というご質問をいただきました。
ありがとうございます 😌
これには、
いろいろな考えがあると思いますが…
まず、
「喪中」と「忌中」という
ふたつの期間があるんです。
悲しみを乗り越えるための期間
約1年
穢れを祓う期間
仏式は、四十九日の法要
神式は、五十日祭まで
↑ この「忌中」の期間に、
神社参拝や祝賀行事を控えるのが、
一般的だとされているんですね 😌
そもそも、
神社が信仰している神道では、
「死」は「穢れ」であり、
「穢れ」は「氣枯れ」
そのため、
「氣枯れ」状態が明けるまでは、
神社への参拝を遠慮してほしい、
というのが、神社本庁の考えです。
≫ 服忌|神社本庁
忌中期間の日数は、
亡くなられた方との関係によって異なり、
明治7年に規定された
太政官布告「 服忌令」に基づいて、
定められているようです。
深い悲しみの中にある忌中期間でも、
仕事には行かなくてはいけないのに、
こころの支えになってほしい
神様に頼れないって何なの?
氣が枯れている時こそ、
神社に行って癒されたい方もいるのでは?
と、マルーは思うのですが…
仏式では、
忌中にお寺にお参りをすることは
問題はなく、
また、キリスト教や浄土真宗には、
「喪中」や「忌中」という
概念そのものがありません。
なのになぜ、
神社参拝だけがNGなのでしょう?
それは、この国が長らく、
神式の葬儀を禁止していたことが
原因ではないかと考えています。
もともと、
現存する日本最古の史書
「古事記」には、
古来の神道の葬儀の様子が
描かれてています。
乃於其處作喪屋而、
河雁爲岐佐理持、鷺爲掃持、
翠鳥爲御食人、雀爲碓女、雉爲哭女、
如此行定而、日八日夜八夜遊也。
天若日子が亡くなった際、
喪屋(もや)を作り、
鷺(さぎ)を箒持ちとし、
翡翠(かわせみ)を調理人とし、
雀(すずめ)を臼をつく係とし、
雉(きじ)を泣き女とし、
八日八夜、食べて飲んで踊って、
楽器を奏でた。
ですが、仏教伝来以降、
急速に仏式のものが普及し、
江戸時代には、
キリシタン対策のため、
民衆は、必ず
寺院の檀家になることが
義務付けられ(寺請制度)
できるようになったのは、
戦後のことだそうです。
私は、
母が亡くなったその日に、
氏神様へご報告に行った
非常識者ですので(笑)
(もちろん、確信を持って参拝しましたが)
まっったく気にしてないのですが、
人目を気になさる方、
人がたくさんいる場所での神社参拝は、
避けたほうが無難かな、とも思います。
なぜなら、
死を「穢れ」と考えるのは、
神様ではなく、人間だからです。
氣が枯れた人に近寄ってほしくない、
と考えているのも、人間だからです。