの撮影である。

 

このシーンを相変わらず『こやーん』というイメージに置き換えてるのはお約束である。

 

 

 

 

コン回もバニラの色んなシーンを撮影する事が出来た。

中には、いつもどおりではなく全てが斬新なシーンもあり、ただ撮影したフォトを投稿しているだけじゃない形でバニラ記事を投稿しているとあらためて実感している。

 

 

戌年を過ぎても、バニラの魅力はさらに広がっていく形で続いていく事であろう。

 

これからもどこかで新たな魅力を発見できる。

それが、バニラの魅力であり、可能性である。

 

ね、バニラ。

 

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私がカラオケに行った時の投稿は決まって、『ヒトカラリハーサル』と表する。

8年前に『カラオケは誰かと一緒にやるもの』というステレオタイプを払拭する形で意を決して行って以降、私は誰かとカラオケをする事を前提にそのための『リハーサル』として頻繁にヒトカラをするようになった。

 

…決して相手がいないというわけではないゾ(タブンネー)

強いて言うなら、『相手は普通にいるがお互いなかなか機会に恵まれない状態が続いていた』というべきか。

 

ま、マァともかく少なくとも一緒にカラオケをする相手は普通にいますのでそこだけは大前提に…

 

話を戻して…

 

8年前に意を決して初めて以降、私はヒトカラをする目的を単なる個人で楽しむためにとどめず、いずれ訪れる『本番』に備えたリハーサルとして積極的に行うようになっていた。

ただ歌唱するだけでなく、『これは歌えるだろうか』や、『これはもう少し声調を変えた方がいいかな』と積極的に分析したりして、『本番』では何を歌唱するのがいいかを選んだりしていた。

実際歌唱してみてわかるのは、声の都合もあってか、『歌える楽曲は限られている』という事だった。

『本番』で歌唱してみたら予想外に、曲調に合った声が出せないといった事があるのは意外と多い失敗例でもある。

歌い方を身につけていても、曲調にあった声が出せなければまた別問題になるという事をヒトカラリハーサルを通じて私は初めて痛感した。

ヒトカラの意味はまさしく『実践』における観察を直に行えるという、誰かと一緒にやる『本番』では出来そうにない事を堂々とやれる機会だとあらためて言えるだろう。

 

もちろん、誰もいないからといってそういう意識のもとでリハーサルはしていない。

例えヒトカラであっても、『誰かが見ている』という事を常に意識して行うようにしている。

時にそれが歌唱以外のところで表れる事もあるが(主に『ガチの踊り』)、それも真剣かつ本格的にしているからだと好意的にとらえておく事にする。

 

 

私がヒトカラリハーサルで特に上達や披露する前提のもとでいつも歌うのは、『keeno』さんの曲である。

 

『glow』という処女作とは思えないハイクオリティの楽曲から始まり、そこから投稿される曲全てが大当たりと言っていい名曲を発表している方で、とても歌いやすい音域なので、毎回欠かす事なくリハーサルしている。

 

その中で私が特に意識しているのは、『crack』というタイトルの曲である。

今までリハーサルした中で、一番歌いやすく、一番いい形で歌唱出来ている実感があるのがこの曲なのだ。

 

 

 

その他にも、それこそ『本番』での盛り上げを意識して『恋愛勇者』、『千本桜』などのような盛り上げソングも必須ソングとして導入している。

とはいえ、やはりリハーサルと称すならば他の楽曲も新たに取り入れていく必要があるのも事実。

最近は新たに『ムーンウォークフィーバー』や『アンノウンマザーグース』も導入する形で、既存の曲だけにとどめず、新たに気に入った曲をリハーサル対象にする事も行っている。

既存の曲を『本番』に向けて出来るようにするだけじゃなく、新たな歌える曲を取り入れる事も立派なリハーサルなのである。

 

次回の『本番』はいつになるだろうか。

 

少なくとも、それは遠い事ではないというのは確かである。

 

 

カラオケでいつも歌う曲は?

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3年前の夏。

今まで抱いた事のなかった感覚のもと、私はきつねさんに目覚めた。

それは決して衝動的なものではなく、日を追うごとにその規模は私の中に限らず、さらに広がっていった。

 

きつねさんに目覚めてから迎えた初めての秋。

私はいつものように色んな場所をぶらついていた。

そうした中、私は身の周りで起きる事に新たな出来事が頻発するようになったのをひそかに感じていた。

 

それが、『きつねさんに関する事を新たなものを見つける規模で見かけるようになった』という事だった。

書店を基本に、動物関係のグッズなどが売られている場所でも、やたらきつねさん関係のものをタイムリーに見かけたり、それがあったら自然に視野に入ってくるなど、私の周囲で今まで以上にきつねさん関連のものが目立つようになっていたのだ。

 

その他にも、きつねさんが登場する話に積極的に関心を向けたり、ふと手に取ったものにきつねさんがいれば真っ先に反応するなど、きつねさんの事をスルーしない日はないと言っていいほどきつねさんの世界はさらに広がっていった。

 

まだきつねさんに目覚めてから1か月しか経過していない以上、こういった事は一時的な面からすれば普通の事だろうと当初私は思っていた。

 

しかし、そんな中であながちそうでもないと思う事もあった。

というのも、既に存在していたきつねさん関連のものを新たに見つけるまでなら普通だが、私の場合、それに限らず、まるで私に合わせるかのように、『今まで以上に新たに登場するものにやたらきつねさん関連のものが実際出現するようになっていた』からだった。

 

それが現れたのは翌年の2016年だった。

相変わらず、きつねさんの事を思いつかない日はないほど私はきつねさんに目覚めた日々を送っていた。

そんな中、いつものように書店をぶらついていると、新たに発売した書籍に早速きつねさん関係のキャラクターが登場しているのを見つけた。

それが、かの有名な『ズートピア』だった。

さりげなくいるきつねさんキャラである『ニック』くんが、明らかにわき役ではないポジションのように思え、内容を確認してみるとメインキャラクターの一人として描かれていた。

蛇足として言うならば、元々ずとぴはニックくんが主人公で、それこそニックくんが夢を思い出してカタギになるまでを描く話だったそうである。

しかし、一応悪事を働いていた存在が最終的にカタギになるとはいえ、それを主人公にするのはそうはいかないと思ったのだろうか、結局ニックくんがカタギになるきっかけのジュディちゃんが主人公になる事になり今に至るのだという。

ニックくんの存在感が主人公クラスのように思えたのはこういう名残があるからなのかもしれない。

 

この『ズートピア』を見かけた事が私の中で起きた大きな変化の序章だった。

それからというもの、私が気を向けている事にはそれに合わせるかのようにやたらきつねさん関連のキャラクターがあたかも狙ったかのように出現したり、ずとぴから始まったかのようにわざわざきつねさんをメインにした書籍が今まで以上に出回るなど、いったい何が起きたんだとしか言いようがないほど、私の周囲はきつねさんだらけになっていった。

 

特に、それを一番表していると言っていいのがやはり同年に発売されたtamaさんのキツネ本であろう。

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完全に私を狙ったかのように、きつねさんの目覚めを証明するかのように唐突に表れたのだから、まさしく私のきつねさんに対する思いは本物だとこの書籍が実感させたのは今でも覚えている。

もちろん、目覚めのきっかけは別のきつねさん書籍からだが、その時もまだそれを確信できていない中にいた。

そんな中で、tamaさんのキツネ本は私に対して初めてきつねさんへの思い入れの本格さを伝えたものだった。

そういった意味でも、tamaさんのキツネ本の存在はひそかに大きいものなのである。

 

…そういえば、この翌年に新たなキツネ本出してたっけ…

投稿すると言ってそれっきりになってるからこれを機に投稿しようかな…

コン年度はまだイラスト集は出てないが、その代わりとして色んなグッズが発売している。

昨年新宿でtamaさんのグッズを買ってからそれっきりだったっけね…

コン年度はそろそろ買えるように戻らなくては…

 

ちなみに、その年に通ったけもケットでもきつねさん関連のグッズを真っ先に購入した。

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また、その年は奇遇にもきつねさん系統の参加者がいたので、ここにもきつねさんの目覚めの本格さを表していた。

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そして現在…

この記事を投稿した日は9月27日。

この日ももちろん意識している。

1月11日が『1(ワン)1(ワン)1(ワン)』で犬の日で、2月22日が『2(ニャン)2(ニャン)2(ニャン)』で猫の日ならば…

 

9月27日は、9=き 2=つ 7=ね で、まさしく『きつねの日』である!

 

 

他にも、5月5日が『5(コン)5(コン)』、そして3日後の5月8日も『5、8(こやん)』という意味で、犬の日と猫の日の意味からすればこれらの日もきつねさんの日だーーーーーーーーーーー!(さっさと次進めや)

 

 

 

きつねさんに目覚めてからコン年度で3年。

当時ほどの熱は冷めても(というよりも、ちょうどいい規模に落ち着いたと言うべきか)、私の中ではこの記事を書いてる今でもきつねさんの事がよぎっている。

 

そして、きつねさんへの目覚めは今の私を築く大きな糧となって反映されている。

今私がこうして踏みとどまりつつ、前に進める中にいるのも全ては3年前の夏、きつねさんに目覚め、そこから今までにない本格的なスタートを飾れたから…

 

そう、全てはきつねさんの導きがあったからこそある事なのである。

 

きつねさんへの思い入れが魂規模ならば、ただ思うだけでなく、それによって築かれた糧をもとにこれからに向けた本格的かつゼンリョクでそれを形にしていくのみである。

 

それに通じるものは目覚めてからの3年間のもとで築かれた事をもとに既に私のもとにある。

それをこれからさらに形にして、さらなる発展を遂げてみせよう。

 

私ときつねさんとの日々はまだまだこれからである。

 

 

今日も私の中で、きつねさんの声が聞こえてくる。

 

 

こやーん

 

2015年。

この年は、私にとって大きな転換期となった年だった。

コン日まで進めたのは、2015年の夏、私がきつねさんに目覚めたからと言っても過言ではない。

 

事の発端は6月の中旬の事だった。

特にやる事がなかった私は、ふとある事を思いついた。

それは、『きつねさん関連の話を作ってみようかな…』という突拍子もない唐突な事だった。

 

その事を思いつくきっかけとなったのはとある書籍だった。

今となっては、間接的ではあるが、これこそが私がきつねさんに目覚めるきっかけだったんじゃないかとあらためて思う。

 

それは、書店で頻繁に見かけてはひそかに気になっていた角川つばさ文庫の『ごんぎつね てぶくろをかいに』という書籍だった。

私が最初その書籍に惹かれたのは内容ではなく、『表紙のイラスト』だった。

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そのイラストは『てぶくろをかいに』をもとにしたイラストだった。

表情が一目で伝わるほどかわいいきつねさんのイラストがとても印象的で、今まで見た中でもずば抜けていいものだった。

特に印象的だったのが、表紙のかあさんぎつねのイラスト。

我が子を見つめる顔がまさしく『理想の母親像』と言えるとても素晴らしいイラストだった。

このかあさんぎつねのイラストは、本編にもこぎつねくんの前足を手に変えようとしているシーンでも描かれており、ここでも母親像を象徴する顔で描かれている。

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このきつねさんのイラストに一目ぼれした私は、『他にもこの人が描いたきつねさんのイラストってないのかな…』と思い、その後に『誰かまたこういったきつねさんの話を出してもらえないだろうか』と考えるようになった。

 

その時、どこかで第三者が言ったように私の中でこんな声が聞こえてきた。

 

『ああーーーーーーーもお!!だったら、アンタが書きゃあいいだろ!ひそかに本格的な書き手目指してんだろ!』

 

 

 

…そうか、私が書けばいいのか。

少なくとも、そうでもしなきゃきつねさんが登場する話自体しばらくはないだろうからね…

 

 

そういうわけで、私は早速きつねさんの話を構想する事にした。

この時はまだ目覚めになるまでには発展していなかった。

しかし、これが後の目覚めの夏へと通じていったのである。

 

 

 

8月。

私は、ついに本格創作をリアルでスタートした。

ウェブ上には書いた事はあったが、リアルで書いたのは6年ぶりだった。

一応リアルで創作していた時はあったのだが、結局挫折して終わっており、ひそかにそれっきりになっていたのだ。

 

そんな中、私は創作のモチベーションを上げるためにとある書籍を購入した。

その書籍は、構想した話の元となった話だった。

その話はコン回の構想を通して知ったものではなく、ひそかにだいぶ前に存在を知ってからそれっきりになっていたものだった。

当時から約6~7年前、私が神奈川にいた頃にふと見かけて一度手にとって大まかに読んでからそれっきりになっていた。

6月にきつねさんの話の構想している時にふとそれを思い出し、いつの間にか当初構想していたのとは別の話になる形でその話を着想元にした話が出来上がっていた。

今思えば、なぜいきなり完全にそれる形でこういう話になったのかいまだにわからないでいる。

ちなみに、この話になる以前に構想した話は『ごんぎつね』における『ごんがいたずらをしている背景』を着想元にした内容の話だった。

そこからどういう展開にするかを色々拾ってるうちにいつしか話の内容が新たによぎった話寄りになり、やがて完全にそっちになったのだった。

元々角川つばさ文庫の表紙で惹かれたのは『かあさんぎつねのイラスト』だった事もあり、それならごんのようなきつねさんよりもかあさんぎつねをテーマにした話の方がいいと自然に思ったからなのかもしれない。

そして、その購入した書籍も、紛れもないかあさんぎつねをテーマにした話だった。

ちなみに、購入したものには、画像にも既にあるように角川つばさ文庫の『ごんぎつね てぶくろをかいに』も含まれていた。

全ての事の発端はこれだからね。

着想元だけでなく、これも忘れずに…

 

 

神奈川で見かけた時は大まかに読んで済ませていたので、あらためて本格的に読む事にした。

神奈川で読んだ時は、大まかな流れだけ読んでいたからなのか、あらためて読んだ時にその時には気づかなった大事なところに色々と気づいた。

その際、私はこの話から始まる形でひそかにきつねさんに対して今まで抱いた事のない気持ちを覚えていた。

それは、ただの感情移入にとどまらない、それを遥かに越えたようなもののように思えた。

そして、この本格的に読み進めた事がその後大きな影響を私に与える事となったのだった。

 

その話をあらためて一通り読み終えた翌日…

その日は、私が27歳の誕生日を迎える前日の日でもあった。

朝起きて、私がふときつねさんに関する事を思い浮かべた時、急にずしっとくるような感覚がよぎった。

その時思い浮かべたのは、きつねさんに関する話で、その内容はまさしくずしっとくるようなものだった。

それはまさしく、きつねさんに対する思いを本格的に抱いている事を直に表すような感覚だったと今でも思っている。

内容は確かにそうくるほどのものだったが、体の感覚に現れるほどずしっときたのは普通じゃなかった。

 

それ以降、私はきつねさんに対する思い入れが人一倍を遥かに上回るような在り方になった。

きつねさんの事がまるで『運命的な関係』を持っているかのように自然と本格的にそう思うようになったのである。

当初は一時的なものかと普通に思っていたが、この時さえもひそかにそう思っていた規模でそれが本物であると魂が言っているかのように実感していた。

それが他のところにも表れたように、私が今まで以上にきつねさんに気を向けるようになってから、私は今まで考えもしなかった事を頻繁に思いついたり、僅かずつではあるが今までよりも物事の進みが良くなっている実感を覚えたのだった。

 

それはまるで、『ようやく本当にやるべき事に気づけた』かのようだった。

私が『本当の生き方』を本格的に追及する事に敏感になったのはまさしくこの時だった。

 

そしてここから私、狐音ナオの新たなこれからが始まったのである。

 

8月30日になり、私はついに創作していたノベルを初めてリアルで書き上げた。

書き上げたノベルはそれっきりになったが、この達成が後に私のこれからに大きく貢献する糧となったのだった。

それ以降、私は色んな着想を拾い、いつしか本格的に行えるほど様々な事に通じるものを得ていった。

きつねさんへの目覚めは、きつねさんに対する本格的な関心にとどまらず、それを遥かに超越する発展へと通じていったのである。

 

今私がこうしてこれからに向けた事をひたむきにできているのも、全てはこの時起きた『きつねさんへの目覚め』があったからだと今でも思う。

きつねさんに限らない事も多く得たが、それもまずはきつねさんへの目覚めがなくては出来なかった事だった。

 

全ては、きつねさんという存在があってこその事。

 

まさしく私の人生はきつねさんに救われたものなのである。

 

きつねさんに対する目覚めの影響は、私の生き方にとどまらず、色んなところにも及ぶ事になっていた。

 

(『きつねさんに目覚めた後…』に続く)