こちらも再度公開。
先日の記事
は、ご覧になりましたか?
はっきり言って、「いいね!」がつきにくい記事
FBでシェアしたら、思いの外、
いいね!と、コメント頂きました!
嫌われるリスクをとって、書いた甲斐ありました!
が、もしかして、戸惑う部分もあったのではないか、
と、今日は、補足。もちろん、本音でね!
いつも本音の記事は、「いいね!」がガタ落ち。
まあ、子どもたちの魂のメッセンジャーのお役目だから、
嫌われても伝えることに意義があるので良いのですが。
でも、「いいね!」が多い方が、たくさんの人に伝わるので、
子どもたちの苦しみを減らして、明るい未来のためにも、
ぜひ、ご自身の胸に刺さった!とか、響いた、という方は、
ぜひ、いいね!やシェア、お願いします。
過去の本音の記事。
有料化したり、消してしまったものも幾つかあるので、
ぜひ、見つけたらすぐ読んでね!
と言うことで、本題に。
昨日の続きになりますが、、
「期待」は、コントロールにつながりやすい、
ことを書きました。
期待=コントロール、ではないけれどね。
でも、「期待」の名の下に、
「頑張らせよう」とする、
「頑張らせる」のが親の愛情、
と言う、誤解が生じやすいので、
この際、
「期待」は、丸ごと吹き飛ばす
くらいで、ちょうど良いと思います、はい
なので、
あ、今、子どもに「期待」してるな!とピンときたら、
すぐに、その「期待」を手放す、
習慣づけると、良いと思います。
そして、なかなか手放せないとしたら、
自分自身の「痛み」があります。
ので、「痛み」を「癒す」「ケア」することで、
ブレイクスルーしていけます。
(この「痛み」は、特別なトラウマ、という意味ではありません。
愛情があるないに関わらず、子どもは、
日常のちょっとしたことに、悲しんだりしているので、
「痛み」のない人はいません。)
そうすると、今度は、疑問が出てきます。
「じゃあ、子どもがこの先、どうなっても、
犯罪者になってもいいってことですか?」
とか、言う人が出てきます。
いないけど。
実際に、いちゃもんつけてくる人はいないけどね。
でも、自然に、心の中や頭の中で、そういう疑問は
湧くとおもうんです。
で、全く何の期待もされず、
「どーなってもいいよー」
「知らないよー」というのは、
コントロールの真反対。
「放任」といい、
子どもからしたら、それはそれで、
衝撃的に、寂しいものです。
心を、木枯らしが吹き抜けるような寂しさ
これは、かなり痛い。
同じように、
「自分は、どっちでも良い存在なんだ。」
「生きてる価値あるのだろうか・・」
と、まるで透明人間になったかのような、
気持ちを味わう羽目になり、
やっぱり、自己肯定感は下がり続けます
なので、「放任」も、
これまた、大いに違います。
(私は、「放牧」という言葉も、
ちょくちょく使いますが、それは、また違う意味、
なので、ご留意ください)
では、親は、大人は、子どもに対して、
どんな思いで、接したら良いのでしょう???
カンの良い方は、ピンときたかな??
そう、
「共感」と「信頼」です。
「あなたは、何でもできるよ!」
と言うのは「期待」ではなく、「信頼」です。
「そっか、できなかったの残念だったね。。。」
と寄り添うのは、「共感」です。
「期待」との違い、
このニュアンス、エネルギーの違い、伝わっていますか??
全然、似て非なるもの、なんです。
この違いは、フォーカスをどこに置いているか、
に現れています。
「期待」のフォーカスは、「親自身」「大人」「自分」です。
自分が!「期待」している、
親が!「期待」している、
「期待」されている方には、自由意思がありません。
「期待」に応えるか、応えられないか。
2択です。
そして、昨日の記事でも分かるように、
「期待」に応えられたら、親の満足と愛情をGETします!
(あえて、GETと書きますね。)
ですが、
「期待」に応えられなかったら、目も当てられません。
親をがっかりさせ、愛情もほとんどもらうことができません。
親を悲しませた罪の意識にさいなまれます。
もう、自分の価値は1ミリもないような、心が凍るような、
死ぬような思いになります。
それに対して、
「共感」と「信頼」のフォーカスは、「子ども自身」です。
子ども自身に寄り添い、「共感」し、「信頼」しているので、
子どものどんな選択、意思も、
「尊重」される世界にいます。
子どもが自分の「パワー」を所有できていて、
「できても」「できなくても」
自分自身の存在や価値を
脅かされる不安や心配を感じることはありません。
これは、すべて、エネルギーとして、
子どもに伝わります。
あ!たまに、「信頼」を「期待」のエネルギーで
使う方がいるので、それはやめてくださいね!
「キミを信頼してるからね。」
と重々しい「圧」
をかけてエラそうに「信頼」とか使っちゃう奴
言葉を「信頼」に変えても、意図が「期待」なら、
「期待」と全く同じことになりますから。
「魂が元気になる子育て」「コンシャスな子育て」
「親子の魂の望みを叶える子育て」
いろいろ言ってますが(どれがいいですかね?)
そのどれもが、
「エネルギー」を重視します。
と言うのは、子どもは(本当は大人も)
「エネルギー」ですべて受け取っているから。
テクニックもあり、ですが、
究極、エネルギーはごまかしがききません。
これ重要。
なので、本当に、本当に、本当に!!!!!!!!!!!!!!
普通にしていたら、ほとんど気づけない、
無・意識に気づき、必要なら癒して、
子どもと接することが、
どれだけ、大切かってことなんです
だって、「期待」が、無意識では
「この期待に応えたあなたは価値があるけど、
応えないあなたは価値がない」
というメッセージとして、
要するに
「自分そのものには価値がない」という無意識的に
10年20年刷り込まれ続けている、
って、めちゃくちゃ、怖くないですか???
私は、想像しただけで、ぞっとします
(よく「潜在意識の書き換え」と言われますが、
まさに、こうして、私たちは、
愛情があるないに関わらず、
無意識に何十年も刷り込まれてきているものを
書き換えようとするので、そもそも、それ自体が
大変なんです。毛穴から吸い込んでるので。
無意識の書き換え、しましょうね!)
そして、これこそが、
「これをしたAは、価値がある、でも、できないBは価値がない」
という、ジャッジを生み、偏見を生み、差別につながっているとしたら、、、??
だから、シェファリ博士が「TED」(動画 英語のみ
LINE登録で英語日本語スクリプトプレゼント中)で言っているように、
子育てって、世界を創る最前線にいるんです。
あれ?論理が飛躍した?
通じてますか?
分からなくなった方は、ちょっと戻って、
もう一度読み直してみてくださいね。
私たち親が、大人が、子どもたちにどんな無意識のメッセージを
送り続けているかに気づき(意識的になり)
その無意識のメッセージを
「あなたはそのままで価値がある」
「あなたはそのままで素晴らしい」
というものに、変えていけたら、
世界は、ジャッジや偏見、差別から抜け出し、
本当の、無条件の「愛」と「思いやり」の世界に
いくことができる、と、私は、いつも妄想していますワクワク
まずは、私は、日本から
記事だけだと全体像が分かりづらい、と感じる方は、まずこちら↓↓↓