みなさんは自分のマイナス面やネガティブなところを隠して、見ないようにして生きていたりしませんか。誰でも多かれ少なかれそんなふうにしているものなのかもしれません。でも、それってもしかしたら良くないこと。
こんばんは。
トロンボーン吹きで作編曲家、吹奏楽指導者の福見吉朗です。
ネガティブなところ
すでに書いたようにジストニアになって、いろいろあってお酒も飲んで、で、
朝になると、あんまり書いた記憶がないことがSNSに書いてある…
「あぁこんなこと書いたんだ…」と思う。
それはとてもネガティブなことであったりするのだけれど、でも、嘘ではないわけです。
書いた記憶がないほど朦朧としてはいたのでしょうけど、でも、
まぎれもなく、そのときに思ったり感じたりしたことだったのですよね。
だから全部残しておこうかとも思ったのですが、さすがにやっぱり消しました。
人間ってね、誰でもそうだとは思うのですが、
どんなに酔って意識が朦朧としていても、心にもないことなんて言わないんです。ですよね!
後悔?
みなさんは、言って「しまった」と後悔したことはありますか。
ぼくはあまりないのですよね…
だって、どんな言葉だって嘘じゃないし。
それをどんな心根で発したのかが大切だし、それにはいろいろある。
そこを、半ば意図的にねじ曲げて捉えられたこともありますよ。たくさんある。
もちろん誰しもそうですが、自分をちゃんと理解してくれない人間だって一定数はいるのです。
それは事実です。誰であれ、ね。
後悔するというのはきっと、それが「知られたくなかった本音」だからではないでしょうか。
それがどう伝わるかなんて、それはすでにもう「受け取った人間の問題」ですからね。
後悔ってそこではなくて、自分がその事実、本音を、伝えたいと思ったかどうか。
ほんとうは知られたくない本音を発してしまったときに後悔するのだと思うのです。
SNS
ネガティブなことをSNSには書くなという人がいます。
みなさんはどう思われますか。
たしかにSNSって、きれいなことがたくさん並んでいますよね。
なかにはドブみたいなタイムラインもありますけどね…
うれしかったこと、楽しかったこと、自慢したいこと、映えること、華やかなシーン…
その人のそんなところだけを切り取ったのが、SNS、そんなふうにも言えるのかもしれません。
あるいは食べ物とか、そういう当たり障りのないものが並んでいたり…
ぼくもたとえばインスタだと、映える写真を狙っているようなところも正直あります。
でも、ぼくはいいと思うのですよね、ネガティブなことを書いても。たまにはね。
だって、誰しもそういうものは持っているはずなんですから。
もしそういうものがない、24時間ハッピーだなんて人がいたら、
それはそれは羨ましいですけどね。それがほんとうなら、ね。
自分に対して
そういうおそらく誰しもが持っている、ネガティブな部分、
それを、自分に対して隠す、見ないようにする、ないものだと思い込ませる…
つまり、自分に対して自分を偽って生きること、
それってきっと、いちばんやってはいけないことだと思うのです。
ネガティブを抑え込んで生きれば、ポジティブ人間になれる?
なれないと思います。
それでは壊れてしまいますよ。心も身体も。
ステージで、「緊張なんかしてないぞ」っていう自己暗示が効果がないのと同じです。
効果がないどころか、それってむしろ逆効果にしかならない。
緊張やマイナス、ネガティブなところもちゃんと認識して初めて、自分のいいところも出る。
でも、そういう自分のマイナス面に目を向ける、意識に入れるのって勇気の要ることです。
どう昇華するのか
さて、では、誰もが持っているそういうマイナスの面を、どう昇華するのか…
昇華 … ある状態から、更に高度な状態へ飛躍すること。
とりあえず、泣くのもいいでしょう。
誰かに話すのも、いいと思いますよ。信頼できる人にね。
(ぼくはこれまであまり出来なかった…)
ブログやSNSに書くのだっていいと思うのです。
『供養する』っていう人もいますね。書くことによって、その思いを供養するのです。
いいと思いますよそれも。
自分の中にたしかにある、そういうネガティブな部分をまず、ちゃんと知るのです。
その上で、それをどんなふうにプラスに持っていくのか、その道筋を、ちゃんと見据える。
これも、なかなかにエネルギーを要することです。
でもそれは、たとえばそれを見たほかの人にとっても、
なにかプラスになったり支えになったりするものだと思うのです。
さて、あなたは持っていますか、ネガティブな部分。それ、自分に対して偽ってはいませんか。


