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フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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演奏ってなんのためにするのでしょう。技術をひけらかすためでしょうか、人から認められるためでしょうか。いい賞を獲るためでしょうか。自分の存在価値を示すためでしょうか。あなたは何のために演奏していますか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

伝えるため 

 

演奏ってね、結局は、『伝えるため』に、するものだと思うのです。
誰かに、なにかを伝えるために。
それは具体的なものとは限らなくて、抽象的な気持ちだったり思いだったり…
そのために必要なことって、音に『意思を込める』ということだと思うのです。
きれいな音を出す、クリアに発音する、まわりと合わせて音を出す…
そんなこと以前に、いちばん大切なこと、それが、
意思を込めて発音するということだと思うのです。
音に意思を込める、どういうことなのでしょうか。
実際にそういう演奏を聴くと、はっきりと認識できますよ。
 

 

誰かに 

 

これは前にも書いたことですが…
たとえばウォームアップでも基礎練習でもいい。
簡単な音階でもメロディでもなんでもいい。
自分のたとえば2~3メートル前に誰かに立ってもらって、その人に届けるつもりで、
その人に伝えるつもりで演奏してみるのです。
音階でも、メロディでも。
なにかが変わりますから。
技術じゃない、奏法でもない、なにか大切なことが変わるのです。
これなんですよまずは。
そんなふうにして、普段音を出すことってありますか。
むしろ逆に、「なるべく人に聴かれないように」なんて思って吹いている人、いませんか。
それでは、いい演奏って出来るようにはなりませんよ。
演奏とは、誰かに届けるものなんです。
 

 

きれいに 

 

では、どんな演奏が、いい演奏なのでしょうか。
正確で、楽譜通りで、テンポも安定していて、音がきれいで、テクニックが正確で…
でもね、そういう『きれいな』演奏をする人なんか、今の世の中、山ほどいるんですよ。
いくらでもいるのです。
だけどその中で、ちゃんと音に意思がこもっている人はどうかというと…
それはもちろん、意思を込めて演奏するのでしょうが、
ほんとうに意思がこもっているのかというと、どうなのでしょうか。
そんなことより『きれいに吹く』とか『正確に吹く』が第一義になってしまっている人が多い、
そんなふうに思いませんか。
それはもちろん大切なことなのだけれど、でも、でもね、
「なにかいちばん大切なことを忘れてはいませんか」と言いたくなるのです。
伝えること、伝える意思、意思を込めること。
 

 

正確に出来てから? 

 

そういう『意思を込めること』って…
正確に演奏できるようになってから初めて取りかかれることなのでしょうか。
どう思われますか。
これ、違うと思います。
なんのために正確にするの?
本末転倒なのではないですか。
なにかを伝えるために演奏ってするのですよ。
なら、意思を込める、伝えることの方が先でしょ。
それから、音楽が美しくなるように正確にしていくのではないでしょうか。
あるいは、伝えたいことがより伝わるように、整えていくのではないでしょうか。
少なくとも、整えたり正確にしたりすることって決して、目的なんかではないんです。
いいですか、演奏の『目的』って、決してそこではないんです。
 

 

目的を忘れては… 

 

伝えること、意思を込めること、その、いちばんの目的を忘れてしまって、
ただ正確にきれいに間違えないできちんとすることばかりを目指した演奏って、面白くない。
だいいちそれでは、やっていて辛いだけですよね。
面白くない。喜びもない。
それで、聴く人になにかが伝わるわけがない。
そうは思われませんか。
意思を込めるって、気持ちを込めるとかいう抽象的なことではないんです。
ひとつひとつの音に、はっきりとした意思がある。
演奏って、そうでなければならないと思います。
それには経験や、たくさんの演奏を聴くことが必要だと思うのです。

さて、意思を込めて演奏していますか。
 

特定の個人に対する名指し批判はこれまでしなかったのですが、ごめんなさい、きょうはさせてください。先週MBSが選挙について偏向報道をしました。それを読んだアナウンサーはどういうつもりだったのでしょうか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

偏向報道 

 

TBS系列の関西局、MBSが、先週水曜日、今回の選挙について偏向した報道をしました。
内容は、冒頭画像のようなものです。
放送に限らず、「これはどう考えてもおかしいでしょう」という事象に関しては、
その企業や組織に対してクレームというか意見を書き送るのですが(もちろん実名で)、
今回もMBSとBPO(放送倫理審査機構)に対して意見を書き送りました。
もちろん、丁寧な言葉で、ね。
そして、この放送でこの偏向した内容を読み上げた前田春香アナウンサーに対しても、
メッセージを送るチャンネルがなかったので本人のSNSに次のようなメッセージを書きました。

1月21日のよんチャンTVでの『偏向報道』をのちに見ました。
たとえ台本に書いてあったとはいえ、あのような偏向した内容をなんの疑問も持たずにあなたはしゃべれるのですね。
自分の頭で考えるということをしない生きものなんですかアナウンサーというのは…

 

 

アナウンサー 

 

ぼくはじつは中学の頃はアナウンサーになりたかったのです。
ラジオのDJとかにあこがれたのですよね…
高校を選んだ理由も、全国大会上位入賞の放送部があったからなんです。
だからどうしても、あの高校に行きたかった…
それがなぜ放送部ではなく、また吹奏楽部に入ることになったのかはいろいろあるのですが…
とにかくだんだんわかってきたことは、アナウンサーって、
ただきれいに上手にしゃべれるだけで出来る仕事ではないということ。
むしろ、それ以外のこと、見識が広かったり頭の回転が早かったりものごとが判断できたり、
そういうことこそ大切なのだと思っていて、「これはぼくには難しいな」と思ったのですよね…
安住紳一郎さんとか、亡くなってしまいましたが久米宏さんとか、すごいと思いませんか。
 

 

説得力 

 

たとえばニュースを読むとき、そのニュース、たとえば政治、たとえば経済について、
よく理解していなかったら、それをどんなふうに読んだところで説得力などありませんよね。
なんだかわからずに読んでいたのでは、それを聞いている人には伝わらないのです。
ただ上手にきれいに噛まずに読むだけでいいのであれば、それこそAIで十分です。
(NHKがラジオでやっていますよね、AI音声によるお知らせ…)
コンピューターは考えないし感情もないけれど、その代わり、間違いませんから。
でもこれって、音楽でも同じだと思うのです。
その音楽の意味を理解しないで演奏したのでは、聴く人には伝わらない…
聴く側は必ずしもわかっている必要はないけれど、
演奏する側は、その音楽についてちゃんとわかっている必要があると思うのです。
 

 

資格 

 

そこで、MBSのあの放送をしゃべった前田アナウンサーです。
もちろん下読み、台本に目を通すくらいのことは事前にしたでしょ。
それで、なんとも思わなかったのでしょうか。
自分がこれからテレビで伝えようとしている内容は、一体どういうことなのか、
それを考えてもみなかったのでしょうか。
あれをあんなふうにさらっとしゃべれてしまうということは、
あの内容についてなんの疑問も持っていない、そういうことだと思うのです。
あるいは、なんにも考えていないのか…
であれば、少なくとも政治報道にたずさわる資格がない、そんなふうに思います。
たとえワイドショーやバラエティであったとしても、政治について話す資格がない…
 

 

偏向 

 

うちにはテレビはありません。だから観ません。
実家に帰るとテレビがあるので、家族が観ているものを一緒に観るのですが…
特にTBS系列とかテレビ朝日系列とか、偏向が目に余るように思うのです。
もちろんどんな情報も、当然ネットの情報も含めて、多かれ少なかれみんな偏向しています。
つまり、なんらかの意思、意図を持って伝えられているのだということです。
どれひとつ取っても、純粋な事実だけではないのです。必ず意図が入っています。必ず。
だからテレビには出ず、自ら発信するということを選ばれた政治家さんたちもおられますよね。
賢明だと思います。
情報を受け取るわれわれも、だからそのことをよくわかっておく必要がある。
どんな意図を持ってこれを伝えているのか、それ以前に、これはほんとうに事実なのか、
つねに疑い、鵜呑みにしない姿勢が大切だと思うのです。
そして前田アナウンサーには今回のことを省みて、今後の糧としていただきたいと思います。

さて、みなさんは偏向に振り回されてはいませんか。


あわせて読みたい…

 

 

 

みなさんは人に合わせる、人と同じにすることってありますか。人の言う通りにする、合奏やアンサンブルでも、同じにする、ついて行く。気遣いや思いやりがあるとも言えるかもしれません。でも、こうも言えるのかも。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

人に合わせることって 

 

人と同じだと安心する、人の言うとおりにしておけば…
そういう意識って、どこかにあったりしますよね。
音楽でも、アンサンブルで合わせることって、単に同じにすることだと思っていたり…
あるいは、ついて行くみたいな意識だったりすることもあるかもしれません。
「つける」なんて言いますよね。
普段の生活でも、なんとなくはみ出さないように、人に合わせて…
そんなところって、あったりしますよね。
これってどうしてなのでしょうか。
気遣いできるから?
神経細やかだから?
思いやりがあるから?
じつはそうではなく、こんなふうに言われた人がいました…
 

 

嫌われたくないから 

 

人に合わせる、人と同じにする、はみ出さない、そういう意識、それってどこからくるのか…
それは…
『嫌われたくない』という意識から来るのだ、と。
人に嫌われたくない、そういう最も利己的な意識が、その奥にはあるのだというのです。
たしかにそうかもしれません。
最も利己的で、主体性がなく、自己肯定出来ていない意識がそうさせるのではないのか…
誰からも嫌われたくない、誰からも好かれたいという、おそらく絶対に不可能な利己心、
心の奥にあるそういう意識が、そうさせるのではないか…
人と同じだと安心する、人に合わせて、はみ出さないように気を使うことってじつは、
利己心なのだ、と。
みなさんはどう思われますか。
 

 

出し合うことで 

 

たとえば合奏で、人に合わせよう、人と同じにして、ちゃんとつけよう、ついて行こう…
もし、合奏の全員がそんな意識で演奏していたら、そんな意識しかなかったら、
どうなると思いますか。
素晴らしく合った、整った合奏になる?
ならないと思います。
推進力のない、なんの音楽的な色もない、訴えるものもない、面白味のかけらもない、
そんな合奏にしかならないと思うのです。
アンサンブルでも同じです。
テンポのゆっくりな曲で、合奏がだんだんもたれていくような時って、これだったりします。
みなさんはありませんか、そういうことが。
つけようとして合うのと、ちゃんと自分を出した上で合うのとは違う、
そんなふうに言われる方もおられます。
その通りだと思います。
 

 

どうすればいいのか 

 

では、どうしたらいいのでしょうか。
たとえば、上に書いたようなだんだんもたれていくような合奏があったら…
たとえばひとつのやり方として、『指揮なし合奏』をやってもらいます。
テンポの変化があるような曲でも、です。
いや、むしろそういう曲こそ、試してみるべきなのかもしれません。指揮なし合奏。
しかも、そこにはルールがあって、それは、
「人に合わせようとしてはいけない」というもの。
合わせるのではない、自分の思うように演奏するのです。
それで合奏がどうなるか、試してみるのです。
つまり、どういうことなのか…
なにも出さずただ周りに合わせるのではなく、まずはそれぞれが出し合うのです。
そしてそれを感じ合ったり反応し合ったりすることで、合奏は出来るのですね。
それぞれを、まずは出し合う。
 

 

実社会でも 

 

これって、実社会でも同じだと思うのです。
出し合うのです。みんなが。
言葉や行動でちゃんと自分を出して、反応し合う。
自分の意見や考えや行動に対して、世の中の全員が賛同してくれるなんていうことは、
おそらくないでしょう。
きっと、讃える人もいれば、けなす人もいる。
それが正常なのです。だってひとりひとりそれぞれみんな違うのですから。それに、
それをどう受け取るのか、それに対してどう感じるのかは、『相手の問題』なのです。
自分の問題ではなく、ね。
そして…
みんなが出し合ったものに対して反応し合ったり共鳴し合ったりするのが、アンサンブル。
決して、ただ付いていくのではないのです。

さて、みなさんはちゃんと自分を出してあげていますか。