マレーシアの友人がモリブの海に連れて行ってくれた。
モリブというのはクアラルンプールから一番近い海岸として知られている。
マレーシアの湘南とでも言うのか。
途中バンティンという町を通る。
実は25年前にも一度バンティンに来たことがあった。

スランゴール州の旧州都クランの町に住んでいた25年前、週末は毎週のようにクアラルンプールに出かけていた。クランからクアラルンプールまで急行バスが何本か出ていたが、一番本数が多く、バスの車体が比較的良好だったバンティン-K.L.間の急行バスによく乗った。バスの始発であるバンティンがどんな町なのか一度行ってみようとバスを反対方向に乗った。周りの人からはバンティンには海があると聞いていた。その“海”というのがモリブのことだと知ったのは今回の旅。

$All the Way ~ いつか来た道-モリブ海岸

バンティンの町は何もない、いかにも開拓地にあるような感じの町だった。25年経った今も田舎町の様相であることには変わりはない。ただ建物は増え、小奇麗なカフェやレストランがちらほら見えた。この界隈にも日系企業の工場が建ち、クアラルンプールの通勤圏ではないにしろ、首都圏に組み込まれている。

バンティンの町は整然としたショップハウスが並ぶ。どこかで見たような街づくりだと感じた。そういえばニュージーランドにもこんな感じの所があった。思えばどちらもイギリスの植民地。イギリス流の開拓地なんだろう。

$All the Way ~ いつか来た道-バンティン

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マレーシアに住んでいたのはもう25年前になる。
僕が住んでいたクランと首都クアラルンプールの間にはハイウェイが通っていた。
週末することのない僕はほとんど毎週クアラルンプールに出かけていた。
ハイウェイの両側はゴムやパーム椰子のプランテーションが迫り、所々島のように町が開けていた。ここは福建会館、ここはシャーアラム、ここはMIT(大学)というようにクアラルンプールに着くまでのマイルストーンのように覚えていたものだ。
あれから25年。
マレーシアは経済発展を続け、スランゴール州のこの辺りも首都圏に飲み込まれていく。もうジャングルを目にすることはない。ハイウェイから見る風景は途切れることなく町並みが続いている。途中には高級マンションやショッピングモールが目を引く。
かつてここがニュータウン“シャーアラム”と圧倒的な存在感を示していたスランゴール州のシンボル“ブルーモスク”に気づくことなく通り過ぎてしまっていた。
$All the Way ~ いつか来た道-料金所

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マレーシアの空の玄関クアラルンプール国際空港に着陸態勢に入ると窓の下にはどこまでも続くパーム椰子の森が広がる。

$All the Way ~ いつか来た道

初めてマレーシアに行ったのは25年も前だ。
その頃のクアラルンプール国際空港はスバンにあった。
朝大阪空港を出発して大韓航空機を乗り継ぎ、スバン国際空港に着いたのは午前3時。空港の照明は暗く、エアコンも入っていなかった。生暖かい風が匂っていた。パームの匂いであることは後で知った。空港から町に向かう道路の両側は慣れないオレンジ色のナトリウム灯にパーム椰子の森が照らされていかにも南国らしい雰囲気をかもし出していた。

スバン空港の周りもパームのプランテーションだった。ただ当時はまだ植え始めたばかりで低く、葉もそれほど伸びていない樹が多く、赤土の山肌が見えていた。

国際空港はセパンに移り、スバンも膨張する都市に飲み込まれ、すっかり大都会になっていた。高層マンションが建ち、住宅地とショッピングモールが並び、クアラルンプールまで電車ですぐ行けるという。

$All the Way ~ いつか来た道

この25年間にマレーシアの人口は2.5倍に増えたという。経済的にも目覚しく発展したのだろう。もうすっかりコロニアルな雰囲気は無くなり、都市は香港やシンガポールと変わらない光景となっている。

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新婚当時は横浜に住んでいた。横浜という都市はブランドイメージがあるようだが、僕らの住んでたところはそんなブランドイメージとは程遠く、田んぼの区割りのまんま、安アパートが立ち並んでいる町だった。そういう場所だから若い家族が多かったと思う。それを如実にさせるのがフリーマーケットだ。

うちの奥さんはフリーマーケットマニアだ。横浜に住んでいる時は毎週土日にどこでフリーマーケットが開催されるかチェックすることを欠かさず電車に乗って東京近郊を回っていたものだ。今ならインターネットで簡単にチェックできることだけど、頃はまだパソコン通信の時代。

このフリーマーケットというのはいつ頃から一般化したんだろう?

古典落語に「道具屋」というねたがある。
      「抜けんな。」(><;)
      「抜けまへんやろ。」(^_^;)
      「何でこないに抜けんのや。」(><;)
      「木刀でっさかいな。」(^_^;)
というやつ。

この落語の時代は分からないけど、おそらく江戸時代か明治時代にもフリーマーケットのようなものはあったのだろう。

ずいぶん昔に世田谷ボロ市に行ったことがあるが、まさに“蚤の市”にふさわしい、今時のフリーマーケットとはずいぶん様相の違うものだったのを覚えている。

1990年台、今ほどリサイクルショップが多くなかったあの頃はきっとフリーマーケット全盛期だったんじゃないかな。でも場所によっては既にセミプロの人がコレクト商品を売るのが主流になっていた。有名な明治公園フローマーケットがそんな感じ。

うちの奥さんがこよなく愛した南日吉のフリーマーケットはちょっと様相が違う。当時は年に数回、南日吉商店街から南日吉団地のほうに伸びた1本道をさえぎってフリーマーケットが開催された。開始時間は午後2時。道の両端にロープが張られて、時間まで立ち入りは制限されている。その様相、東京マラソンのスタートラインのようだ。しかも最前列にはベビーカーが並ぶ。開始と同時に一斉にベビーカーが走り出す。幼稚園の運動会じゃないんだよ。皆が目指すのはベビー用品、子供服の露店だ。ここは若い家族が多い町。だから売るほうも買うほうも子どものものが主流になっている。本当に今必要でいいものが手に入るのだそうだ。

うちの奥さんはもう駆け出している。僕は娘を抱いて喧騒を避けながら、奥さんの姿を探し歩く。そんな年に数回のこの町の行事だった。
4月27日の投稿の続きを書くんだね。
何の話だったけ。えーっと、オクトパスカードね。
要するに電子マネーだ。
電子マネーと言えば昨日こんなニュースがあった。

『近鉄、JR西のICOCAを採用へ』
http://sankei.jp.msn.com/economy/news/110506/biz11050617570024-n1.htm

どういうことかイマイチよく分からないんだけど近鉄とJRのICカードが一つになるってことらしい。何はともあれ電子マネーの統合はいいことだ。それでも香港の便利さには及ばない。

オクトパスカード。

「(改札に)置くとパススルー」だからオクトパスカードか、うまいネーミングだと感心してはいけない。これは日本の話じゃぁない。香港だ。でも作ったのは日本人らしい。

香港に行くとオクトパスカードが大変便利だということに気づく。

まず外国人が香港の空港に降り立って、市内に向かうのに必ず利用するエアポートエクスプレス(電車)に乗るにしてもエアバス(バス)に乗るにしてもオクトパスカードで乗ると割引になる。特にエアポートエクスプレスに乗る場合は必ずオクトパスカードが要るのだ。だからたいていの人は買うよ。

オクトパスカードは香港の乗り物、バスでも地下鉄でも路面電車でもスターフェリーでもビクトリアポイントに行くケーブルカーでもとにかくどんな乗り物でもこれ1枚で乗れてしまう大変重宝する代物だ。乗り物だけじゃなく、ファーストフードっぽいお店やコンビニ、ベーカリーなどで買い物もできる。これさえあれば小銭はもたなくていい、切符売り場で悩まなくていいのだ。大変よくできたシステムだと感心することしきり。

日本じゃこうはいかない。
そりゃ香港は小さい閉じられた都会だからできることで、普通の国ではそうはいかいのが当たり前と思われる向きもあろうかと思う。しかし日本で電子マネーがイマイチ便利にならないのはそればっかりが理由じゃないだろう。

日本で電子マネーの歴史は古い。
テレホンカードやオレンジカードも一種の電子マネーだった。だが鳴り物入りで登場した電子マネーEdyはイマイチ普及していない。

日本でも本格的電子マネーの時代と言われ始めた頃、セブンイレブンが電子マネー“ナナコ”を発表したニュースを見て本当に落胆した。パソコンと同じ轍を踏むのかってね。セブンが“ナナコ”でイオンは“WAON”、サークルKは“Edy”で駅の売店はICOCAだ、SUICAだってね。名古屋じゃ使えないし。あぁまさにキュッパチとエフエムタウンズの時代と同じじゃん。

(つづく)

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アマゾンアソシエイト、アメブロではちょっと違うけど、他のブログサイトで使うアマゾンの広告をブログに入れるシステム、ここ最近開くと紹介数の多い商品ランキングに俄然キャンディーズのCDやDVDが多くなってる。無理も無いよなぁ。

僕はめちゃくちゃファンだったわけじゃないけどやっぱり解散までの9ヶ月間というのはひとつのムーブメントだったからね、オールナイトニッポンは毎週聞いていたよ。ファイナルカーニバルの日が高校の入学式に当たってなかったら、家出してでも後楽園に行くつもりだったもの。

僕ぐらいの齢の人がキャンディーズの話をすると必ず太田裕美さんもキャンディーズに入っていたかもしれないんだよぉと豆知識を披露する人が出てくる。同じ芸能プロダクションで売り出した路線が違うのだから、あり得ない話だとすぐ分かるんだけど。

太田裕美さんというと「木綿のハンカチーフ」。これは仕方のないことなのかなぁ。ご本人もその辺を受け入れたのか、最近はユニット“なごみーず”でも「木綿のハンカチーフ」を歌うのが定番になっているようだ。伊勢正三がハモる木綿のハンカチーフ。う~ん、何かシュール。

「木綿のハンカチーフ」は太田裕美さんの代表曲であることは間違いないが、このような曲調の歌は実は太田裕美さんのナンバーで他にはない。コアな太田裕美ファンの間で代表曲として1番に挙げられるのは「青春のしおり」という歌だ。極めて暗いし、時代がにじみ出ている歌。CSN&Yとかウッドストックとか平成の時代には解説無しには理解できない言葉が歌詞に出てくる。この「青春のしおり」の1フレーズがアルバムタイトルになっている『心が風邪をひいた日』から次の『手作りの画集』『12ページの詩集』にかけては極めてフォーク色が強い。当時のフォークね。今その時代のフォークソングを担ってた伊勢正三、大野真澄と共にユニット“なごみーず”を組んでいることから今ではかなり広く認知されてきたと思うが、太田裕美さんはフォークに極めて近いニューミュージックのアーティストだった。

でも当時、フォークやニューミュージックというカテゴリーに入るアーティストはテレビに出ないとかビジュアルにこだわらないとかという掟があった(それもまた一つのファッションにすぎないのだが)。テレビの歌番組に欠かさず出演し、アイドルばりの可愛い衣装と愛くるしい顔の太田裕美さんはアイドル系歌謡曲だと決め付けられ、太田裕美さんが好きだと言うとフォーク・ニューミュージックが至上だった当時の仲間内ではミーハーとして迫害されたものだ。んな大げさな。

じゃぁ太田裕美さんの魅力について…、って音楽系ブログじゃないんで、ニューミュージックという僕らの時代の一つの音楽のファッションについてこの後、ときどき書いていきます。


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クレジットカードのポイントを色んなカードのポイントとまとめて、最後は電子マネーに持っていけるようにしたい。一時期マイレージを他のポイントに移す技が主婦の間でもてはやされたよね。ああいう感じ。というのもクレジットカードはめったに使わないから。

外国にいる時はクレジットカードをよく使うけど日本ではめったにクレジットカードを使わない。ETCとセルフのガソリンスタンドで使うぐらいじゃないかな。クレジットカードより電子マネーのほうが僕は好きだな。クレジットカードのポイントが電子マネーになるなら、もうかった気分になる。ポイント還元でもらえる商品なんて別にうれしくない。

最初に持ったクレジットカードはセゾンカード。大学の友達がセゾンカードに就職したので仲間内でみんなで作ってあげたのだ。でもほとんど使ったことがない。あれから20数年、今でも更新して送ってきてくれる。遅払いも無いが、使用暦もないので決して優良顧客ではないはずなのに。

長い間ニコスカードを持っていた。新婚の時によくイトーヨーカドーで買い物していたのでイトーヨーカドーのカードを作ろうとしたんだが、審査に落ちた。アパートが安アパートだったかららしい。ホントかよ?その引き受け会社が日本信販だったのだが、審査に落ちたことが納得いかなかったのでニコスカードに申し込んだら、あっさりカードを送ってきた。イトーヨーカドーカードのほうが年会費安かったんだけど。

その後、外国暮らしが多くてあまり日本でクレジットカードを使わなくなったので年会費を払うのもバカみたいと思って無料のカードにしようっていうんでAEONカードに乗り換えた。AEONカードはポイントをWAONポイントに変更できて、電子マネーとして使えるようになる。僕向きのカードだ。WAON
カードの課金をクレジットカードから入れるとクレジットポイントがたまる。これでポイント2倍みたいなもんだ。とはいえ主婦じゃないんでAEONでそんなに買い物するわけじゃない。WAONカードで電車に乗れるようにならないかなぁ。そんなバカなと笑うなかれ。香港はもっと便利にできている(つづく)。
新婚当時、僕らは横浜に住んでいた。
横浜というのは地名にブランドイメージがあると思うのだが、僕らが住んでいたのは昭和の香りたっぷりの木造アパート。去年15年ぶりにその場所に行ってみたら、まだありました、当時のまんま。

$All the Way ~ いつか来た道
写真は17年前でこの頃既に築15年以上だったから、今だと築30年か!

この近くには昭和の集合住宅の代表格「団地」というものがあった。公団南日吉団地。現在のUR“コンフォール南日吉”のこと。時代は既に平成になっていたが、そこは昭和40年頃の世界だった。ちなみに往事の風景を見ることのできるサイトがあったのでご紹介。
http://danchi100k.com/file0124/index.html

南日吉団地の他に日吉本町にはもう少し下った時代の公営集合住宅“コーポ”というのもあった。こちらは現在も現役。これら2大集合住宅の周りに僕が住んでたような外階段の木造モルタルアパート、少し時代を下って軽量鉄骨作りのアパート、コンクリートの小さめのマンションというやつもあった。それらに囲まれて異彩を放っていたのが、文化住宅だった。

今回この文を書くに当たってちょっとネットで検索してみたら、文化住宅というのは関西地方で流行した団地のスタイルらしい。でも小津安二郎の映画『お早よう』という映画の舞台はその文化住宅の団地だったけどなぁ。ちなみに僕の言う文化住宅というのはこんなの↓

$All the Way ~ いつか来た道

平屋の一戸建てで中は2DKぐらいの小さい賃貸住宅だ。上の写真はかなり古いものらしく、日吉で見たのは窓も壁ももう少し時代を下っていたけど。映画『お早よう』を見ていただくと分かるんだが、文化住宅というのはこんな感じの同じ造りの家が何軒も整然と並んでいる団地だった。日吉で見た当時のものは数件だけ忘れられたように並んで建っていた。

おそらく昭和30年代のもののはずだ。40年代の団地が近くにあったんだからね。時代は平成、場所は横浜、だけどそこには昭和30年代から平成までの各時代の集合住宅が並んで建っていた。中に暮らしていたのは平成の若い家族だったんだけど。


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結婚してしばらくの間は横浜に住んでいた。横浜と言っても中華街や港とは縁のない、どちらかというと緑豊かな武蔵野のイメージがある所だったんだけど。だから僕のイメージの中では横浜は山がちで坂の多い町だったことになっている。

アパートを借りていた日吉本町はのっぺりとした平地で小さな盆地のような地形だった。今は地下鉄が通ったようだけど当時は最寄駅の東横線日吉駅周辺とは一山越えた別の町っていう感じに雰囲気が違っていた。その辺りだけ道路が五番目のように整然とできていたんだけど多分田んぼの名残。2車線の道がある一方でベビーカーでも通行困難な細い道があった。あぜ道の名残だ。

日吉本町には商店街があって生活圏はそこで完結している。そこから西に行くと団地を経て綱島に着くがその直前に一山越える。東に行くと川崎市の元住吉だけどそこまで山の尾根を越えて行く。

日吉駅に向かう途中には谷間のような場所もあり、崖のような場所もあった。昨年十何年ぶりに訪れたらその崖にはりつくようにマンションや集合住宅が建っていてずいぶん雰囲気が変わっていた。あの頃たぬきが出たので注意してくださいという看板が出てたけど、もうたぬきもいなくなったんだろうなぁ。ちなみに「注意してください」というのはたぬきに化かされないように注意しろということじゃなくて、たぬきを驚かせないように、あるいは車がぶつからないように注意しろという意味。

坂道と言っても結構急な坂道が多くて中には階段になっている場所もあった。最初にアパートを紹介してくれた不動産屋さんが駅までの最短コースを紹介しますって言って車で走って行った。そして距離計を示して「徒歩16分です」。どうやら不動産屋の広告で徒歩○分というのは実際にかかる時間じゃなくて距離を分に換算するルールがあるみたい。実際そのコースは急峻な坂があるので徒歩16分なんて無理無理。

でも当時は新婚で結構貧乏な暮らしをしていたから、土日は夫婦手をとり、坂を上って物価の安い元住吉まで買出しに行ったのさ。それも新婚時代の楽しい思い出。


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4月5日に投稿したブログで僕らの時代のアイドルが母親役を演じることについて書いた。誰か触れるべき人で触れていないなぁと思っていて、今日気が付いた。ちゅらさんのお母さんを演じた“スーちゃん”、田中好子さんだ。当時のスーちゃんが国仲涼子の母親というのも年齢的にアンバランスを感じたが、母親役はよくはまっていた。以降、すーちゃんは落ち着きのある日本の母親イメージが定着したみたい。

NHKは比較的えっ(  ゚ ▽ ゚ ;)ていう配役で母親役を持ってくるものらしい。朝連だけを見てもランちゃん(こころ)、森昌子さん(どんど晴れ)、和久井映見さん(ちりとてちん)とちょっとまだ早いんじゃない的な配役をしている。前にも書いた童顔の酒井法子さんが高校生の母親役というのも違和感あったが、同様に童顔でおなじみの太田裕美さんが成人女性の母親役というのは驚いた(さくら)

もっとも現実の世の中で高校生や二十歳の子を持つ年頃にこれらかつてのアイドルたちが達したのだといえばそれだけのこと。2,3年前にランちゃんが笑っていいともに出た時、タモリさんがキャンディーズのことを紹介しても会場に集まったOLたちは現実的には知らないような感じだった。

キャンディーズが解散した日は高校の入学式で東京には行けなかった。
あれからもう30年以上経ったんだ。
そう高校生や20代の人たちの子を持つ親の世代が青春と呼ばれた頃のアイドル、今の世代が知らなくて当然のことなんだけどね。

おじさんたちにはショックなんだよ。
あの日、後楽園球場から花火の中、空に向かって飛びたった3羽の鳩は、もう本当に戻っては来ないのだ。

「田中好子さん死去=元キャンディーズ」

http://www.jiji.com/jc/c?g=soc&k=2011042101025

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