みなさん、日本の唱歌で『シャボン玉』ってご存じですよね。野口雨情作詞、中山晋平作曲。
さて、じつはこの歌詞には悲しい意味が隠されているという説があることをご存じですか。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
シャボン玉
歌詞、もう著作権は切れているので書いてしまいますね。
シャボン玉飛んだ 屋根まで飛んだ 屋根まで飛んで こわれて消えた
シャボン玉消えた 飛ばずに消えた 生まれてすぐに こわれて消えた
風、風、吹くな シャボン玉飛ばそ
この歌詞には、じつは生まれてすぐに亡くなってしまった雨情の娘への思いが込められている、
という説があるのですね。あくまでも説です。
いろいろな説あるようですが…
ほかにも…
日本の唱歌の中にはほかにも、じつは深い意味があるといわれているものがあるようですね。
もちろんやっぱり単なる『説』なのでしょうけど、なかには怖いモノもあります。
(リンク先は読まれるのなら自己責任で…)
一見それとわからないように、こっそり思い、意味を込める…
もしそうだとするなら、ある意味、日本的だと思いませんか。
悲しい気持ちを、悲しい言葉と悲しいメロディで『悲しいよ』と伝えるのでない、
だからなおさら、その意味を知るとますますその思いが伝わってくる…
唱歌に限らず、ほんとうの意味がわかると音楽の見え方がガラリと変わること、ありますよね。
もちろんその中には、繰り返しになりますが、単なる『説』でしかないものも少なくないでしょうけど…
悲しい歌詞には
さて、作曲でも編曲でも、もし、すごく悲しい歌詞をもらったら…
それにいかにも悲しいメロディをつけて、悲しい編曲をするのって、あまり好きではないのです。
歌詞もメロディも編曲も、みんなそろって悲しい悲しいって言っているのはどうなんだろう…
なんだかドロドロしすぎて、お涙ちょうだいで、ちょっといただけないなと思ってしまうのです。
もちろん、音楽にもよりますけどね…
悲しい詞には少し明るい曲をつけて救いにしたいと思う人です。
その方がむしろ、悲しさは伝わるものなのかもしれないとも思うのです。
ちゃらちゃらした?
ところがあるとき、「ちゃらちゃらしたアレンジ」って言われてしまったことがあるのですよね、
そんな思いで書いたものを…
もうずいぶん昔のことです。
でも、忘れないですね…
ドロドロした歌詞に、ドロドロした音楽をつけたくなかったのです。
あるでしょ、『こうしたら、気に入ってもらえるんだろうな。でも、ぼくはこう思うんだ』っていうこと…
後悔はないです。
また別の仕事ですが、「違う!」って言って欲しくて書いたものとか、あったりします…(汗)
さて、悲しい詞には悲しい曲? それとも…
みなさんはどう思われますか。