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フクロウのひとりごと

愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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みなさんは『役に立つこと』ってなんだと思いますか。たとえばなにかを始めようとすると、「もっと役に立つことをやれば?」なんて言う人、いますよね。なら、その『役に立つこと』って、いったい何なのでしょうか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

そんなもの役に立たん! 

 

高校の頃の話をします(前にも書いたでしょうか?)。
入学したばかりの頃、勉強があまり出来なかった福見少年…
(ほんとうに出来なかった。赤点野郎でした…汗)
親が学習塾を見つけてきて、通わされることになりました。
親に連れられてその塾に初めてあいさつに行った日…
先生「塾は毎週土曜日の午後です」
ぼく「あの…、土曜日は、部活があるんですが…」
先生「部活?なにやってるの?」
ぼく「吹奏楽やってます」
先生「吹奏楽?そんなもの、社会に出てからなんの役にも立たない。辞めなさい!」

忘れもしません。二度とそこには行きませんでした。
塾の方をやめてやりましたよ。よかったと思っています。
さて、では、それなら『役に立つこと』ってなんでしょうか。
 

 

学歴 

 

学歴を得られることが、役に立つことなのでしょうか。
勉強すること?
もちろん、学歴だって大切だと思います。人生を左右しますよ。でもね、
どんなにいい学校を出ても、たいしたことない人はたくさんいます。
無名校を出ても、素晴らしい人もたくさんいます。
大切なことは、どこに行くのか、どこを出るのかよりも、
そこでなにをするのか、なにを得るのか、どう過ごすのか、だと思うのです。
それなしで、ただ『学歴』だけを得たって、ほぼ無意味だと思うのです。
名門出の役立たずなんていっぱいいますよ(爆)
もちろん、その逆もたくさんおられます。
 

 

お金が儲かること 

 

お金が儲かること、そのノウハウ、そういう道、それが、役に立つことなのでしょうか。
では、お金を得ることってなんでしょうか。
お金って、人の役に立つことをして、その結果として得られるもの、ですよね。
違いますか。
なら、お金が儲かることって人の役に立つことのはずですよね。
決して、人を騙すことではなく、ね。
世の中には後者の人もいますが、そういう人にはいずれ制裁が下るのでしょう。
お金ってもちろん、ないと困るものです。
明日の食べる心配をしなければならないような状態では、なにも出来ないですよね…
でも、なら、お金がたくさんあることがいいことなのでしょうか。
お金って、ないと困るけれど、あればあるほどいいというものではないように思うのです。
少なくとも、そこに執着したって、いいことはない…
 

 

必要なこと 

 

世の中には『必要なこと』ってありますよね。
たとえば『健康』だってそうですし『平和』もそう。
『安全』に暮らせて治安がいいことも必要なことでしょう。
では、そういういわゆる『必要なこと』に寄与することが、役に立つことなのでしょうか。
たとえばそういうことのために、いろいろな機関や設備がありますよね。
病院がそうですし、警察や消防、海上保安庁、軍隊(自衛隊)だってそうです。
そういうものって、やっぱり必要です。いや、必要とえうよりも、『必要悪』だと思うのです。
それが必要のない世の中になれば、それがいちばんいい。
誰も病気にならずケガもせず、火事も起こらず事件もなく、攻め込んでくるような外敵もなく…
もしそういう世の中になったら、警察も病院も消防も軍隊も必要なくなる。
でも、残念ながらそうではないから、そういうものが存在している。
だから、必要悪。
もちろんそれも『役に立つこと』ではあるのでしょうけど…
 

 

なんのために… 

 

それでは、いい学校を出て、お金を儲けて、安全に健康に、それってでは、
なんのために役に立つのでしょうか。
なんのために、なぜ『必要』なの?
さて、どうでしょうか。なんのため?
それがなかったら、ただ無意味に生き長らえるだけになってしまいますよ。
なんのために、生きているの?
その答えってきっと、人の数だけあるものだと思うのです。
おそらく『音楽』も、そのひとつでしょう。
人間にとってほんとうに必要で『役に立つこと』って、じつはこっちだと思うのです。
往々にして、「もっと役に立つことをやれば?」なんて言われてしまうかもしれないこと…
不要不急なんて言われて一見ムダなことのように思われがちなこと…
それがほんとうは、『必要』なこと、役に立つことだったりするのだと思うのです。

さて、みなさんにとっての『役に立つこと』ってなんですか。
 

レッスンや指導ってなんでしょうか。教えてもらうこと…、そうですよね。なにを教えてもらうのでしょうか。なにが得られるのでしょうか。また、どんな姿勢で臨むのがいいのでしょうか。どんな姿勢で臨んでいますか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

レッスンや指導 

 

楽器をされている方でレッスンを受けられている方もおられるかもしれません。
また吹奏楽指導や、吹奏楽に限らずオケやアンサンブルでも、
合奏やセクションの指導を受ける場面もあるかもしれません。
なにしろ、教えを受ける場面ってありますよね。
これって、どういうものなのでしょうか。
なにを求めて、なにを期待して、そういうものって受けるのでしょうか。
これ、いろいろな考え方や捉え方があるように思うのです。
では、どういう考え方や姿勢で臨むのが効果的だと思われますか。
レッスンや指導って、なにをするところなのでしょうか。
みなさんは、どんな姿勢で臨まれていますか。
 

 

言われた通りにするもの? 

 

先生の言われた通りにするところ、ただ言われた通りにしてさえいれば…
そういう姿勢で臨む人もいるかもしれません。
なんにも考えずに、ただ言われたことを忠実にしていけば成長できるんだ、
いい演奏や音楽ができるようになるんだ…
そんなふうに考える人もいるかもしれません。
また、それはある意味、ラクなことでもあるように思います。
だって、それについて責任を取らなくていいと思っているのだから。
責任を放棄しているのだから。
また、そういう姿勢で臨むことを要求する先生というのも、もしかしたらいるかもしれませんね。
「おれの言う通りにするのが当たり前だ、それがレッスンだ」…
今どきそんな先生はあまりいないかもしれませんが…
さて、これってレッスンや指導に臨む姿勢として、どうなのでしょうか。
これってはたして効果が上がるのでしょうか。
 

 

『正解』を教えてもらうもの? 

 

レッスンや指導って、『正解』を教えてもらうところなのでしょうか。
どこかに『正しいもの』『正しいやり方』『正しい考え方』があって、
それを教えてもらうところ…
どこかでそんなふうに思っている人もいるかもしれませんね。
そもそも、楽器や音楽に『正解』ってあるのでしょうか。
あるとしても、それってひとつだけではないですよね。
きっといろいろな『正解』がある。
この先生の言う『正解』が唯一で、そうすることが『正しい』?
そういうのを、ただの盲信というのだと思うのです。
 

 

やり方を教えてもらうもの? 

 

練習方法ややり方ってありますよね。
これがこんなふうに出来るようにするためには、こういうやり方でこんな練習をする…
それを、教えてもらうところ?
そして、ただなにも考えずにその通りにしてさえいれば、それが出来るようになる…
そんなふうに無意識に思っている人もいるかもしれません。
もちろんそれはきっと有益なものなのでしょうけど、でも…
なにも考えないで、無思考におこなって、はたして成果が上がるでしょうか。
でも、そうなってしまっていることって少なくないとは思われませんか。
「その練習って何のためにやっているの?」「どういう意味があるの?」
これ、答えられますか。
 

 

共に探し見つけるもの 

 

レッスンや指導で得られるものって、なんでしょうか。それは…
『気づき』ではないかと思うのです。
気づくのって、自分なんです。だから能動的なのです。
掘り起こす、見つけるといってもいいかもしれません。
先生は、その手助けをしてくれたりきっかけをくれたりヒントをくれたりするもの。
だから、先生と一緒に、よりよい形を共に探し見つけるもの、それがレッスンだと思うのです。
なにかを一方的に『教えてもらう』、ましてや、ただ『言われた通りにする』、
そこには主体性がありません。
主体はあくまで、自分なのです。
だから疑問があったらどんどん訊くべきです。ディスカッションするのもいい。
そうして 見つけて気づいていくのが、レッスンであり指導だと思うのです。

さて、あなたはどんな姿勢でレッスンに臨んでいますか。
 

演奏ってなんのためにするのでしょう。技術をひけらかすためでしょうか、人から認められるためでしょうか。いい賞を獲るためでしょうか。自分の存在価値を示すためでしょうか。あなたは何のために演奏していますか。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

伝えるため 

 

演奏ってね、結局は、『伝えるため』に、するものだと思うのです。
誰かに、なにかを伝えるために。
それは具体的なものとは限らなくて、抽象的な気持ちだったり思いだったり…
そのために必要なことって、音に『意思を込める』ということだと思うのです。
きれいな音を出す、クリアに発音する、まわりと合わせて音を出す…
そんなこと以前に、いちばん大切なこと、それが、
意思を込めて発音するということだと思うのです。
音に意思を込める、どういうことなのでしょうか。
実際にそういう演奏を聴くと、はっきりと認識できますよ。
 

 

誰かに 

 

これは前にも書いたことですが…
たとえばウォームアップでも基礎練習でもいい。
簡単な音階でもメロディでもなんでもいい。
自分のたとえば2~3メートル前に誰かに立ってもらって、その人に届けるつもりで、
その人に伝えるつもりで演奏してみるのです。
音階でも、メロディでも。
なにかが変わりますから。
技術じゃない、奏法でもない、なにか大切なことが変わるのです。
これなんですよまずは。
そんなふうにして、普段音を出すことってありますか。
むしろ逆に、「なるべく人に聴かれないように」なんて思って吹いている人、いませんか。
それでは、いい演奏って出来るようにはなりませんよ。
演奏とは、誰かに届けるものなんです。
 

 

きれいに 

 

では、どんな演奏が、いい演奏なのでしょうか。
正確で、楽譜通りで、テンポも安定していて、音がきれいで、テクニックが正確で…
でもね、そういう『きれいな』演奏をする人なんか、今の世の中、山ほどいるんですよ。
いくらでもいるのです。
だけどその中で、ちゃんと音に意思がこもっている人はどうかというと…
それはもちろん、意思を込めて演奏するのでしょうが、
ほんとうに意思がこもっているのかというと、どうなのでしょうか。
そんなことより『きれいに吹く』とか『正確に吹く』が第一義になってしまっている人が多い、
そんなふうに思いませんか。
それはもちろん大切なことなのだけれど、でも、でもね、
「なにかいちばん大切なことを忘れてはいませんか」と言いたくなるのです。
伝えること、伝える意思、意思を込めること。
 

 

正確に出来てから? 

 

そういう『意思を込めること』って…
正確に演奏できるようになってから初めて取りかかれることなのでしょうか。
どう思われますか。
これ、違うと思います。
なんのために正確にするの?
本末転倒なのではないですか。
なにかを伝えるために演奏ってするのですよ。
なら、意思を込める、伝えることの方が先でしょ。
それから、音楽が美しくなるように正確にしていくのではないでしょうか。
あるいは、伝えたいことがより伝わるように、整えていくのではないでしょうか。
少なくとも、整えたり正確にしたりすることって決して、目的なんかではないんです。
いいですか、演奏の『目的』って、決してそこではないんです。
 

 

目的を忘れては… 

 

伝えること、意思を込めること、その、いちばんの目的を忘れてしまって、
ただ正確にきれいに間違えないできちんとすることばかりを目指した演奏って、面白くない。
だいいちそれでは、やっていて辛いだけですよね。
面白くない。喜びもない。
それで、聴く人になにかが伝わるわけがない。
そうは思われませんか。
意思を込めるって、気持ちを込めるとかいう抽象的なことではないんです。
ひとつひとつの音に、はっきりとした意思がある。
演奏って、そうでなければならないと思います。
それには経験や、たくさんの演奏を聴くことが必要だと思うのです。

さて、意思を込めて演奏していますか。