監督:マイケル・マン

キャスト

 トム・クルーズ(ヴィンセント)

 ジェイミー・フォックス(マックス)

 ジェイダ・ピンケット=スミス(アニー)

 マーク・ラファロ(レイ・ファニング)

 

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トム・クルーズが冷酷な殺し屋役に挑んだクライムサスペンス。「Ray レイ」のジェイミー・フォックスが共演し、殺し屋を乗せてしまったタクシー運転手が過ごす悪夢のような一夜を描く。ロサンゼルスの平凡なタクシー運転手マックスは、ある晩、検事の女性アニーを客として乗せ、車内での会話を通して互いに好感を抱く。次に拾ったビジネスマン風の客ヴィンセントは、仕事のため一晩で5カ所を回らなければならないと話し、マックスを専属ドライバーとして雇いたいと依頼。高額の報酬にひかれて引き受けるマックスだったが、実はヴィンセントの正体はプロの殺し屋で、麻薬組織から5人を殺害する任務を請け負っていた。ジェイソン・ステイサムがカメオ出演。監督は「インサイダー」のマイケル・マン。(「映画.com」より)

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 原題のCollateralは「付随的事実」という意味。本ブログでも取り上げた映画『アイ・イン・ザ・スカイ』では登場人物たちが「軍事行動に伴って巻き添えを食う民間人死傷者」のことをcollateral damage「付随的損害」と言っていたが、この映画では「巻き添えを食った」というぐらいの意味である。

 

 物語の大筋は「映画.com」の紹介の通りであるが、次々と目まぐるしく展開されるストーリーは実に興味深く、さらにヴィンセントとマックスの台詞回しがしゃれていて、かなり洗練されたエンタメ作品に仕上がっている。その上、登場人物のキャラクター設定が実によく練られており、今回はその点を中心にこの映画の感想を書いてみることにする。

 トム・クルーズ演じる殺し屋のヴィンセントは一切の妥協や迷いを排して目的に向かって一直線に進む人物である。ストーリー展開の中で無理だろうという状況に陥ることも何度かあるが、彼は決して諦めない。殺人という目的の倫理性を横に置くと、世の中で成功者と言われる人たちに共通した資質の持ち主である。一方、ジェイミー・フォックス演じるタクシー運転手のマックスは、まじめで人間味に富むいい奴なのだが、自分の夢は語るものの何もできない人物である。彼はタクシーの乗客に語る。「この仕事はつなぎの仕事さ。リムジンサービスの会社を経営するのさ。ベンツを買いそろえて、いい顧客を何人か抱える。」しかし、彼は12年間もタクシー運転手の仕事をしているにもかかわらず、自分の夢を叶えるための努力をほとんどしていないのだ。世の中で言ういわゆる「負け組」なのだ。これは、そんな対照的な二人が偶然出会い、殺し屋のヴィンセントに脅されながらマックスが彼の仕事の片棒を担がざるを得ない状況に追い込まれる様子を描いた映画で、まさにcollateralなのだが、以下、私がこの映画の最大の見どころだと思った終盤の展開について触れながら、エンタメ以外の部分について感想を書いてみたい。(ただし、以下の記述はネタバレを含んでいますので、未鑑賞の方は閲覧ご注意を。)

 

 5人を殺害する任務を請け負っているヴィンセントは4人目の殺害に成功するものの自分も負傷を負う。それでも彼は任務を果たすべく5人目の殺害に向かうのだが、ついにマックスはヴィンセントの世界観を罵倒し始める。そして、ヴィンセントもマックスの負け犬根性をなじる。

マックス「あんたには人の気持ちなんてわかりっこないんだ。あんたは見下げた人間    だ。どんな育ち方をしてそんなにハートのない人間に?人間なら誰にも備わっている根本的な何かがあんたには欠けている。」

ヴィンセント「リムジン会社の夢?いくら貯めた?おまえは本気でやろうとしていない。ある夜目を覚まして気づく。夢はかなうことなく自分が老いたことを。夢を記憶の彼方に押しやり、昼間からボーっとテレビを見続ける。俺に説教するな」」

 マックスはヴィンセントが制止するのも聞かず猛スピードで車を走らせ、転倒する。転倒した車からなんとか脱出したヴィンセントは最後の任務に向かって駆け出し、マックスはヴィンセントが落としていった殺害リストを見て5人目の標的になっている人物の名前を知る。それはマックスがその夜初めて乗せた客で、お互いに好感を抱いた女性検事のアニーであった。マックスの中に彼女の殺害をなんとしてでも阻止しなければという感情が芽生える。それはひょっとするとマックスの人生で初めて芽生えた本気で何かをやり遂げなければという感情だったのかもしれない。そして、物語は終盤のアクションへとなだれ込んでいく。

 

 我が国でも平成のある時期から、仕事で成功するかどうかを基準にして人生の「勝ち組」とか「負け組」といったことが言われるようになったが、私はこの言葉を聞くたびにいやな気持ちになったものだ。「ヘッ、仕事で何かをやり遂げるってことかよ」ということである。マックスは自分の身を危険に晒してもヴィンセントによるアニーの殺害を阻止すべく奮闘する。マックスにとってアニーはわずか十数分客としてタクシーに乗せただけの女性に過ぎない。それでも、人は全力を尽くすことがあるのだ、とマイケル・マンは言っているのだ。エンディングはヴィンセントの人生を象徴しているようであった。

 

監督:クリント・イーストウッド

キャスト

ニコラス・ホルト(ジャスティン・ケンプ)

トニ・コレット(フェイス・キルブルー)

J・K・シモンズ(ハロルド・チコウスキー)

ガブリエル・バッソ(ジェームズ・マイケル・サイス)

ゾーイ・ドゥイッチ(アリソン・クルーソン)

 

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「許されざる者」「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッドが、94歳を迎えた2024年に発表した監督作。ある殺人事件に関する裁判で陪審員をすることになった主人公が、思いがけないかたちで事件とのかかわりが明らかになり、煩悶する姿を描いた法廷ミステリー。

 

ジャスティン・ケンプは雨の夜に車を運転中、何かをひいてしまうが、車から出て確認しても周囲には何もなかった。その後、ジャスティンは、恋人を殺害した容疑で殺人罪に問われた男の裁判で陪審員を務めることになる。しかし、やがて思いがけないかたちで彼自身が事件の当事者となり、被告を有罪にするか釈放するか、深刻なジレンマに陥ることになる。

 

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」のニコラス・ホルトが主人公ジャスティンを演じるほか、「ヘレディタリー 継承」のトニ・コレット、「セッション」のJ・K・シモンズ、「24 TWENTY FOUR」のキーファー・サザーランドらが共演。陪審員のひとりとして、リアリティ番組「テラスハウス」などに出演した日本人俳優の福山智可子も出演している。(「映画.com」より)

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(ネタバレを含むレビューです。未鑑賞の方は閲覧にご注意を。)

 法廷劇である。法廷劇は映画の一つのジャンルと言ってもいいほどよく目にするが、最近私が観た『落下の解剖学』も見応えのある法廷劇であった。しかし、一般に法廷劇と言って思い出すのはシドニー・ルメット監督の『十二人の怒れる男』ではないだろうか。あの作品を通じてシドニー・ルメットが発したメッセージは予断でもって物事を判断することの危うさ、真実を追究する姿勢といったことだろう。今回取り上げた『陪審員2番』でもそれは一つのテーマではある。ただ、イーストウッド監督が最も伝えたかったメッセージはそこにはない。そして私はこのメッセージに前回取り上げた『許されざる者』と共通するものを感じたのである。

 

 ストーリーは比較的単純だ。強い雨が降るある夜、ある酒場で一組の恋人同士がけんかをして男が引き留めるにもかかわらず女の方は怒って帰ってしまうのだが、その女は交通の少ない道路の橋から落下した死体となって発見されるのである。やがて恋人の男(サイス)が殺人犯として逮捕され、裁判が開かれる。たまたまその裁判の12人の陪審員の一人に選ばれたのがジャスティン・ケンプである。物語の詳細は省略するが、ケンプは事件の概要を聞いているうちに被害者の女は自分が運転する車にぶつかって橋から落ちたのではないかと疑い始めるのである。実はケンプはその事件のあった夜、恋人同士がけんかをした酒場に一人で客として来ており、女が落下した橋で何かが自分の運転する車にぶつかった衝撃があり、車外に出て確認をしたが何も見えず、鹿がぶつかってどこかに走り去ったのだろうと思っていたのである。しかし、その疑念はやがて確信に変わっていく。

 陪審員による評決のための会議が始まる。11人の陪審員がサイスを有罪だと発言するのに対し、ジャスティンだけがもっと議論を尽くす必要があると言って反対する。このあたり、『十二人の怒れる男』を彷彿させるが、反対する動機が全く異なる。『十二人の怒れる男』の陪審員8番が反対した理由は予断でもって決定を下すことを排するためであった。それに対し、ジャスティンが反対した動機はある種の罪悪感からなのである。しかし、彼には真実を告白する勇気はない。つまり、この映画におけるイーストウッドのメッセージは『十二人の怒れる男』のそれとは異なるのだ。彼が問うているのは、人は自分の内なる倫理的基準に従って行動することができるかどうかなのだ。ジャスティンは決して悪人ではない。それどころか良心の人だろう。しかし、彼には身重の妻がおり、また断酒会に通っている身なのだ。その彼が酒を飲んで車を運転してひき逃げ事件を起こしたとなれば終身刑はほぼ確実である。(このことについては、彼はよく知っている弁護士に相談しており、その弁護士から終身刑になるだろうから真実を告白してはならないと言い渡されているのである。また、彼はその夜酒場に立ち寄ったのだが、実は酒を飲まなかったのだ。しかし、誰がそれを信じるだろうか。)イーストウッドのこの問いは観客にとってもたいへん重いが、実は前回このブログで取り上げた『許されざる者』において投げかけられた問いと同じ問いなのである。私のような「ヘタレ」にはとても重く感じられる問いだ。

 物語の進行とともにジャスティンがこの事件の真犯人なのだということを確信するようになる人物が存在する。地方検事補のキルブルーだ。彼女は今回の裁判に勝訴すれば現在行われている検事長選挙で有利になるだろうと考えている。どうしてもサイスを有罪にしなければならない。そして、裁判では12人の陪審員全員がサイス有罪の評決を下し(したがってジャスティンも有罪に賛成する)、その結果、サイスの終身刑が確定する。キルブルーにはとてもすべてを投げ打って真実を告白する勇気はない。そして彼女は検事長に就任する。裁判が確定した直後、ジャスティンとキルブルーが裁判所の前の庭で「正義」について話すシーンがある。二人とも疲れ切った表情だ。

ジャスティン「彼(=実は自分)は家族を守り、あなたは州民を守る」

キルブルー「正義はどうなるの?」

ジャスティン「真実が正義とは限らない」

 

 人は誰でも自分の中に行動の基準を持っている。その基準には倫理的な基準も含まれるが、その基準に従って行動した場合、自分の持っているほとんどすべてを失いかねないとき、私たちはどこまでその基準に忠実でいることができるか。そのことをこの映画は問いかけている。つまり、私たちはどこまで偽善者なのかということだ。ウ~ン、しんどいな~。

 

 エンディングは映画として秀逸だ。ジャスティンと妻のアリソンは子供を授かり、3人の幸せな生活が映し出される。玄関のチャイムが鳴りジャスティンが扉を開ける。そこにたっているのは…、キルブルーなのだ。そしてThe End. 彼女はなぜジャスティンの家を訪ねてきたのだろうか?観客の皆さん、考えてみてくださいね、とイーストウッドは言っているのだろう。そして、予定調和はないよ、ということも。

 

 

監督:クリント・イーストウッド

キャスト

クリント・イーストウッド(ウィリアム・マニー)

ジーン・ハックマン(リトル・ビル・ダゲット)

モーガン・フリーマン(ネッド・ローガン)

リチャード・ハリス(イングリッシュ・ボブ)

ジェームズ・ウールベット(スコフィールド・キッド)

 

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クリント・イーストウッドが、師匠であるセルジオ・レオーネ監督とドン・シーゲル監督に捧げた異色西部劇。1870年代の米ワイオミング。かつては無法者として悪名を轟かせたウィリアム・マニーだったが、今は若い妻に先立たれ、2人の幼い子どもとともに貧しい農夫として静かに暮らしていた。そこに若いガンマン、キッドが立ち寄り、賞金稼ぎの話を持ちかける。共演にジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン、リチャード・ハリス。92年度のアカデミー賞では作品、監督を含む4部門を受賞した。(「映画.com」より)

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 私の知る限り、「許されざる者」という邦題のアメリカ映画は2つある。一つは今回取り上げるクリント・イーストウッド監督の作品であり、もう一つは1960年に制作されたジョン・ヒューストン監督(バート・ランカスター / オードリー・ヘップバーン主演)の作品である。原題なのだが、前者はUnforgivenであるのに対し、後者はThe Unforgivenである。The Unforgivenはたしかに「許されざる者」という意味になるが、Unforgivenだけなら「許されない」という形容詞なので「許されざる者」という邦題にはやや違和感がある。なぜこのような細かい(したがって、どちらでもよい)ことにこだわるかというと、クリント・イーストウッド監督作のタイトルには「許されないことだけれど…」ということが示唆されているのではないかと思ったからである。もっとも、単にジョン・ヒューストン監督作と全く同じタイトルにしたくなかっただけのことなのかもしれないが…。

 

 「映画.com」のレビュー欄をパラパラと読んだところ、この映画の解釈として「許されざる者」とは誰なのかということを問題にしているレビューが目についたのだが、「誰(or何)が許さないのか?」を問題にしているレビューを目にすることはなかった。しかし、私にはこの問いこそがこの映画のテーマに関わるのではないかと思われるのである。それは神なのか、法なのか、それとも登場人物の誰かなのか…。私にはそれは法だと思われるのだ。

 この映画の時代背景が19世紀の後半であるということは重要だ。つまり、国家による法的規制がまだ十分に行き届かない地域も少なからず存在した時代である。さらに、リトル・ビル・ダゲットのように保安官自身が無法な行為を行うこともあった時代であって、賞金稼ぎのために殺人を犯すなどということは法的観点からは決して許されることではないにもかかわらず、普通に行われていたのである。

 以上のようなことを背景にこの映画を見たとき、クリント・イーストウッドが問いかけているのは私たちの行為を律する基準は何なのかということのように思われるのだ。たしかに、法は私たちが自身の行為を律する際の外的基準として存在する。しかし、クリント・イーストウッド監督は、私たちの中には法を超えたところで自分の行為を律する内的な基準が存在するのではないかということを問いかけてくるのである。若いころ無法者であったものの今では二人の子供を育てながら地道な生活を送っているマニーがなぜ賞金稼ぎの話に乗ったのか? 貧困にあえぐ中、生活費を稼ぐための豚が伝染病にかかり、幼い二人の子供を育てるため。マニーはなぜネッドの仇を討つために保安官のところに戻ったのか? 親友だから。いずれも法を超える(に反する)決断である。しかし、マニーの中には、彼にそのような行動を取らせた内的な基準があり、それは愛する者への忠誠心なのだ。クリント・イーストウッドはたとえUnforgivenであったとしても、マニーのその内的基準を肯定しているように私には見えたのだ。君はすべてをかけて愛する者を守ることができるか、君は愛する者のために戦うことができるか…と。

 

 この映画の冒頭とエンディングのナレーションは示唆的である。

(冒頭)

若く美しい娘クローディアは母の意に背きウィリアム・マニーと結婚した。

マニーは人殺しで酒浸りの残忍な札付きの悪党であった。

だが母の心配とは逆に美しい娘は天然痘で病没した。

1878年のことだった。

 

(エンディング)

数年後、長旅の末クローディアの母が一人娘の永眠の地を訪れたが、父と子供たちの姿はなく…。

西海岸で商売に成功したとのうわさを聞いた。

母にはどうして一人娘が酒浸りで残忍な札付きの悪党と結婚したかついに分からなかった。

 

 クローディアもクローディアの母も映画には登場しないが、この二つのナレーションを通じて観客にはマニーの内なる基準とそれを理解していたクローディアと、それと対照的に世の中という外的な基準しか持っていなかったクローディアの母とが示唆されているのである。

 

監督:安田淳一

キャスト

 山口馬木也(高坂新左衛門)

 冨家ノリマサ(風見恭一郎)

 沙倉ゆうの(山本優子)

 紅萬子(住職の妻・節子)

 福田善晴(西経寺住職)

 

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現代の時代劇撮影所にタイムスリップした幕末の侍が時代劇の斬られ役として奮闘する姿を描いた時代劇コメディ。

 

幕末の京都。会津藩士の高坂新左衛門は家老から長州藩士を討つよう密命を受けるが、標的の男と刃を交えた瞬間、落雷によって気を失ってしまう。目を覚ますと、そこは現代の時代劇撮影所だった。新左衛門は行く先々で騒動を起こしながら、江戸幕府が140年前に滅んだことを知り、がく然とする。一度は死を覚悟する新左衛門だったが、心優しい人たちに助けられ、生きる気力を取り戻していく。やがて彼は磨き上げた剣の腕だけを頼りに撮影所の門を叩き、斬られ役として生きていくことを決意する。

 

テレビドラマ「剣客商売」シリーズなど数々の時代劇に出演してきた山口馬木也が主演を務め、冨家ノリマサ、沙倉ゆうのが共演。「ごはん」「拳銃と目玉焼」の安田淳一が監督・脚本を手がけ、自主制作作品でありながら東映京都撮影所の特別協力によって完成させた。

 

2024年8月17日に池袋シネマ・ロサの一館のみで封切られ(8月30日からは川崎チネチッタでシーンを追加した「デラックス版」が上映スタート)、口コミで話題が広まったことから同年9月13日からはギャガが共同配給につき、新宿ピカデリー、TOHOシネマズ日比谷ほか全国100館以上で順次拡大公開。インディペンデント映画として異例の大ヒットを記録したうえ、第48回日本アカデミー賞では最優秀作品賞を受賞する快挙となった。(「映画,com」より)

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 当初都内1館での上映から口コミで話題が広がり、全国300館以上で上映される異例の大ヒットを記録したというこの映画を遅ればせながら鑑賞した。噂に違わず素晴らしい作品だった。

 映画では時折見かけるタイムスリップで始まるこの映画、タイムスリップしたあとのストーリーがステレオタイプに嵌まらないユニークな展開を見せるのだ。この映画の成功を約束した要因はいくつか挙げることができるが、まず第一は幕末の武士が時代劇を撮影している現代の撮影現場にタイムスリップするというユニークな発想だろう。本物の武士が武士の衣装をまとっている役者たちの中に紛れ込んでしまうという序盤の展開から観客は何が起こるのだろうかという期待を抱いてしまうのだ。そして、第二に挙げられるのはその発想を映像化するためのシナリオの構成の手堅さだ。なんと、彼は時代劇の切られ役に目覚めていくのである。本物の武士は切られてしまうと一巻の終わりなのだが、140年後の世界で彼は殺陣師に弟子入りして切られ方の稽古に励むのである。この「絶妙なアンバランス」(笑)に私は妙に感心してしまったのだが、それが終盤に向けての一つの伏線になっているところなど、実に練り上げられた構成になっているのだ。第三の要因は悪人が出てこない映画だという点にある。通常悪人が出てこない映画はたいてい気の抜けた作品になるのだが、この映画に関しては、もし悪人が登場していれば非常にバランスの悪い作品になっていたと思われるので、この点もよかったのではないだろうか。特に住職の妻を演じた紅萬子はなかなかの芸達者な女優のように思われる。

 タイムスリップものの映画というと、タイムスリップした先の時代の文化に驚くシーンがいろいろ出てくるというイメージがあるが、この映画はそれを極力排し、幕末の武士が現代の環境に溶け込んでいく姿を描いた前半から自分が生きた幕末の精神が蘇ってくる後半への流れが無理なく描かれていて、映画における脚本の重要性があらためて感じさせられた作品である。

 

 「映画,com」の監督紹介によれば、安田淳一監督は2017年に「ごはん」というタイトルの映画を制作しており、「2023年には父の逝去を受けて米農家を継ぎ、米づくりと映画監督を兼業する生活を始めている」とのことなのだが、現在の「令和の米騒動」をどのように見ているのかということにも興味がわくところである。

 

監督:塚原あゆ子

キャスト

満島ひかり(舟渡エレナ)

岡田将生(梨本孔)

ディーン・フジオカ(五十嵐道元)

阿部サダヲ(八木竜平)

大倉孝二(毛利忠治)

酒向芳(刈谷貴教)

 

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テレビドラマ「アンナチュラル」「MIU404」の監督・塚原あゆ子と脚本家・野木亜紀子が再タッグを組み,両シリーズと同じ世界線で起きた連続爆破事件の行方を描いたサスペンス映画。

 

流通業界最大のイベントである11月のブラックフライデー前夜,世界規模のショッピングサイトの関東センターから配送された段ボール箱が爆発する事件が発生し,やがて日本中を恐怖に陥れる連続爆破事件へと発展する。関東センター長に着任したばかりの舟渡エレナは,チームマネージャーの梨本孔とともに事態の収拾にあたるが…。

 

主人公・舟渡エレナを満島ひかり,梨本孔を岡田将生が演じ,事件に巻き込まれる関係者役で阿部サダヲとディーン・フジオカ,捜査を担当する刑事役で「アンナチュラル」の大倉孝二と「MIU404」の酒向芳が出演。さらに「アンナチュラル」から三澄ミコト役の石原さとみ,中堂系役の井浦新,久部六郎役の窪田正孝ら,「MIU404」から伊吹藍役の綾野剛,志摩一未役の星野源らが再結集する。主題歌も「アンナチュラル」「MIU404」に続き米津玄師が担当した。第48回日本アカデミー賞最優秀脚本賞受賞。(「映画.com」より)

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 「映画.com」で紹介されている2つのTVドラマについては全く知らなかったのだが,この映画を楽しむには特に問題はない。物語の舞台は現代の流通業界。配達された品物の入った段ボール箱の連続爆破事件に対処する巨大ショッピングサイト(デイリーファースト)の日本支社の2人の従業員(舟渡エレナ&梨本孔)の奮闘ぶりを軸に,爆弾テロの真相が解き明かされていくという内容であるが,肥大化した現代の流通機構が抱えている問題を浮き彫りにしていくという点で社会派ミステリーといったところ。

 

 映画の中で何度か語られるフレーズがある。customer-centric(すべてはお客様のために)――このマジックワードが映画のコンセプトだ。速く,速く,速く。デイリーファーストのロッカーに残された2.7m / s(秒速2.7メートル)という数字。出荷する荷物を載せて区分けされていくローラーの速度がすべてを物語る。タイパがすべて。そして悲劇が起こる。末端のドライバーが語る。昼食を10分で済ませて一日200個の荷物を配達してトップドライバーになったやっちゃんと呼ばれた男の伝説を。「でも,やっちゃんは体を壊して死んじゃったよね。」

 スマホやPCをポチッとするだけで注文した品物が翌日届く現代の大衆消費社会の中で私たちは不必要な品物を買いすぎてはいないか。ブラックフライデー。What do you want?(あなたがほしいものは?)。customer-centricのかけ声のもと巨大資本は飽くなき利潤を追求する。爆弾テロが起こったぐらいで商品の出荷を止める?いくらの損失が出ると思っているのだ?「リスクをとってでも行動しなければならないときがある」…。顧客も自分に災難が降りかかるなどと思ってはいない。正常性バイアス。エレナの独り言。「死んだ人は可哀想だけど,知らない人だし。いつだって誰かしら死んでいる。なのに急に大騒ぎをして,むしろ笑える。」

 「ラストマイル」とは「荷物を届ける最後の区間」のこと。デイリーファーストの荷物の配達を請け負っている運送会社が「羊急便」,その集配センターから実際に委託ドライバーが荷物を届けに行く。ラストマイルの労働者。この物流システムの中,増幅していくのは人々の疎外感。

 

 満島ひかりの演技に魅せられた。「仕事ができる人」,つまり会社の利益ファーストで動く人という人物像を見事に演じきっている。この人の演技を観るだけでも楽しめる作品である。あっ,忘れちゃいけない。阿部サダヲの好演も。