ブログの更新が月に1~2回程度になってから2年以上になりますが,なぜか突然観た映画の感想文をまとめておこうという気になって,とりあえず7月に観た映画の簡単な感想文を書いてみました。

 

 

1.『最悪の選択』(2018年 イギリス)

監督:マット・パーマー

キャスト

  ジャック・ロウデン(ヴォーン)

  マーティン・マッキャン(マーカス)

 

*本ブログ7月26日にレビューを掲載。

 

2.『陰謀のセオリー』(1997年 アメリカ)

監督:リチャード・ドナー

キャスト

  メル・ギブソン(ジェリー・フレッチャー)

  ジュリア・ロバーツ(アリス・サットン)

  パトリック・スチュワート(Dr. ジョナス)

  シルク・コザート(エージェント・ロウリー)

  スティーヴン・カーン(ウイルソン)

 

   洗脳を扱ったサスペンス。冒頭からタクシー運転手のジェリーが客に対して機関銃のように次から次へと陰謀論をまくしたてるところは面白かったが,全体としては,ご都合主義的なシーンもいろいろあって,サスペンスとしては「可も無く不可も無く」といったところ。

 

3.『The Guilty / ギルティ』(2021年 アメリカ)

監督:アントワン・フークア

キャスト:ジェイク・ギレンホール(ジョー・ベイラー)

 

 2018年のデンマークのスリラー映画『THE GUILTY / ギルティ』のハリウッド・リメイク版で,Netflix配信映画。残念ながらオリジナル版は未鑑賞。

 911緊急通報司令室に勤務する警察官ジョー・ベイラーがある日女性の声でかかってきた一本の電話から彼女が何物かに誘拐され拉致されていると判断し,彼女を助けるべく奮闘する。映画はジョーが被害者の女性やその他様々な人物との電話でのやり取りだけで進行する。したがって,その舞台は終始911緊急通報司令室のみであり,出演者もギレンホール以外はほぼ声の出演だけというユニークな演出の作品である。ギレンホールの一人芝居と言ってもよく,観客はギレンホールとともに進行している事件の解決に奮闘している気分にさせられる。そして,どんでん返しの終盤へ…。引き込まれたが,終盤の展開にはもう一ひねり欲しかったように思われる。ジョーの同僚の女性警官が言った「失意の人は同類を救う」という言葉。これが映画のすべて。

 

4.『華麗なるギャツビー』(2012年 アメリカ)

監督:バズ・ラーマン

キャスト

  レオナルド・ディカプリオ(ジェイ・ギャツビー)

  トビー・マグワイア(ニック・キャラウェイ)

  キャリー・マリガン(デイジー・ブキャナン)

 

 *再鑑賞

 F・スコット・フィッツジェラルド原作の「グレート・ギャツビー」の映画化作品。1974年にもジャック・クレイトン監督,ロバート・レッドフォード主演で映画化されているが,それは未鑑賞。

  1920年代のNYを舞台にアメリカンドリームの体現者,ジェイ・ギャツビーの愛する女性への一途な愛と挫折の物語。それはまた,私には,喧噪の20年代の繁栄と崩壊の象徴であり,アメリカンドリームなんてその程度のものさ,というバズ・ラーマンの声も聞こえてくるような気がしたのだが…。

 映画の展開を案内してくれるのは,静かな語り口のニックのナレーションだ。彼は療養所の医者から治療のために物を書くことを勧められるのである。その意味では,これはニックの書く小説とも言える。タイトルは“Gatsby”。しかし,ニックは書き終わったあと,タイトルの“Gatsby”の前に“Great”と書き加えるのだった。ニックにとって,デイジーもトムもマートルの夫も,誰も彼もくそったれだ。真実の人はギャツビーだけだったのだろう。

 

5.『キャロル』(2015年 アメリカ)

 *再鑑賞

監督:トッド・ヘインズ

キャスト:

  ケイト・ブランシェット(キャロル・エアード)

  ルーニー・マーラ (テレーズ・ベリベット)

 

 1950年代のアメリカを舞台に,女性の同性愛を描いた恋愛映画。佳作と言ってよいだろうが,多少不満な点もあって手放しで絶賛することはできなかった。その点は以前観たときの印象からの変化はそれほどなかった。

 

 1950年代と言えば,まだ同性愛は不道徳であるとされていただけではなく,同性愛者は病気だとも考えられていた時代である。その意味では,この映画は単なる恋愛映画ではなく,社会の偏見にも負けず,自分たちの気持ちに正直に生きた女性の姿を描いた作品であり,そのあたりの情景もよく描かれてはいる。ただ,それが二人の恋愛に大きな枷になっているということへの突っ込みが少し不足しているようにも思われ,その点では中途半端な印象も残った。そうは言っても,母親であることとテレーズへの愛の間で揺れ動くキャロルの心情,成熟した女性キャロルに憧れる素朴で不安げなテレーズ,それぞれを演じたケイト・ブランシェットとルーニー・マーラの演技はやはり絶品ものである。ただ,ルーニー・マーラに関しては,私は「ドラゴン・タトゥーの女」で,あの天才ハッカー役を演じた彼女のほうに魅力を感じてしまうのだが…。

 

監督:マット・パーマー

キャスト

ジャック・ロウデン(ヴォーン)

マーティン・マッキャン(マーカス)

 

 Netflix配信作品。マット・パーマーという監督はよく知らなかったのだが,ネットの情報によれば本作が長編デビュー作らしい。

 

 ヴォーンは妻が妊娠して,もうすぐ子供が産まれることになっており,幸せな日々を過ごしている。ある週末,彼は15年来の友人であるマーカスと郊外の森にシカ狩りに出かける。ヴォーンはまじめな青年だが,マーカスはちょっと不良っぽいところもある。でも気のいい男のようだ。着いたのはクルカランという村。村のバーでの村人たちや村の女性たちとの会話から時代から取り残された少し閉鎖的な村の雰囲気が漂ってくる。

 翌日ヴォーンとマーカスは森へとハンティングに出かけていく。すると,ちょうど木々の間から一頭のシカが草を食んでいるのを見つける。マーカスはヴォーンにそのシカを仕留めるように促す。マーカスは少し躊躇しながらも狙いを定めて引き金を引く。しかし,その銃弾はシカではなく,ヴォーンには隠れていて見えなかった子供に命中するのである。子供は即死し,銃声を聞いて駆けつけてきた子供の父親は逆上してヴォーンに銃を向けるのだが,ヴォーンの危機を見たマーカスはその父親を狙撃するのである。さて,この思いもかけない事態に彼らはある選択をするのだが…。

 

 原題はCalibreなのだが,生憎私はこの単語の意味を知らなかったので辞書で確認してみたところ,「(銃身などの)口径」とか「力量」といった意味のようである。この映画に関する限りはおそらく前者の意味であろう。それに対し,邦題は『最悪の選択』。おそらくこの邦題は上に述べたマーカスとヴォーンの「選択」を指しているのだろう。というのは,彼らのこの「選択」がその後,彼らを追い詰めていくことになるのだから。しかし,この映画には彼らのこの「選択」以外にも2つの「選択」が出てくるのである。一つは村人たちの「選択」であり,もう一つはヴォーンの「選択」である。そして,私にはこの2つの「選択」がこの映画の本質だと思われたのだ。この映画で描かれている状況はある意味極限状況と言ってもよいであろう。その中で人は実に残酷な「選択」をすることもあり,そのために非常に過酷な選択を強いられ苦しむ他者が存在することになるのだ。『ソフィーの選択』も然り,スサンネ・ビア監督が『ある愛の風景』の中で描いた選択も然りである。それは倫理学でよく想定されるような知的なお遊びとしての「選択」などではないのだ。

 ヴォーンが赤ん坊を抱いているエンディングのシーン。マット・パーマー監督の映像作家としての「悪意」(もちろん,よい意味である)が存分に発揮されているこのシーンこそ彼がこの映画を撮った意図なのだと私には思われたのだが,邦題にある「最悪」はそこまでの見通しを持ったタイトルなのだろうか?

 さて,話が「選択」にばかり集中してしまったが,マーカスとヴォーンが最初の「選択」をしたことから彼らが追い詰められていくプロセスもハラハラドキドキする描き方になっており,特にマーカスが何気なく「語るに落ちる」といったシーンなど実に巧みであって,サスペンスとしても楽しめる作品になっていると言えるだろう。

 

  今から5,6年前になるが,一緒に仕事をしたチームのメンバーの一人が会議の席で「~させていただきます」という言い方を連発するので,耳障りでしかたがなかった覚えがある。あまりに頻繁に使うので,「『~させていただきます』って,それ,あなたのやるべき作業なのに誰の許可を仰いでいるんだ?」と言いそうになったのだが,本人は丁寧な表現として使っているのだろうと思って黙っていた。それにしても,最近,TVを見ていると芸能人などがよくこの表現を使っているのを耳にする。いや,それだけでなく,自分でも無意識に使っていたりして「ン?」と思うこともあり,「『させていただく』ってどういう表現なのだろう?」と思っていたところ,たまたま目にしたのが本書である。そこで,早速読んでみた。

 

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 「させていただく」という言い方については私のように違和感を持つ人もたくさんいる一方で,現在広く使われていることも事実である。それはこの形を便利だと思う人が増えてきたからなのだが,著者の椎名美智は言語学,特に歴史語用論(注1),コミュニケーション論,文体論を専攻している研究者としての立場から「させていただく」の現在に至るまでの歴史的経緯を明らかにし,さらに,それが広く使われるようになった背景にある社会の変化,人々の意識や距離感の変化,日本語の敬語の変化などに言及しているのが本書である。著者の言葉を借りれば,「『させていただく』を『問題系』として取りあげた」(p.8)書物なのである。その際,著者は700人を対象にした調査を行うとともに,歴史的時代が異なる2つのコーパス(注2)を用いて調べるといったフィールドワークから得られる事象を分析し,そこから上の「問題系」に関する結論を導き出しており,読み終えたあと,「させていただく」の違和感だけでなく,その表現が何故便利であるかという点についても納得できるものになっていると言えるだろう。

 

(注1) 歴史語用論(pragmatics):時間の流れの中でどのように言語が変わってきたのかといった言語の歴史を調べる歴史言語学と,コミュニケーションでどのように言語が使われているのか,なぜ言外のメッセージが伝わるのかといった,実際に使われている言葉を観察する語用論の両方の視点から,人々のコミュニケーションの歴史的変化を研究する言語学の一分野。(p. 8 / p.55)

(注2)  コーパス:電子テキストをたくさん集めたデータセットのこと。(p.135)

 

  本書の構成は以下のようである。

「はじめに」

第1章「新しい敬語表現――街中の言語学的考察」

第2章「ブームの到来――『させていただく』の勢力図」

第3章「違和感の正体――700人の意識調査」

第4章「広がる守備範囲――新旧コーパス比較調査」

第5章「日本語コミュニケーションのゆくえ――自己愛的な敬語」

「おわりに」

 

 本書を読み進める上で重要なコンセプトは,敬語における「敬意漸減の法則」,「距離のストラテジー」,敬語の体系の変化ということである。「敬意漸減の法則」とは,敬語は使われていくうちに,それに含まれている敬意が少しずつすり減っていくという現象であり,「距離のストラテジー」とは他者との心理的距離感の調節に関わることである。敬語は他者との上下関係だけではなく親疎関係をも表す表現であるが,私たちはそれを他者に対する遠隔化の道具として使用していると述べられる。距離感に関しては主語が一人称であるか「あなた」であるかということも重要であり,前者の場合は遠隔化作用が働くのに対し後者の場合は近接化が生じる。さらに,敬語はかつての他者に敬意が向けられるタイプの敬語(尊敬語,謙譲語,丁寧語)から自分が丁寧であることを示すことによって間接的に聞き手に敬意が伝わるタイプの敬語(丁重語,美化語)へとシフトしていくのであるが,これも「させていただく」の使用増加と深く関係しているとのことである。

 

 第1章では「させていただく」の実例をたくさん挙げながら著者がそれぞれにコメントをつけているのだが,それを読むと「させていただく」にも使う人の意思表明に違いがあることが分かる。例えば,「ハッキリ言わせていただきます!」,「実家に帰らせていただきます」,「警察へ通報させていただきました」などはキッパリと強い意志が感じられるのに対して,「メンバーズカードをお持ちの方には10%割引させていただきます!」などは顧客側が恩恵を受けるのになぜこういう表現になるのかといった興味が湧くのだが,本書ではこの点についても詳しい説明がなされているのである。

「させていただく」の文法的説明としては,本書は次のように述べている。つまり,これは「使役の助動詞『させる』と授受動詞(注3)『いただく』が連結の『て』で繫がった連語である」(p.75)が,ここでは授受動詞を「補助動詞」(注4)として使うことによって,「話し手は自分と相手との関係性の微妙なニュアンスを伝えることができる」(p.75)ということになる。

 

(注3) 授受動詞:もののやりとりを表す動詞で,普通形(非敬語形)と敬語形があり,3系列7語(やる・あげる・さしあげる / くれる・くださる / もらう・いただく)で一つの体系を構成している。やりとりするものは具体的なものから抽象的なものにまで使用が拡大して,現在に至っている。(p.69)

(注4) 補助動詞:他の動詞の後ろにつけて使われる用法。「させていただく」を扱っている本書では「授受動詞の補助動詞用法」を略して「補助動詞」と呼び,敬語に準ずる機能を持っているものとして扱う。(p.66)

 

 著者は以上の説明をしたうえで,「させていただく」の使用増加という現象をいろいろな要因(社会の変化,人々の意識の変化,敬語の変化など)の結節点であるとして,これを「問題系」として捉える。そして,この問題系を解明するために以下の3つの問いを立てる。

(1)   人々はなぜ「させていただく」を便利だと感じるのか?

(2)   人々はなぜ「させていただく」に違和感を覚えるのか?

(3)   日本語の敬語の変化の中で,どのような流れがあったから,「させていただく」が好まれるに至ったのか?

 著者はまず,「させていただく」の違和感の正体を探るために700人を対象にした意識調査を行い,「させていただく」について「必須性」(相手の存在や役割が必須であるかどうか),「使役性」(「させていただく」が許可使役の意味を持つかどうか),「恩恵性」(恩恵を受けるかどうか)という3つの要素を取り出したところ,次のことがわかったと述べる。つまり,違和感の有無に最も関係のあるのは「必須性」であり,「恩恵性」は違和感の有無には無関係である。「使役性」の影響力は2番目,つまり,必ずしもみんなが「許可」を求める目的で「させていただく」を使用しているわけではないということである。要するに,「させていただく」は「あなた認知」の動詞とともに使われた場合に違和感が小さいということになるのだということである。

 さらに,著者はこの問題を「距離感」という観点から考えた場合,「させていただく」は敬語であり,主語は一人称の「私」なので遠隔化が作用する距離感の大きい補助動詞であるが,上に述べた「必須性」が重要であるという観点を含めて考えると,「させていただく」は「遠近両方の効果を持つ用法」へと変化してきていると考えられると述べる。したがって,著者によれば,「させていただく」は話し手と聞き手が絶妙の距離感を保ってコミュニケーションができる表現であるということになる。

 次に著者は「させていただく」が広く使われるようになった歴史的背景を時代が異なる2つのコーパスを用いて調べた結果を次のように述べる。つまり,昔からこれはコミュニケーションに関わる動詞とともに使われることが多かったが,最近は「させていただく」の前にくる動詞(前接動詞)の種類が多様化しており,特に「能動的コミュニケーション動詞」(述べる,話すなど)と一緒に使われることが増えてきたということである。そして,これは自分からすすんで相手にコミュニケーションをとろうとする動詞であり,意識調査で「必須性」,つまり相手の存在や役割があると「させていただく」フレーズへの違和感が小さいことと呼応する結果であると述べられる。

 他方,「させていただく」の後ろに来る部分(後接部)を2つのコーパスで比較したところ,現在ではほとんど「させていただきます」という言い切りの形でしか使われておらず,著者によれば,これは双方向的で交渉的なコミュニケーションスタイルが,一方向的な宣言や報告へと限定化してきているということを意味していることになる。要するに,後接部においてはコミュニケーションが貧弱化する一方で,それを補うかのように前接動詞が多様化しているのであり,これを遠・近という側面から考えた場合,「させていただきます」は,「させて」と相手の許可に言及することによって,特に,相手に関係する動詞と一緒に使って距離が縮まりそうな時には,「いただく」という遠距離効果の言葉で距離感を取り戻すことができることになるのであって,「そうした微妙な距離感操作が簡単にできることが,伝統的な敬語に代わる表現として使われる理由ではないかと思います」(p.173)と述べられている

 以上をアーヴィング・ゴフマンの「表敬」と「品行」(注5)という概念を使ってポライトネス(言語的配慮)の観点から「させていただく」を「させてくださる」と比較しながら考察しているのが第5章である。著者はコーパス調査の分析によって「させてくださる」はあまり使われなくなり,「させていただく」へとシフトしてきたことを指摘した上で,「『させてくださる』は『あなた』を主語として敬語の対象としているという点で,聞き手への敬意を表現する『表敬』の敬語です。一方,『させていただく』は『私』が主語になっているので,話し手の謙譲の気持ちを表現する『品行』の敬語です」(p.187)と述べ,前者から後者へのシフトが起こった理由を,敬意の示し方において前者は相手に触れざるを得ないが,後者は相手に触れることなく間接的に相手への敬意を示すことができるので,心理的負担が小さくてすむからであると述べる。しかし,著者はさらに,「させていただく」は自分がへりくだることによって相手に敬意が向かう謙譲語ではなく,へりくだることによって自分の丁寧さを示す「新・丁重語」として使われているのではないかということを指摘する。

 著者の行った2つの調査から著者は「させていただく」の違和感は,それがどんな動詞とともに使われているか,後ろがどんな形なのかに大きく関わっていると結論する。つまり,一緒に使われる能動的コミュニケーション動詞の種類が増えてきているということは相手の存在が必須であることに呼応しており,自分の丁寧さを示すマーカーにもなっているが,後ろの言い切りの形は一方的な行為の宣言であり,近接化を図ろうとしながら同時に遠隔化作用が機能するという矛盾が存在するということである。

 

(注5) 「表敬」と「品行」について著者は186ページで次のように紹介している。

表敬:相手についての高い評価を適切に相手に対して伝える手立てになる行動

品行:身のこなし・着衣・ふるまいを通じて伝えられる個人の儀礼的行為という要素,自分がまわりから見て望ましい性質をもっている人間であること,あるいは望ましくない性質をもった人間であることを表現すること。

 

 著者はまた歴史語用論の立場から「させていただく」の使用が増大したことの原因としての人々の意識の変化についても言及して,次のように述べている。つまり,SNSの発達のおかげで人々が不特定多数を相手に話す機会が増えたために,対人関係において傷つくことを恐れるあまり,対人配慮に心を砕き過ぎるようになった結果ではないかということである。要するに,「させていただく」は自分が傷つくことを避ける無難な表現なのだということである。著者が言うように,敬語とはそもそも尊い他者に対する敬意を表すものであったのだが,それが今では自分が謙虚であることを示すことに注力するものになってしまっており,それの象徴が「させていただく」の使用であるということになる。そして,著者はそれを「自己疎外」と述べている。

 

 以上,本書のごく大雑把な内容を紹介してきたが,本書は私たちが「させていただく」について日頃から漠然と感じている疑問点などについて,言語学者としての豊富な知識に基づきながらも私のような素人にも分かりやすく書かれており,とても読みやすい書物であると言える。もちろん本書には私が紹介した内容以外にも実に様々な興味深いことが指摘されており,「させていただく」に違和感を持っている人だけではなく,それを便利な言葉遣いだと感じている人にも一読をお薦めしたい書物である。

今回はその2として,主に映画『メッセージ』に対する感想を中心に書いていきます。

 

 

【メッセージ】

 前回はネタバレ全開のこの映画のストーリーを紹介したが,今回はこの作品についての私なりの解釈と感想を書いてみることにする。

 前回にも書いたが,この映画は冒頭で「あなたの物語はこの日始まったと思ってた。記憶って不思議。色んな見え方をする。人は“時の流れ”に縛られて生きているけど」というナレーションで始まり,続いて,子供の誕生,その子が大きくなってからの死,と続き,ラストで「ハンナ,あなたの物語は彼らが消えた日に始まったの」というナレーションが流れる。そう,この物語はルイーズの娘・ハンナの物語なのだ。そして,ハンナとの関わりについてのルイーズの人生観を大きく変えたのがヘプタポッドとの出会いだったのである。

 私たちはよく「時系列」という言葉を使う。この言葉には時間は直線的に未来に向かって進んでいくという思考が表れている。人類の歴史において人間が「時間」という概念をどのように認識してきたのかということについて,私は深くは知らない。ただ,「歴史は一つの目標に向かって進んでいく」というマルクスやヘーゲルに代表される近代的歴史観は時間が未来に向かって直線的に進んでいくという思考から出てくるものであることは確かであろう。ここで,この映画の中で言及されている,「思考は使用する言葉によって形成される」というサピア・ウォーフの仮説を思い出そう。ヘプタポッドの文字は円形の表意文字であった。この言葉を使う生命体にとって「時間」は円環構造を成していると考えられても不思議ではないし,したがって「円環する時間」という概念を持つ生命体にとっては「未来が見える」のだ。

 映画の進行とともに明らかになること。それは,ルイーズがヘプタポッドの文字を分析していくにつれて彼女が彼らの思考を身につけていくということである。つまり,彼女には未来が見えるようになっていくのだ。

 彼女の著書『ヘプタポッドの言語』。これは彼女が未来において書いた書物であり,未来が見えるようになっていた彼女は未来の自分の著書で「武器」の意味を調べたのである。彼女がシャン上将の携帯電話の番号を知り得たのも同じだ。彼女は1年半後にシャン上将に見せてもらった携帯番号を知ることによって,あの時点でシャン上将に電話をかけることができたのである。しかし,これらのことはこの映画の<メッセージ>にとって副次的なことだ。では,本当に重要なこととは?

 彼女が未来を知ることができるようになって生じた本当に重要なこととは,映画の中で時々フラッシュバックで出てくる娘のハンナとの<思い出>だ。その<思い出>の中で彼女はハンナを心から愛し,ハンナも彼女のことが大好きだ。しかし,ハンナは亡くなる。

 三度目になるが,もう一度繰り返そう。映画の冒頭のナレーション。「あなたの物語はこの日始まったと思ってた。記憶って不思議。色んな見え方をする。人は“時の流れ”に縛られて生きているけど。」ラスト。「ハンナ,あなたの物語は彼らが消えた日に始まったの」。そうなのだ,フラッシュバックで出てくるハンナはルイーズの<思い出>の中に存在しているのではないのだ。それは未来の出来事であり,未来を知ることができるようになったルイーズには自分がハンナを生み育てるが,その子は亡くなるという悲劇が見えていたのだ。それでも,彼女は愛するイアンとの間でハンナを生むという選択をする。そして,私たちは映画が冒頭に戻るということ,実は映画自体が時間的円環構造を持っていることを実感するのである。

 ルイーズはただ運命に身を任せたのではないし,無謀な選択をしたのでもない。自らの強い意志によって自分の運命を選択したのである。この人生観こそこの作品が私たちに伝えているメッセージなのだ。Hannahという名前は特別だ。ルイーズは言う。「Hannahは前からも後ろからもハンナと読めるのよ」。ハンナは未来のあるときに亡くなるけれど,ルイーズにとっては名前の通り,後ろに戻って生き返るのだ。

 俯瞰で見れば時の流れは一直線に進んでいるように見えるし,私たちは誰でもいつかは死ぬということをも知っている。だからといって,私たちはそのことで悲観的になることもなく,日々,その日の一瞬一瞬を様々な選択をしながら生きている。生きるとはそういうことなのだ。この映画はそのことを私たちに教えてくれているようにも思えるのである。

 最後に映画のメインのテーマではないが,ドゥニ・ビルヌーブがこの映画で示唆しているもう一つのメッセージを述べてこの感想文を終えることにする。

 実はこの映画には一つの“謎”が残っている。終盤の怒濤の展開においてルイーズは「あなたたちはなぜ地球にやってきたの?」と問うが,それに対してヘプタポッドは「人類を救うためである」と答え,そのためにルイーズが持っている“武器”を使うように言う。”武器”とは言葉であることが分かったルイーズはシャン上将の携帯電話に連絡をとり,その結果,中国は武装解除し,崩壊していた世界の協力関係が復活するのである。では,ヘプタポッドが救うためにやってきた人類の危機とは何なのか?また,ルイーズはシャン上将に何と言ったのか?それについてのシャン上将の言葉は「妻の最後の言葉だ」としか映画では語られない。つまり,映画の中ではこれは具体的には語られておらず,“謎”のままに残されているのだが,ドゥニ・ビルヌーブが示唆しているメッセージは明らかであろう。それは,人類は対立ではなく協力し合わなければ崩壊するだろうということであり,唯一言葉だけが人類の崩壊を救う武器なのだということだろう。ヘプタポッドにとって武器とは言葉である。兵器ではないのだ。そのことを人類に教えることがヘプタポッドが人類を救うということなのだろう。円形の文字はそのことを象徴しているようにも見える。映画の中で,「ハンマーしか持っていなければ全てクギに見える」というセリフがあるが,これは直線的思考から出てくる発想だということだ。直線的な時間思考と同じように。

 

監督:ドゥニ・ビルヌーブ

キャスト

 エイミー・アダムス(ルイーズ・バンクス)

 ジェレミー・レナー(イアン・ドネリー)

 フォレスト・ウィテカー(ウェバー大佐)

 マイケル・スタールバーグ(ハルパーン捜査官)

 マーク・オブライエン(マークス大尉)

 ツィ・マー(シャン上将)

 

 長くなったので2回に分けて掲載します。今回はその1です。

 

 数年ぶりに『メッセージ』を観た。2度目の鑑賞だが,以前観たときにはこの映画の一部しか理解していなかったことが分かった。素晴らしい作品だ。見事な構成によって訴えかけてくるメッセージは,ある意味,観る人の世界観を変える映画だと言ってもよいだろう。

 

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「プリズナーズ」「ボーダーライン」などを手がけ,2017年公開の「ブレードランナー 2049」の監督にも抜擢されたカナダの鬼才ドゥニ・ビルヌーブが,異星人とのコンタクトを描いた米作家テッド・チャンの短編小説「あなたの人生の物語」を映画化したSFドラマ。ある日,突如として地球上に降り立った巨大な球体型宇宙船。言語学者のルイーズは,謎の知的生命体との意思疎通をはかる役目を担うこととなり,“彼ら”が人類に何を伝えようとしているのかを探っていくのだが…。主人公ルイーズ役は「アメリカン・ハッスル」「魔法にかけられて」のエイミー・アダムス。その他,「アベンジャーズ」「ハート・ロッカー」のジェレミー・レナー,「ラストキング・オブ・スコットランド」でオスカー受賞のフォレスト・ウィテカーが共演。“映画.com”より。

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 まず,映画の内容に関わるポイントを挙げておく。

●冒頭,ナレーションが流れる。「あなたの物語はこの日始まったと思ってた。記憶って不思議。色んな見え方をする。人は“時の流れ”に縛られて生きているけど。」そして,子供の誕生。その子が大きくなった頃の死。ラスト。「ハンナ,あなたの物語は彼らが消えた日に始まったの。」

●エイリアンはギリシア語を用いてヘプタポッド(ヘプタ(7)+ポッド(足))「七本足の生命体」と名付けられる。

●表意文字と表音文字。

●サピア・ウォーフの仮説,つまり,思考は使用する言葉によって形成される。“表語文字”には時制がない。

●「非ゼロ和ゲーム」,つまりwin win。

●ヘプタポッドへの問い。「あなたたちはなぜ地球に来たの?」彼らの答え。「武器を提供」

●ルイーズの著書『ヘプタポッドの言語』の扉の言葉。「ハンナに捧ぐ」

●「なぜ私の名前はハンナ(Hannah)なの?」「Hannahは前からも後ろからもハンナと読めるのよ」 

 

 以下はネタバレを含みますので閲覧にはご注意を!

【タイトルについて】

 原題はArrival(到着)なので,「メッセージ」は日本の配給会社が付けたタイトルだが,この映画に関するかぎり,「メッセージ」のほうが内容に合っていると思われる。それで,<メッセージ>って,誰から誰へのメッセージかと言えば,“彼ら”から人類へのメッセージであり,監督から私たちへのメッセージでもあると私には思われるのだ。まず,以下で映画「メッセージ」のストーリーを紹介することにする。

 

ネタバレ全開のストーリー紹介】

 ある日,地球上の12の地点に巨大な球体型宇宙船が降り立つ。その宇宙船には謎の生命体が乗っているのだが,彼らは何のために地球にやってきたのか。言語学者のルイーズは彼らとのコミュニケーションをとるために招集され,モンタナ州の現場に向かう。そこには宇宙物理学者のイアンも招集されており,二人は彼らが地球に来た目的を探るために宇宙船の中に入っていく。宇宙船の中には大きな透明の板があり,それによって遮られた向こう側に2つの生命体が見える。それは7本足のように見えるところから二人はその生命体をギリシア語の「7本足の生命体」という意味のヘプタポッドと名付ける。

 音声によるコミュニケーションは不可能だと悟ったルイーズは彼らの文字を理解することに努める。彼らの文字は円形をしており,それは表意文字であるということが分かってくる。サピア・ウォーフの仮説によれば,「思考は使用する言葉によって形成される」ということになるのだが,では,ヘプタポッドが使う言葉には彼らのどのような「思考」が表されているのだろうか?この点がこの映画の一つのポイントなのだが,それは映画の後半,私たちが思いもしなかった展開によって明らかにされるのだ。

 映画の進行につれて,ルイーズはヘプタポッドの言葉を徐々に理解していく。そして,彼女は「あなたたちが地球にやってきた目的は何?」と聞くことに成功する。ヘプタポッドの答えは意外にも「武器を提供」ということであった。

 実は「ヘプタポッドがなぜ地球にやってきたのか?」ということの解明はアメリカだけではなく,彼らが降り立った12の地点の国々においてそれぞれ独自の方法で同時に行われており,地球上の国々がその情報を共有していたのであるが,ヘプタポッドの答えが判明するやいなや,協力関係は崩壊し,ヘプタポッドとの戦争態勢に突入するのである。中国ではいち早く人民解放軍が宇宙戦争の態勢に入り,アメリカでも軍部は攻撃態勢を整える。しかし,ヘプタポッドの言葉の解析に努力してきたルイーズには彼らの言う「武器」が戦争のための兵器を意味しているとは思えない。彼女はなんとかその意味を考えようとするが,その時,亡くなった娘のハンナの質問に答えたことのある「非ゼロ和ゲーム」という言葉がフラッシュバックする。つまり,「ゼロサムゲームにあらず」,要するにwin winということだ。そして,彼女はヘプタポッドから彼らの目的が人類を救うためであり,それは3000年後に自分たちが人類に救われるからだということを教えられる。では,「武器」とは何か?その時,彼女は自分が書いた『ヘプタポッドの言語』という著書を調べ,それが「言葉」だということを知る。ン???????

 場面は1年半後に切り替わり,大統領の祝賀会の会場でドレスアップしたルイーズに中国人民解放軍のシャン上将が近づいてきて彼女が宇宙戦争を思いとどまらせてくれたことを称え,感謝する。彼女は自分の身を賭してシャン上将の携帯電話に連絡をとり,ヘプタポッドの真意を知らせていたのだ。しかし,彼女はどうしてシャン上将の携帯電話の番号を知り得たのだろうか???????

                       以下,第2回の感想文へと続く。