今朝ブランチを食べながらTVのスイッチを入れると「ぶらり途中下車!」という番組が放映されていた。この番組は時々見ることがあるのだが,テレビタレントが東京を中心とした関東一円の鉄道の沿線の駅に降り立ち,その町にあるいろいろなお店を紹介するという比較的単純なコンセプトの番組である。今日の旅人はかとうかず子で,中央線沿線の町を紹介していた。で,かとうかず子と言って今でも思い出すのは私が若かった頃に頻繁にテレビで流れていたタバコ(PARTNER)のCMである。当時,私はセブンスターを吸っていたのだが,このCMが気に入って一時期PARTNERにした覚えがある。もっとも,今日ではテレビでタバコのCMなど流したりしたら炎上必至でしょうね。昭和は遠くなりにけり…。

 

 

 

 

 

 

 

 

おれは,もう,日本へ帰りたいよ。小さな片隅の平和だけをバカみたいに大事にしたいなあ。もういいよ。もうたくさんだ。(開高健『ベトナム戦記』より)

 

 『ベトナム戦記』は開高健が1964年から65年のベトナム戦争が激化していた頃の100日間にかけてサイゴン(現ホーチミン市)から『週刊朝日』に毎週送稿したルポルタージュをまとめた書物である。上の言葉を発したのは文芸評論家で同時期に読売新聞の特派員としてベトナム戦争を取材していた日野啓三である。開高と日野はある日の夜明けにサイゴン中央市場の広場で行われたベトコン青年に対する銃殺刑を軍用トラックのかげから目撃する。そのあと彼らは円形広場のふちにある汚い大衆食堂に入ってコカ・コーラを飲み,日野はうなだれて上の言葉をつぶやいたのだ。開高は書いている。「私は吐気をおさえながら彼の優しく痛切なつぶやきに賛意をおぼえ,生ぬるく薬くさい液を少しずつのどに流しこんだ。ときどき液は胃からのどへ逆流しようとした。人間は何か《自然》のいたずらで地上に出現した,大脳の退化した二足獣なのだという感想だけが体のなかをうごいていた。」

 

 戦争とは互いの「正義」と「正義」のぶつかり合いである。開高は書いている。「彼の信念を支持するかしないかで,彼は《英雄》にもなれば《殺人鬼》にもなる。それが《戦争》だ。」したがって,このベトコン青年は《殺人鬼》として殺されるべくして殺された。だが,開高は続けて次のように言う。「しかし,この広場には,何かしら《絶対の悪》と呼んでよいものがひしめいていた。」

 

 想像力の翼を伸ばして,私はもし自分がその場にいたらと考えてみた。おそらく私はそこにある《絶対の悪》に耐えきれず,ほぼ確実に日野啓三と同じことをつぶやいていただろう。いや,言葉を発することすらできなかっただろう。

 

 

 

辞書に載っている意味での「やんちゃ」が,もっぱら幼児のわがままや,学齢期以前の子どもがやらかす罪の無いいたずらを指す言葉であるのに対して,テレビの中の「やんちゃ」は,意味合いとして,より年齢の高いオトナの男女の「不行跡」「悪事」「非道」を含意している。それも,もっぱら肯定的なニュアンスで,だ。(小田嶋隆『テレビ救急箱』より)

 

 同書の中で小田嶋隆は「『やんちゃ』は,市民権を得た」と言い,それを「困った傾向だ」と書いている。小田嶋の声をもう少し聞こう。

「昨今では,『やんちゃ』話は,ほぼ自慢話それ自体と区別がつかない。/いきおい,聞く側の反応も,感嘆ないしは敬服の調子に傾く。『すっごいですねえ』と。/で,最後に,とってつけたように,『若い頃の話ですけどね』みたいな一言が付加されて一件落着。刺激的な内容を含んだトークにディレクターは二重丸をつける。」

「昨今のテレビの文脈において,功なり名遂げた人間の非行歴は『恥』ではない。むしろ『栄光』に分類される。…何が言いたいのかって?つまり,『やんちゃ』という言葉を通じて,テレビの中で,暴力がやんわりと肯定されつつあるということだ。」

 

 ところで,テレビの「やんちゃ」話が一種の武勇伝として明るく語られる一方で,そこには「やんちゃ」の相手になった人間が存在する。テレビは彼らをどのように扱っているのか。小田嶋の言葉を引用しよう。

「テレビ画面の中に座を占めるタレントタイプの人間とは対極にいる人々の被虐の記憶は,単なる被害というより,やられた側の人間の失点ないしは恥辱として,あくまでも否定的に描写されるのである。」つまり,彼らは「NHKの教育番組や,深夜の時間帯に追いやられた民放のドキュメンタリー枠」で「ひたすらに暗くて弱い魅力のない存在として描写」されるのである。

 

 小田嶋隆の『テレビ救急箱』が出版されたのは2008年なので,それから17年の年月が経過している。上にも書いたように,「やんちゃ」はその頃すでに市民権を得ていたのであるが,私は今でもこの言葉には違和感を覚える。このように言うと「きれい事」だとか「建前」だと言う人がいるかもしれない。では,「本音」を言おう。「なにが『やんちゃ』だ!」

 

暗闇から明るいものはよく見えるが,明るい場所から暗闇はほとんど何も見えない。(小川哲『ゲームの王国 上』より)

 

 ポルポト政権下を生き延び,近未来のカンボジアを舞台として繰り広げられる愛と確執の物語『ゲームの王国』は読み出したら止まらないが,今回の「ことば」はその『ゲームの王国 上』の冒頭の一節である。まさに「光のことば 闇のことば」というタイトルに相応しいフレーズだ。

 この言葉から「輝いているときこそ,足元の落とし穴に気をつけなければならない」という教訓を引き出した国語教師は二流らしいのだが,正しい解釈は「足元の穴に落ちたくなければ,そもそも輝いてはいけない」ということだそうだ。では,「日の当たる明るい場所で暮らしている人間からは暗いところで苦しんでいる人間の姿は見えないが,暗いところで苦しんでいる人間からは日の当たる明るい場所で暮らしている人間はよく見える」という解釈はどうだ? 三流? イヤイヤ,この解釈を三流と言う政治家がいるならば,その人物こそ三流の政治家だ。

 

菊の季節にサクラが満開!(杉本清)

 

 競馬ファンの間で競馬の実況中継の話題になると必ず元関西テレビのアナウンサー・杉本清の名前が出る。今日の言葉は競馬ファンの間ではほぼ知らない人がいないほど有名なフレーズであるが,これは1987年の第48回「菊花賞」のゴール前で武豊のレオテンザンを交わしてサクラスターオーが勝ったときの杉本アナウンサーの口から発せられた名セリフである。もっとも,私はその翌年の1988年の「皐月賞」から競馬を始めたので,この実況中継はリアルタイムで見ていないのが残念ではあるが…。杉本アナウンサーはこれ以外にもいろいろと伝説の名フレーズを残していて,ドリームレースと言われる「宝塚記念」では「あなたの,そして私の夢が走っています」と言うのが定番であったが,1991年の「宝塚記念」では「あなたの,そして私の夢が走っています」に続けて,「あなたの夢はメジロマックイーンかライアンかストーンか。私の夢はバンブーです」と,バンブーメモリーの馬券を買っていることを明かしたのだが,バンブーメモリーは10頭立ての10着というオチまでついていた。(笑)

 競馬にまつわる言葉にもいろいろあって,私が初めて見た1988年の第55回「ダービー」でアドバンスモアという馬が大逃げを打ったのだが,こういう馬を「テレビ馬」と呼ぶということを教えてくれたのが一緒に東京競馬場まで行った友人I君である。要するに能力的に劣るためにイチかバチかの勝負に出る作戦なのだが,道中は二番手以下の馬群を大きく引き離しているのでテレビカメラはその馬を追わざるを得ないところからついたネーミングである。アドバンスモアも4コーナーを過ぎた辺りから馬群に飲み込まれてしまい,24頭立ての24着という結果に終わった。私の競馬熱もこのダービー辺りから始まったのだが,最初に予想の仕方を教えてくれたのが上述のI君である。あとから考えると,「サイン馬券」などというオカルト予想だったのだが,その後,数年経ってからI君も故郷の青森に引っ越してしまい,今では全く音信不通になってしまった。どうしているのかな…。
 

4.35あたりから

    ↓

 

今回,なぜかYouTubeの動画の貼り付けができませんでした。