ゴールや正解は必要か? | フクロウのひとりごと

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愛知県在住のトロンボーン吹き、作編曲家、吹奏楽指導者。
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みなさん音楽していて、たとえば奏法のことや技術的なこと、たとえば表現や音楽的なこと、そこに100%の正解を求める人ですか。言い換えれば、100%正しいと確証を持てないと前に進めない人ですか。それとも…

こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。

 


 

 

  ゴールや正解を

 

技術的なことにしろ、音楽的なことにしろ、100%の確証を持てないと気が済まない人と、
とりあえずの仮説で進んでいける人と、

その2種類に別れるのかもしれない、そんなふうに思ったり…
みなさんはどうですか。
また、どこかにゴール、目標を設定する人ですか。
たとえば、これをこのテンポで出来るとか、金賞を取るとか…
つまり、数学の答えみたいにはっきりしたものを求めたい人と、

そうでもない人とがいるのではないか…
そんなふうに思うのです。

ゴールや正解をはっきりさせたい人と、そうでもない人と…

 

 

  正解の求め方

 

これはきっと自分では自覚していない、潜在的な考え方みたいなものだと思うのですが…
はっきりとした正解がないと気が済まないタイプの人は、その正解の求め方として…
たとえば実験と研究と勉強を積み重ねて、100%と思える解を追求し続けるタイプと、
たどりついた答えを『正解』だと自分に言い聞かせるための理屈を考えるタイプと、

この2つがあるように思うのです。
自分自身、なんだか過去に身におぼえがあるような気もしないでもないですが…
でもね、そもそも…
 

 

  正解やゴールなんてあるの?

 

技術的なことにしろ、音楽的なことにしろ…
はたしてほんとうに『正解』などというものがあるのでしょうか。
おそらく多くの事柄に関しては、
絶対的な正解や唯一の正解、万人に当てはまる正解ってないのではないでしょうか。
そんなふうに思うのですよね…
ゴールにしてもそうで、音楽って、『これで完成』っていうのがない。
だから向き合い方としては、
仮説を立てて進んでみる、

間違っている可能性も疑った上で試してみる、

より良いと思える答えを探す…
音楽の追求って、そんなことの繰り返しであるように思うのです。
少なくとも音楽って、白黒はっきり答えが出るという類いのものではないと思うのです。
 

 

  導くということ

 

さて、教える、導くということについてはどうでしょうか。
それはおそらく、生徒に『正解』を『与える』という類いのものではないと思うのですよね。
より良い方向、生徒の望む方向に行けるためのヒントをもたらす、一緒に考える、
そういうものなのではないかな、と思うのです。
いわゆる、数学や科学みたいに『正解』や、その『求め方』を与えるものではないですよね。
でもこれは、音楽ばかりではなくていろいろなことに言えるのかもしれません。
 

 

  考えるきっかけ

 

たとえばこのブログだってそうで、正解やひとつの答えを伝える類いのものではないです。
そんなものを伝えられるような人間では、ぼくはないですしね…
なにかを考えるきっかけになってくれればいいな、と思います。
答えは出しません。
正解はひとつではない、たくさんある、人の数だけある、
そういうものって、少なくないように思うのです。
(先日書いた恋愛の話だってそうです)
世の中、白黒はっきりすることばかりではないのです。
いや、そんなことのほうが少ないのだと思います。
だから、考えて、仮説を立てて進んでいく。そしてまた考えて…

さて、みなさんはゴールや正解がはっきりしないと気が済まない人ですか。