言葉とか文章って話す人や書く人が言葉を選んで伝えますよね。でもその選び方で、どう伝わるのかがすべて決まるわけではない。受け取る方だって、それぞれに選び受け取っているのです。受け手によって変わるのです。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
伝える側
言葉や文字、文章でなにかを伝える側は、いくつもの言葉の中から選択し、文章を紡ぐ。
たとえば、
「○○です」
「○○ではないでしょうか」
「○○だと聞いています」
「○○だと言われています」
「○○だと思います」
「○○だと思うのです」
まだまだありますよね。
そのどれを選ぶのかで、その意味やニュアンス、伝わり方が全然変わってきます。
みなさんはそれぞれの言い方に、どんなニュアンスを感じますか。
また、話す場合は声のトーンや強調、間の取り方などでも伝わり方が変わってきます。
中立
報道やメディアは中立であるべきだなんて言われることがあります。
みなさんはどう思われますか。そうあるべき?
では、中立ってどういうことなのでしょうか。
事実のみを伝えることでしょうか。
でも事実にも、いろいろありますよ。
そのなかのどれを伝えるのかで、まずは選択がありますよね。
そしてそれを、どんな言葉を選んで伝えるのか、これにもいろいろあります。
いろいろなメディアを見ていて思うのですが…
実際、中立なメディアや報道などというものは存在しないと思うのです。
事実や言葉の選び方どころか、その向こう側にはいろいろな考え方や意図が隠れている…
受け取り方
では、言葉や文章って、伝える側の伝え方ですべて決まるのか…
そこで完結しているのか…
違いますよね。
受け手の選び取り方によって、さまざまに伝わります。
なぜか同じことを受け取っても、とても好感を持つ人もいれば反発する人もいます。
それは、それぞれの受け手のそれまでの経験や考え方などによって決まってくるのですよね。
そういうものが、人によって全然違うフィルターになって、言葉を選び取っている。
なかには、伝える側の意図とは全然違う受け取り方をする人たちもいます。
「そんなことを言いたかったわけではないのにな…」ってなりますね。
そういえば以前、こんな記事を書きましたね…
また、こんな記事も書きました…
日本語が不自由な人、たくさんいますよね…
音楽でも
さて、伝え方、伝わり方、受けとり方、これって音楽でも同じなのではないか…
そんなふうに思うのです。
作曲する側の、演奏する側の、表現の選び方、意図ってありますよね。
では、それで音楽は完結するのか、決まってしまうのか…
やっぱり全然そんなことはなくて、受け手によってそれぞれ違うものになる。
でも、音楽の場合はそれが、面白いところのひとつだと思うのです。
言葉や文章なら、伝える側の意図があって、それとかけ離れた受け取りをされたら困る…
でも音楽は、もちろん伝える側の意図はあるのだけれど、それはある程度抽象的で…
受け手がいろいろに想像する余地が、文章よりも多いのではないかと思うのです。
受け手が補完する
もちろん文章だってすべてを書き表せるわけではないので、
たとえば小説などは、受け手がいろいろにイメージ、想像して補完しているのですよね。
もちろん音楽も、そうだと思うのです。
そしてそこには、正解とか間違いとかはない。
だから面白い。
そしてもちろん、すべての人に受け入れられる文章や音楽はない。
絶賛する人もいれば、拒絶する人もいる。
それはつまり、その発信が、個性や主張を有していることの証しでもあると思うのです。
伝え方にもいろいろあれば、聞き方、受け止め方にもいろいろある。
さて、あなたはどんなふうに伝え、どんなふうに受け取りますか。


