今回は映画を評論するということについて書いてみようと思う。といっても,私がこのブログで書いているような中学生の作文に毛の生えたような感想文についてではなく,プロの評論家の評論についてである。
なぜこのようなことを思い立ったのかというと,10月16日の朝日新聞の朝刊と夕刊にベネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞した黒沢清監督『スパイの妻』について別々の評者による批評が掲載されていたからである。一人は蓮實重彦であり,もう一人は映画ライターの月永理絵である。私はこの作品は未鑑賞なのだが,二人の批評を読むとまるで別の映画の批評のように感じたのである。
映画は太平洋戦争が始まる直前の神戸が舞台になっているようなのだが,蓮實は「その時代背景が『現代』ではない」という意味で「これは黒沢清にとっては最初の『時代劇』となっている」と言う。「では,黒沢清は,この『時代劇』をどのように語ってみせるのか」。蓮實の言うところを聞いてみよう。「…ごく曖昧な世界へと黒沢清は見る者を誘う。ここでは…時間と場所を越えたある決定的な変化が語られようとしている。それは,夫に頼って生きているかに見えた聡子が演じてみせる驚くべき変貌である。彼女はいつしか夫を唆す女へと変化していく。その曖昧な,しかも決定的な変化を描くことがこの作品の目的となるだろう。」明らかに蓮實はこの作品のテーマを蒼井優が演じる女の変化にあるとし,次の文で評論を締めくくる。「…すべては曖昧なまま作品は終わるのだが,聡子が演じてみせる変貌が戦後日本という名の世界を救うことになるだろう。傑作である。」
一方の月永はどうか。月永もこの映画を「黒沢清監督にとって初の歴史劇」と位置づけ,「太平洋戦争前夜の神戸を舞台に,ある夫婦の陰鬱な闘争が繰り広げられる」と述べる。月永にとっては,この映画は,蓮實とは違って「一人の女の生をまざまざと記録すると共に,夫婦という奇妙な縁で結ばれた2人の闘いをスリリングに描き出す」作品なのである。月永は言う。「光と影,嘘と真実,個人と国家。相反する者たちが対立し,やがてすべてが薄暗い闇にのみ込まれていく。ここには,かつて確かに存在したであろう日本の姿がある。」月永にとっては,この映画は一人の女の変貌というよりは相反する存在の対立を通してかつての日本の姿を描いた作品なのである。それは「戦後日本という名の世界を救うことになる」と言う蓮實とは逆方向のとらえ方だと言えるだろう。その意味では,この2つの評論はたいへん興味深い問題を提示していると言えるのではないだろうか。
一つの映画を鑑賞するときにどこに軸足を置いて観るかは観客それぞれの世界観,価値観,さらには趣味にかかっているだろう。私はこの映画は未鑑賞なので何とも言えないが,夫に頼り切っていた女が夫をそそのかすまでに変貌する様子を蒼井優がどのように演じているかには興味がある。それにしても,「その変貌が戦後日本という名の世界を救う」って,どういうことなのだろう…。自粛中の身なのでDVD化を待たなければならないのが残念だ。

