リバプールとトッテナムの間で、直接の移籍を果たした選手たちについて。

あくまでもリバプール to/from トッテナムいう取引のまとめであり、別のクラブを挟んだ選手は除外。










【To】



ハリー・ブラッドショー


レフトウィング/元イングランド代表

1873年8月24日生まれ
1899年12月25日没(26歳)

●リバプール
1893-94〜1897-98/138試合51ゴール

●トッテナム
1898-99/52試合13ゴール

1897年2月20日のアイルランド代表戦でイングランド代表デビューを果たし、リバプール史上初の代表選手となった。

テムズ・アイアンワークス(現ウェストハム)に所属していた1899年のクリスマス、頭や胸の痛みを訴えると医師の診察も間に合わずに死去。結核が死因とされる。

※トッテナムに移籍する前に、極短期のみ古巣ノースウィッチ・ヴィクトリアに所属したとの情報も存在。


レイ・クレメンス


ゴールキーパー/元イングランド代表

1948年8月5日生まれ
2020年11月15日没(72歳)

●リバプール
1967-68〜1980-81/665試合クリーンシート323回

●トッテナム
1981-82〜1988-89/320試合クリーンシート114回

CLの前身チャンピオンズカップで優勝3回や国内リーグで優勝5回を含め、18個のタイトルを獲得しリバプールのレジェンド。

トッテナムやイングランド世代別代表を指導したが、2020年に前立腺癌により亡くなったとご家族が発表。


ポール・ウォルシュ


センターフォワード/元イングランド代表

1962年10月1日生まれ(64歳)

●リバプール
1984-85〜1987-88/112試合37ゴール

●トッテナム
1987-88〜1991-92/156試合21ゴール

マンチェスター・ユナイテッドとの争奪戦を制したのち、デビュー戦のウェストハム戦では開始15秒で初ゴールを挙げた。

キャリアを通じて怪我に悩まされ、1996年2月の前十字靭帯損傷により現役を引退したが、その苦しみからアルコールに頼ったことも明かしていた。


ロニー・ローゼンタール


レフトウィング/元イスラエル代表

1963年10月11日生まれ(62歳)

●リバプール
1989-90(ローン)、1990-91〜1993-94/97試合22ゴール

●トッテナム
1993-94〜1996-97/100試合11ゴール

1990年3月にスタンダール・リエージュからローンで加入すると、8試合7ゴールと大活躍して一躍カルト・ヒーローに。

すぐに完全移籍に切り替えられたが、その後は最高で6ゴールと上向かず、ファウラーの台頭もあってトッテナムへ。






ジョン・スケールズ



センターバック/元イングランド代表

1966年7月4日生まれ(59歳)

●リバプール
1994-95〜1996-97/94試合4ゴール

●トッテナム
1996-97〜1999-2000/37試合1ゴール

1994年、当時のロイ・エヴァンス監督が1年に亘って追い続け、ウィンブルドンから獲得したが攻撃性の欠如が度々指摘された。

怪我により出場機会を減らし、1996年11月にトッテナムへ移籍したが、古巣リーズのメディカルチェックを受けてからの心変わりだったことも話題に。


オイビンド・レオナルドセン


セントラルミッドフィールダー/元ノルウェー代表

1970年8月17日生まれ(55歳)

●リバプール
1997-98〜1998-99/49試合7ゴール

●トッテナム
1999-2000〜2001-02/70試合10ゴール

ノルウェーでのプレーを経て加入したウィンブルドンでの活躍からニューカッスルなどが関心を示すも、幼い頃から応援していたリバプールを選択。

1年目は36試合6ゴールと主力として活躍するも、1998年に就任したウリエ監督からの評価は低く、翌年にトッテナムへ売却された。


クリスティアン・ツィーゲ


レフトサイドハーフ/元ドイツ代表

1972年2月1日生まれ(53歳)

●リバプール
2000-01/32試合2ゴール

●トッテナム
2001-02〜2003-04/55試合10ゴール

レフトバックもカバーできる経験豊富な選手としてウリエ監督が獲得を望んだが、のちに違法な接触があったとミドルズブラから訴えられて罰金処分を科される。

ただ、リバプールでは完全にフィットせず、カップトレブルを経験しながらも2001年夏にトッテナムに売却された。


ジェイミー・レドナップ


セントラルミッドフィールダー/元イングランド代表

1973年6月25日生まれ(52歳)

●リバプール
1990-91〜2001-02/308試合41ゴール

●トッテナム
2001-02〜2004-05/49試合4ゴール

ダルグリッシュがボーンマスから35万ポンドで獲得した際は17歳であり、当時のイングランドに於いては10代の選手として史上最高額であった。

新設されたプレミアリーグの顔として人気を集めたが、リバプール所属期間の終盤から怪我に悩まされ、トッテナムからサウサンプトンに移籍したのちの2005年6月に医師のアドバイスを受けて引退。






ロビー・キーン


詳細は後述の【From】の項目にて。


ヴラディミル・パーテルノステル


センターバック/イタリア人

2006年4月19日生まれ(19歳)

●リバプール
不明〜2020-21/下部組織のみ

●トッテナム
2021-22/下部組織のみ

リバプールでは複数年、トッテナムでは2021-22の前半のみ、どちらも下部組織でのプレーのため詳細は不明。

2024年9月にはルートン・タウンとの契約が発表され、現在は主にU-21チームでプレーし、プレミアリーグカップでは1試合を除いてキャプテンを務めた。


ルカ・ファーネル=ギル


センターバック/イングランド人

2006年12月29日生まれ(19歳)

●リバプール
不明〜2024-25/下部組織のみ

●トッテナム
2024-25〜現在/下部組織のみ

プレストン・ノースエンドからリバプールU-15に加入したのち、ウィンガーからセンターバックに転向。

現在までにファーストチームでの出場機会は無いが、2025年2月には自身のインスタグラムにてプロ契約を結んだことを発表した。






【From】



チャーリー・ヒューイット


セカンドストライカー/イングランド人

1884年4月10日生まれ
1966年12月31日没(82歳)

●トッテナム
1906-07/49試合15-ゴール

●リバプール
1907-08/16試合6ゴール

海岸に所属していた経歴から「キャプテン(船長)」と呼ばれ、1906年5月にミドルズブラからトッテナムに加入したが、実は本人が加入を望んでいたリバプールからもオファーが届いていた。

ただ、このオファーについて知らされたのはトッテナムとの契約後で、更にはFAからトッテナムとの1年契約を履行しなければならないと告げられたため、1年後の1907年夏にリバプールに加入した。


ポール・スチュワート


守備的ミッドフィールダー/元イングランド代表

1964年10月7日生まれ(61歳)

●トッテナム
1988-89〜1991-92/172試合37ゴール

●リバプール
1992-93〜1994-95/42試合3ゴール

トッテナムでの活躍から230万ポンド、現在の貨幣価値に換算すると1,900万ポンドでリバプールに加入したが、試合に臨む姿勢や気力の無さなどからファンの心を掴むことはできず。

ただ、現役を引退してビジネスマンに転向したのち、幼少期にコーチから受けた性的な虐待とのトラウマとの闘いのためにアルコールやコカインを使用していたことを明かした。


ニール・ラドック


センターバック/元イングランド代表

1968年5月9日生まれ(57歳)

●トッテナム
1986-87〜1987-88、1992-93/58試合4ゴール

●リバプール
1993-94〜1997-98/152試合12ゴール

キャリアを振り返るインタビューにて、『1993年夏の休暇から戻るとスーネスのリバプール、ホドルのチェルシー、クラフのフォレスト、キーガンのニューカッスル、ダルグリッシュのブラックバーンが待っていた。』と語った。

ダルグリッシュとキーガンとの面談を経て、リバプールを率いていたグレアム・スーネスとの面談中に『これだ!』と感じてリバプールを選んだとも。


ロビー・キーン


センターフォワード/元アイルランド代表

1980年7月8日生まれ(45歳)

●リバプール
2008-09/28試合7ゴール

●トッテナム
2002-03〜2007-08、2008-09〜2010-11/306試合122ゴール

加入前のトッテナムでの6年間で常にチーム得点王、最後の2シーズンは公式戦20ゴール以上を挙げ、『ずっとリバプールファンだった。常に彼らのシャツを着ていた。』と語ったリバプールへ。

ただ、11月までリーグ初ゴールが生まれないなど望まれた活躍はできず、加入時よりも安い金額ですぐにトッテナムに復帰した。


ケヴィン・スチュワート


守備的ミッドフィールダー/元ジャマイカ代表

1993年9月7日生まれ(32歳)

●トッテナム
2010-11〜2012-13(下部組織)、2013-14/ファーストチームでの出場なし

●リバプール
2014-15〜2016-17/20試合0ゴール

2014年夏にリバプールへのフリー移籍が発表された際、自身のTwitterにて『幼い頃からの夢だった。』と語った。

怪我が相次いだことで2023年にブラックプールを退団し、以降は明言こそしていないものの現役から退き、拠点をドバイに置きながらパフォーマンスコーチとして活動中。


ローレンス・ヴィグルー


ゴールキーパー/チリ代表

1993年11月19日生まれ(32歳)

●トッテナム
2012-13(下部組織)、2013-14/ファーストチームでの出場なし

●リバプール
2014-15〜2015-16/ファーストチームでの出場なし

リバプールからスウィンドン・タウンにローン移籍していた2015年9月、遅刻の罰金50ポンドを全てペニー硬貨で支払うなど不満の意思を示し、謝罪して復帰したものの契約を打ち切られるトラブルもあった。

2024年からはスウォンジー・シティでプレーしているほか、父親の家系からチリ代表を選択し、2025年9月のW杯予選ブラジル戦でデビューを果たした。


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1999年から2005年までアーセナル、バーミンガムでの1シーズンを挟んで2006年から2009年までリバプールでプレーしたジャーメイン・ペナント。

チャンピオンズリーグではアーセナルで2試合、リバプールでは19試合に出場したほか、06-07シーズンにはACミランとの決勝にも出場。

今季のチャンピオンズリーグに於いて、7戦7勝と絶好調で首位を走るアーセナルに対し、リバプールはラウンド16進出圏内とはいえガラタサライとPSVに敗れて4位。

ただ、talk SPORTのThe Sports Barに出演したペナントは、スロット率いるリバプールが対アーセナル戦4試合1勝3分の負け無しで6ポイントを得ていることや、昨季のチャンピオンズリーグの例を挙げ、2試合制で有利なのはリバプールではないかと指摘。 






『チャンピオンズリーグで有利なのはリバプールだ。彼らにはその系譜があるし、ノウハウもある。今季、プレミアリーグでの戦いよりも良い結果を残すと思う。』

『(今季の大会で対戦した場合、リバプールがアーセナルを倒す可能性はあるか?)本当にそうなると考えている。リバプールは6度の優勝を誇るチームだ。系譜があり、勝ち取るためにすべきことを知っている。』

『2レグ制度なら、リバプールが勝つだろう。チャンスがあると言える。優勝するチャンスが、アーセナルよりもあるとね。』

『リバプールがエミレーツに行き、耐えて、アンフィールドに戻ってくる。チャンピオンズリーグの試合でアンフィールドの雰囲気を盛り上げることができるなら、訪れるのが恐ろしい場所となる。』

『そして、我々は、アーセナルがアンフィールドに行った時に何をしてきたかを見ている。あそこには、アーセナルに関する何かがある。』






プレミアリーグでは2012年9月の第3節以来、アンフィールドでの試合でアーセナルには負けていない。

当時、アルテタ監督はまだ現役であり、27分にスターリングを倒してイエローカードを提示されている。

更に、チャンピオンズリーグでの唯一の対戦となった07-08シーズンの準々決勝では、ペナントの言う通りエミレーツでの1st legを1-1で耐えたリバプールが、アンフィールドでの2nd legを4-2と制して勝ち抜け。



『昨季、リバプールはリーグフェーズでのホームゲームは1試合を除いて全て勝ち、トップで通過。そしてラウンド16では22位(正しくは15位)だったPSGと対戦し、勝ったPSGが優勝した。』

『現時点でチャンピオンズリーグのトップにいても、それは何の意味も持たない。2試合制で対戦した時、それが全てだ。』


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リバプール移籍へ"Here we go"と報じられたアウストリア・ウィーンのU-17オーストリア代表DFイファニ・エンドゥクウェ(17歳)は、3月3日に18歳となり、7月のプレシーズン開始までには合流予定。

ヨーロッパ中のクラブから強い関心が寄せられていたほか、かつてアーセナルを率い、現在はFIFAやIFABで複数の役職を務めているアーセン・ヴェンゲル氏は世代別では最高のディフェンダーの1人と絶賛。

そして、オーストリア代表をU-17ワールドカップ準優勝という大躍進に導いたヘルマン・シュタドラー監督は、オーストリアメディアLAOLA1にて『インテルからのオファーを受けていたようだ』と明かした。

ただ、まだまだ若いため、同じくアウストリア・ウィーンに所属するオーストリア代表のベテランDFアレクサンデル・ドラゴヴィッチのような選手から、もっと吸収してからの移籍でも良かったのではないかとも指摘。








『私はイフィ(愛称)の躍進を嬉しく思っている。昨年、彼は大きな一歩を踏み出し、ワールドカップでは全ての試合で最高のパフォーマンスを見せた。』

『その後、ワールドカップの影響からリバプールのオファーが届いた。また、更に前にはインテルからオファーが届いていたが、何らかの理由によって移籍は実現しなかった。』

『彼がトップクラブと契約したことを嬉しく思う。ただ、個人的にはもう1年オーストリアに残っても損はなかったように感じる。』

『ドラゴヴィッチのような経験豊富な選手と並んで経験を積み、それから18歳や19歳で国外に出ることもできる。』

『オーストリアであれリバプールであれ、うまく行くという保証はない。2年か3年が経てば分かるだろう。だが、彼が偉大なセンターバックになると私は信じている。』


一番最初にリバプールについて報じたオーストリアメディアKurierによれば、インテルは2025年4月に視察、その後オファーを提示。

ただ、同年6月にはアウストリア・ウィーン公式ウェブサイトにて2028年6月までの契約延長が発表された。

なお、LAOLA1の別の記事によれば、移籍金は300万ユーロ+様々なボーナスとされており、クラブ史上4番目に高額な移籍金とされる。