日本の近代(下) 第7章 アメリカとの戦争、そして敗戦 | 怠け者のつぶやき

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 121日に御前会議で決定した真珠湾攻撃は、128日に行われる事になった。日本は演習にて、アメリカの7割の軍事力があれば5割程度の勝率があると考えていたが、当時のアメリカとは彼我の差があった。真珠湾攻撃に対しては軍本部も反対をしていたが、山本五十六が自分の首をかけてしまったため、やらせることとしてしまった。

 真珠湾攻撃は、飛行機350機を駆使して行われ、戦艦、巡洋艦など各4隻を中・大破、航空機188機を破壊しアメリカ軍に甚大な被害を与えた。しかしここで指揮をしていたのは山本ではなく南雲忠一であった。山本は陸軍の兵器専門であり、今回の作戦は得意としていなかったためであるが、この頃瀬戸内海にいたと言うのは責任感が無い様である。またここで一つ問題が起きた。国際法に則り攻撃前に宣戦布告をしなければならなかったため、日本は攻撃の30分前に宣戦布告をするつもりであったが、駐米日本大使の事務上の遅れから攻撃の1時間後になってしまった。これによりアメリカは「リメンバー・パールハーバー」という標語を定着させてアメリカの戦意を高揚させる様になってしまった。

 その後も日本は翌年5月まで快進撃を続ける。一方で1942418日に初の本土爆撃が起きる。制空権、制海権を握っていたと思っていた日本はこれに焦り、アメリカの拠点であるミッドウェー島を攻撃する作戦を立てる。

 しかしこのミッドウェー海戦で日本は285機の飛行機と10万人の兵士を投入したが、これを全て失う大敗を喫してしまう。この時、海軍は大本営にこの事実を伝えなかった事から、状況を正確に把握できない大本営は誤った作戦を立てて行く。これを機に19432月にはガダルカナル島、5月にはアッツ島を失う。その後は千島、小笠原、マリアナ、カロリン諸島を結んだ最終防衛圏を敷くも194462マリアナ沖海戦の敗北とサイパン陥落で突破されてしまう。以後はサイパンから飛び立ったB29による本土爆撃の回数が増えてき、10月にレイテ島沖海戦で連合艦隊はほとんど船を失い、19452月には硫黄島の戦いで玉砕、4月にはアメリカ軍が沖縄に上陸してくる。

 中国では、全土に間延びした戦力は80万人にもなっていた。アメリカとの戦争の際には19444 には1号作戦でアメリカ軍の航空基地破壊と北京から広州を貫く2000kmの鉄道確保を行い、華南の重要地区に兵隊を移動させる。一方で蒋介石は1937年にカイロ会談へ出席、日本を無条件降伏に追い込むまで米英と協力して戦う事を宣言する。

 ドイツは19432月にスターリングラードでソ連に降伏して以来、劣勢が続いていた。9月にはイタリアが無条件降伏を行い、1945年は日本も頽勢を立て直す事ができなくなっていた。

 194524日から11日までヤルタ会談が開かれる。ここでは米英ソにてヨーロッパの戦後処理と、ドイツ降伏後3カ月以内にソ連が対日宣戦布告する事が決定された。それにも関わらず日本はソ連に仲介を求め戦争を終わらせようとしていた。ソ連は呼びかけに応じなかった。

 1945430日にヒトラーが自殺をすると、57日にドイツは無条件降伏をする。この後717日にポツダム宣言が発表されるが、このころになるとアメリカにとってソ連の対日宣戦布告は逆にいらぬ戦後問題をもたらす事が分かっており介入させたくなかった。同時にこの頃、「世界を焼き尽くす業火」原爆が完成したとの連絡も受ける。

 ソ連は南樺太と千島列島、満州の権益を得るため、88日に対日宣戦布告を行い、満州の日本人60万人を抑留し始める。そして同じころ、広島・長崎に原爆が落とされ、これを受けて日本はポツダム宣言を受諾する事になる。

 194592日、アメリカ軍艦ミズーリ号で日本代表の重光葵、参謀総長梅津美治郎など11人により、降伏文書は調印される。そこで総司令官のマッカーサーは、今後は戦勝国、戦敗国を問わずに自由、寛容、正義に対する念願を実現するために責任を持って措置をとると演説し日本全権団を感動させた。

 日本がこのような結果を迎えた事は、日本を国として統合する核の不在、国家としての中心の欠如が原因である。また政党政治が成熟しきる前に普通選挙が始まってしまい、社会を統合させる資質を持った人物が組織の中に埋もれてしまった事にある。しかしこの結果は悪いことばかりではなかった。軍に勤めていた人々は、その後の日本の高度成長に大きな影響を与え、今日の日本の礎を築いている。明治から続く92年という近代の成長なくして、我々の現在の生活はないのである。