第16話「モスクワ決戦」
モスクワ中心部。雪がしんしんと降り積もり、赤の広場のライトアップが夜空を照らしていた。
しかし、華やかな光景の裏で、冷たい暗闇が牙を剥こうとしていた。
アレックスが示した赤く点滅するビルは、表向きは大手銀行のデータセンター。だが内部は、マフィアとFSBの影が交錯する秘密の作戦拠点となっていた。
「……ここで“Ghost”が拡散される」
マヤは深く息を吐き、血のにじむ脇腹を押さえながら銃を確かめる。セルゲイがその横顔を見て低く囁いた。
「お前が立っていられるのは奇跡だ。最後まで持つのか?」
「持たせるわ」
「……なら俺も覚悟を決める」
アレックスがラップトップを背負い直し、苦笑する。
「僕は撃ち合いは無理だからね。システムに潜って“Ghost”を止める。それが役目だ」
三人は雪に覆われた裏口からビルに潜入した。
暗い廊下に足音だけが響く。だが、すぐに赤いレーザーが横切り、警報が点滅。
「待ってたぞ」
冷たい声がスピーカーから響いた。
黒幕が姿を現した。長身の男、ロシア語訛りの英語で告げる。
「逃げられると思ったか?“借り”は返してもらうぞ、マヤ」
マヤの瞳がわずかに揺れる。かつて彼女がスパイ時代に犯した過ち――それが今、敵の手札になっていた。
「……まだそれを持ち出すの?」
「人は過去からは逃げられん」
一斉に銃撃が始まった。
セルゲイが前に出て遮蔽物に身を隠し、正確な射撃で敵兵を倒す。マヤも脇腹を押さえながら必死に援護射撃。
火花が散り、硝煙の匂いが充満する。
その間にアレックスがサーバールームへ突入。
「時間を稼げ!ファイアウォールが三重に張られてる!」
「急げ!」セルゲイが怒鳴る。
黒幕は冷笑を浮かべ、サイレンサー付きの銃を構えてマヤに近づいた。
「お前は俺の舞台装置の一部に過ぎん。死ぬことで完全な物語が完成する」
だがマヤは、最後の力を振り絞って至近距離で発砲。弾丸は黒幕の腕をかすめ、銃を弾き飛ばす。
「私は……操り人形じゃない!」
セルゲイが突撃し、黒幕と激しい肉弾戦に突入した。
床を転げ回り、殴打と蹴りが交錯する。
「プーチンの犬め!」セルゲイが唸る。
「違う、俺は未来の主人だ!」黒幕が叫び返す。
その時、アレックスの声が響いた。
「あと10秒でGhostを止められる!――でも電源を落とすには手動で遮断スイッチを押す必要がある!」
マヤは立ち上がろうとするが、傷が開き、血が滴る。
セルゲイが振り返り、決断した。
「マヤ、ここは俺が行く!」
彼は黒幕を蹴り飛ばし、サーバーの奥へ走った。
マヤはその場に残り、黒幕と向かい合う。銃はもうない。
「終わりにしましょう」
二人の影が、赤い警告灯の中で交錯した。
アレックスのカウントダウン――「3、2、1!」
セルゲイがスイッチを叩きつける。
轟音と共に電源が落ち、部屋が闇に包まれた。
黒幕の叫びが暗闇に響く。
「貴様ら……全てを台無しに……!」
直後、銃声が一発。
静寂。
やがて非常灯が灯り、立っていたのは――マヤだった。
彼女の手には煙を吐く拳銃。足元には黒幕が崩れ落ちていた。
セルゲイが戻り、彼女を支えた。
「終わった……のか?」
「ええ……でも、まだ始まりに過ぎないわ」
雪の夜、三人は静かにビルを後にした。
“Ghost”の脅威は止められた。だが背後に潜む巨大な闇――それはまだ健在だった。
モスクワを離れた数日後。
アレックス、マヤ、セルゲイの三人はヨーロッパ某所の安全ハウスに身を潜めていた。
外の街はクリスマスのイルミネーションに彩られ、人々の笑い声が響く。だが、部屋の空気は重く静かだった。
アレックスはノートPCの画面を閉じ、深く息をついた。
「“Ghost”のコードは完全に削除した。少なくとも、同じ攻撃はもうできないはずだ」
セルゲイがグラスを傾ける。
「だが黒幕を倒しても、奴の背後にいる巨大な組織は残ったままだ。氷山の一角に過ぎない」
マヤは包帯で覆われた脇腹を押さえながら、窓の外の雪を見つめる。
「私の過去は……もう消せない。でも、これで償いの一歩を踏み出せた気がする」
セルゲイが黙って頷く。
その時、アレックスの携帯が震えた。
差出人不明のメッセージ。
ただ一言――
「Игра только начинается(ゲームは始まったばかりだ)」
三人は互いに視線を交わす。
外では花火が打ち上がり、夜空を鮮やかに照らした。
だが、その光の下で、さらに深い闇が彼らを待ち構えていることを、全員が感じていた。
物語は終わった。
だが戦いは――これからだ。