ROKO’s Life Mission Story ② 自分を生きる | 【京都・福岡】旅するROKO・アラフォー3児ママのかけがえのない《瞬間》を生きる

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自分を大切に、自分を信じ続け、本来の命の輝きを取り戻そう♡

ご覧いただきありがとうございます♡

 

何かの拍子に

ウシシハワイ行きたいなぁ。

ラブ○○(名前)は、ここ(TVに映る海外のビーチ)にも行こ。

 

そう旅の予定(本人は決めているw)を

毎日連呼する末っ子に

冷汗が止まらないROKO こと 

中嶋紘子 です。

 

 

 

今日もプロフィールの続きを書き綴ります。

 

昨日までのプロフィールブログは

こちら 下矢印

  ベルその① ここに《存在》することが許せなかった私。

  ベルその② 2020年の始まり ー大汗(涙)と吐きそうな日々ー

  ベルその③ ROKO’s Life Mission Story ① 良い子だった私

 

めっちゃ他人軸で生きていた幼少期。

 

誰かのお役に立つことで

自分が《ここ》に存在することを

許可していたから・・・

 

親に迷惑をかけずに

《良い子ちゃん》の私でした。

 

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父は、自分が決めた通りに生きる娘(私)に

とても満足していました。

高校&大学、2度の受験失敗以外は・・・滝汗

 

私もまた、親が決めた通りに生きる事は、
大きく道を外すことがない上に、

親の期待に添う人生だと思っていました。

 

何をしたらよいのかも

どう生きたらいいのもわからず

 

ただ《人のお役に立つこと》のみ

はっきりしていた私にとって

親に決定権を譲ることは

それもまた、役に立っている。と

思い込んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

女子高でいじめられた経験から

【女だけ】、【女だらけ】の職場は

恐怖でしかなく、

絶対に嫌だゲッソリと思っていたにも関わらず・・・

 

《人のお役に立てる》

ただそれだけで

いつのまにか看護師という道に

進んでいました。

 

いや~、でもやっぱり

看護学校時代も暗黒で(笑)

 

看護師以外の

《人のお役に立てること》を

探したことも多少ありましたが

結局は、看護師として就職しました。

 

看護師という仕事は、やりがいがあり、

職場の仲間にも本当に恵まれ、

プライベートも充実し、

なんの不満もない毎日でした。

 

ですが、ただ淡々と過ぎていく毎日に

自分の人生を生きているという感覚がなく、

このままでよいのか?というモヤモヤが

徐々に、私の頭や心を覆いつくしていきました。
 

 

 

当時、私が配属された部署は、

大学病院の赤ちゃんの集中治療室と小児病棟でした。

 

生まれたばかりの赤ちゃんや子供たちが亡くなっていく、

生と死の両方がとても身近にある環境で、

私は仕事をしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

日々子供たちと向き合う中で、

どんなことがあっても

可能性を・自分を信じ、

自分を表現し続ける【本気で生きる姿】を

子供達にみせられた私。

 

頭を殴られ、心(胸)の中をえぐられるような衝撃を受けました。

 

 

 

私は、親の敷いたレールに乗り、

自分と深く向き合うこともなく

ただ淡々と生きている自分が

とても恥ずかしく情けなくなり、

穴があったら入りたい気分になりました。

 

そしてこの時、私は、

本気で自分を生きる】こと

を決意しました。

 

 

 

ですが、

今まで自分で模索してこなかったので、

転職先を探したり、

片っ端から様々な習い事やセミナーを受講したりと、

見当違いのことをすることも多く、

はじめの一歩を踏み出すまでにとても時間がかかりました。





思い切って踏み出した一歩足

 

それは、環境面でも給料面でもとても恵まれた

大学病院での看護師という職を辞めることでした。

 

専門スキルへのステップアップや、

結婚等も考えるであろう時期(年齢)に

大学病院の看護師という職を手放すことは、

今まで培ってきたもの・居心地のよい場所を
全て手放すことであり、

 

私は今まで味わったことのない恐怖に襲われ、

かなりの勇気が必要でした。

 

でも、出逢った子供達を想うと、

様々な言い訳をしては

現実から目を背け、

自分の人生の責任を

親や周りのせいにしてきた自分を思い出し

絶対に行動に移すと覚悟を決めました。

 

私は、ただただ自分が何をやりたいのか?だけを

自問自答し、

ダメな自分も全部出し、

親の決めた枠の外へとどんどん行動していきました。

 

この【自分を生きる】ために

模索した時間や

実際に行動に移していく日々は、

出口のない暗闇の中を

ただ、ひたすら進むように、

 時にとても苦しく、

困難な事もありましたが、

それでも

自分の人生を生きている感覚や、

心から喜びや幸せを感じる事が出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、退職して初めて、

今までの環境がどれだけ恵まれていたかを

改めて実感し、

育てて頂いた職場の上司や同僚、

出会った子供達やご家族の方々、

そして、

自分の人生の責任を押し付けながらも

看護師という職を導いてくれた

家族、両親に対し、

とても深い感謝が溢れました。
 

そして同時に、

私自身が自分を表現しても

両親に迷惑をかけていなければ、

両親の幸福度に変わりはないことが

はっきわかりました。

 

それよりも自分の人生に向き合う私を

当時、どても応援してくれ

とても、とても嬉しかったのを

昨日のことのように覚えています。

 

 

 

続きます。

続きはこちら⇒ROKO’s Life Mission Story ③ 日本脱出して取り戻した自分

 

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人生を振り返ると

自分を押し殺して、なんとなく生きていた時期、

他人軸で、周りに依存していた時期は

楽しさや充実感があまりなく

ライフグラフを書いても

マイナスばかりでした💦

 

やはり、どんな苦しい状況があっても

自分の責任で自分の人生を歩むと

人生の質もガラリと変化し

プラスへとなっていきました。

 

それは、看護師退職後の

自分の人生に責任をもって生き始めたときからです。

 

続きはまた明日。

 

 

 

 

今日も最後までお読みいただき

ありがとうございます♡