演奏って指揮者でこんなにも変わるもの | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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合奏って、指揮者によってどれくらい変わるものだと思われますか。なぜ変わるのでしょうか。また、合奏が合うってどういうことなのでしょうか。じつは先日、こんなにも変わるのかというのを目の当たりにしたのです。

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  公開リハーサル

 

先日、ある大学で行われた公開リハーサルで、学生指揮が振る合奏を聴いて、うーん…、と…
それが、客員教授の先生が振られたら、まったく別物になった!
合奏が、指揮者によってこんなにも、これほどまでに変わるという現場を目の当たりにしました。
なぜ、なにが一体、これほどまでの違いをつくったのでしょうか。
もちろんいろいろな要素はあるのでしょうけど…
 

 

  指揮のせい?

 

先日、こんな話をしていました。ある人に、
「振っていて、こんな音になったのは振り方が悪かったって思う瞬間があるんですよね」

って言ったら、
「合奏からいい音が出ないのは全部指揮者のせいだよ」って。
ほんと、そうかもしれないです。
だからきっと、もしも…
『こんなにちゃんと振ってるのにどうしてそんな音なんだよ』

なんて思っている指揮者がいたとしたら、
その指揮者は、まったく自分のことがわかっていない可能性が高いのかもしれません。
 

 

  なにが違うのか…

 

では、指揮者のなにが、そんなにも演奏を、音楽を変えるのでしょうか。
それはもしかしたらきっと…
音楽の流れやビートを身体の中に持っているかどうか、ではないかと思うのです。
指揮することって、ともすると拍を出すことだと思われがちなのではないでしょうか。
でも、たとえば合奏がうまく合わなく感じた時に、拍をよりはっきり正確に出そうと心がけても、
その試みは効を奏しないことが多いです。
ある指揮者さんが、こんなふうに言われました…

「指揮を見ていればテンポがわかると思ったら大間違いですよ」と。
それはつまりそういうことなのだろうと思います。
 

 

  『合わせる』という意識

 

うまく合わない時に、指揮者でも奏者でも、

『合わせよう』という意識が働くと、ますます合わなくなる…
そういう経験、ないですか。
合わせよう、合わせなきゃ、って思うほど、むしろ合わなくなる…
それってなぜなのでしょうか。
軸がなくなるからなのかもしれないですね。
みんなが『人に』合わせに行ったら、どこにも軸がない。
ではそれなら、『みんなで指揮に合わせよう』は?
そりゃあテンポの変わるところなんかはそうしますが、、というか…
合わせるのではなく『アンサンブル』するのですよね。指揮者と。
でも、テンポの変わり目でなければ、それも必要ない。
流れとビートを持って演奏する。それぞれが。
軸は、それぞれ全員の中にあるものなのです。
合わせようという意識が働いてそれがなくなってしまったら、合わなくなるのは当たり前です。

アンサンブルとは、自分を出さず人に合わせることではなく、もっと積極的なものです。
 

 

  大切なことは

 

拍ではなく、流れが大切です。
拍は、その結果として合うものです。
テンポとは、『等間隔に並んだ点』ではないのです。
むしろ点と点の間、そのつながりこそが大切だと思うのです。
連続したもの。それがどんなふうに連なっているのか。
そしてそれぞれが、自分の中に持っているその『流れ』によって演奏する。
もちろん、まわり、全体を意識に入れつつ。
指揮者は拍ではなく流れ、ビート、ノリを見せる。
奏者は自分の中に流れを持って演奏する。

さて、音楽の流れ、持って指揮していますか。演奏していますか。