定年って生前葬だな。(内館牧子『終わった人』より)

 

 内館牧子のこの小説は映画化もされており,この「ことば」を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。物語は定年を迎えたエリートサラリーマンがその後の人生において自分が打ち込めることが見つからず,スポーツジムに通ったり,見たくもない映画を見に出かけたり,あれこれ趣味を見つけようとするのだが,打ち込めるものが何も見つからず…,という話である。結局,彼にとって仕事が人生の全てであり,それがなくなった途端「終わった人」になってしまうのである。

 多くの人たちは人生のかなりの時間を仕事に費やす。だから,仕事についてどんな考えを持つかは,生きていく上でとても重要なことである。「仕事が生きがい」と言う人も大勢いることだろう。それはそれで結構なことである。しかし,私は,高齢者になって仕事をやめた現在に至るまで,「仕事だけが自分の人生だ」というマッチョな考えを持ったことは一度もない。もちろん,自分が関わった仕事に対しては,自分なりに全力を尽くしたとは思っているし,仕事の瞬間瞬間に喜びを感じたこともある。しかし,その喜びがなくなったら人生が終わってしまうなどと思ったことはないのである。概ね,仕事は私にとって時間をカネに変える行為以上のものではなかったのだと思う。

 もちろん,仕事に人生の意味を求めることを悪いと言うつもりはない。しかし,仕事が与えてくれる意味って何なのだろう?誰か他者の役に立つことをしているという意識が持てるということなのだろうか。それなら,ボランティア活動でよいではないか。いや,生きていかなくてはならない以上,お金を稼いだ上で他者の役に立つことをしているという意識が持てるということではないか。そうだとすれば,エッセンシャル・ワーカーと言われる人たちの賃金は低すぎないか。「仕事」について考え出すと私はいつも困難に逢着してしまい,結局,この世界は仕事を中心に回っており,仕事は金を稼ぐ手段であるということに収斂してしまうのだ。私たちが,仕事が与えてくれていると思っている意味は,多くの場合,組織が与えてくれる意味に寄り添っているに過ぎないのではないだろうか。おそらくこの意見に賛成してくれる人は少ないだろうが,その程度の冷めた目線で考えることも必要ではないだろうか。これが私のスタンスである。