気持ちは早まるが足がついて来ない。

木の杖にしがみつきながら、チャイニーズの若者たちの脇を抜けていく。

そして…、ようやく~ようやく『ラバン・ラタ』に辿り着いたのである。

崩れるように玄関口に座り込んでしまった私を見て、ダリンシンは代わりに部屋の鍵を受け取って来てくれた。

何とか部屋まで行き、鍵を開ける。~かなり粗末な二段ベッドが2組置いてあった。もちろん、シャワー&トイレは共同である。

そんな部屋でも…、『天国』に見えた。

私は他に何もする体力も気力もなく、ベッドに倒れ込み、死んだように眠りに落ちた。

こうして、キナバル登山~地獄のような第一日目は終わったのである。
木組みのベンチから少し進んだところに、展望台が見えた。

そこに何人かの人影が…。

そのめっちゃ明るい笑い声は幻聴でもあの世のものでもなく、展望台ではしゃいでいたチャイニーズたちの声であった。

くそーっ。

彼らと自分の“体の状態”と“テンション”の大きな違いは何なんだ…。

そう嘆いた時、ダリンシンが見晴台の向こうを指差す。

幻覚ではなく、その指の先には、確かに大きな建物が見えた。

その建物こそが、頂上アタックの拠点となる『ラバン・ラタ』の山小屋だった。

虚ろな意識の中で、とりあえず辿り着くことをひたすら念じ続けていた場所だったのである。
彼女は、4月からの小学校入学を楽しみにしていた。

最初はやや緊張していたが、慣れくるに従い、次第にかわいい笑顔を向けてくれるようになる。

まだ構音が不完全で、やや聞き取りにくいこともあったが、こちらの質問に一生懸命答えてくれた。

「聞く」「話す」力はやや弱いが、目で見て理解する力は強く、手先も器用。上手に折り紙も作れた。

面談の後、クラスの友達と一緒に園で習ってる歌を~何と“手話”もつけて披露してくれた。

そうしながら、「見てくれてる?」とばかりにこちらを見つめる顔は、これまたとびっきりの笑顔だったのである。
少女から大人の女性へ~Minakoは驚くほど美しく変身していた。

それは、彼女の内面も含めて…。

さらに、壁一面に掲げられた彼女の作品群が目に飛び込んできて…まさに全身の鳥肌が立った。

ミクストメディアという手法で描かれたというそれらの作品は、私の視線をくぎ付けにし~17年前のフォルテシモが一瞬にして呼び覚まされ、改めて深い感動と感激が心に広がっていったのである。

そう、Minakoが描いていた絵画のモチーフは、一心にキナバルの勇壮(父性)と包容(母性)を表現しようとしている~あの時代の仲間たちだった。
“Pitcher Plant”との感動の出会いではあったが、いくら感動しても…体はラクにならなかった。

ウツボカズラポイントを再出発するも、体を起こすことができず、顔さえ上げられない。

木の枝が落ちているを見つけた。サイズがでか過ぎて、無論カーボンファイバーの杖にははるか及ばないが、その枝に寄り掛かりながら歩く。

その頃、最早、10歩進んでは立ち止まる状態であった。

それでも、はるか遠くに見上げていたキナバル頂上付近の岩肌は、~ほんのわずかずつであるが…確実に近づいている。

それから、どのくらいの時間がたっただろうか。気がつけば、粗末な木組みのベンチに倒れ込んでいた。

そして、その時~確かに遠くの方から、底抜けに明るい笑い声が聞こえたのだ。

これがいわゆる“幻聴”なのか。はたまた、ここはすでに天使の笑いに包まれた世界なのか…。
「お元気ですか?マレーシアでの生徒だったMinakoです。今回、あの時の日々を胸に込めた作品でもあるので、案内を送りました。もしこちらに来ることがあれば、ぜひいらして下さい。」

共に『キナバル』の感動を分かち合ったJSKL25年目の“あの時の日々”から~実に17年の年月を経て、その案内状は突然届いた。

絵画展の案内であった。

場所は、東京青山のギャラリー。

そう、何と彼女はそんな場所で個展を開くほどの絵画アーティストになっていたのだ。

奇しくも、彼女はちょうどあの時代の私の年齢に達していた。

その遠さなんて、最早なんの障壁にもならなかった。

25年から~さらに17年の時を超え…私はすぐさま有休をとって、“のぞみ”に飛び乗った。

めざすは、無論、東京~青山。
『どうにでも なれと豚まん 2個食べる』

次年度に向けてのPやTとの話し合いが佳境。次々と激しい思いに直撃され、体も心も重たくなってくる。

どうも自分の処理能力メモリは小さくて、どんどん余裕がなくなっていくなぁ。

そんな中、別世界のような新聞の川柳に少し和まされました。

忙しいのは仕方がないけど…、同僚K氏の言葉のように、「努めて力を入れ過ぎず、ゆっくりやっていく」べし。
先週は1回トバしてしまったけど、昨夜は体調不良ながらもSIMON English LESSONに参加。

毎回、ひとつでも覚えていこうと思うのだが、いつも思うだけで、全て忘れてしまうあせる

そこで、“ブログに書いて覚えていこう”作戦開始。

昨夜サイモン先生が異議を唱えたのが、よく日本人が使う「so so」ってフレーズ。

私達は「まぁまぁ」とか「そこそこ」と言いたい時“so so”を使ってしまう。

そのことに、サイモン先生はobjection。ネイティブは(少なくともオーストラリアやニュージーランドでは)「そんな英語は使わない」とのこと。

では、その『Native English』とは~

“It's OK, not bad.”
例えば、何人かのグループで飲みに行き、一人一人のグラスビールでは少な過ぎてまどろっこしい時、“a pitcher of beer”を頼めばいいことをマレーシアに来てから覚えた。

Periuk(杯)Kera(猿)とは、英語でpitcher plant~日本名ウツボカズラ。まさに、ビールがなみなみと入ったpitcher型の杯を持つ食虫植物だ。

図鑑やテレビでしか見たことがなかったその実物が、今目の前にある。しかも…でかいっビックリマーク

ぽっかりと開いた口の直径は、15センチくらいはあるだろうか。そんなウツボカズラが、辺り一面に群生していたのである。

しみじみと観察してみる。

その杯の中には、水が溜まっていた。それを猿の飲み水に見立ててマレー名がつけられたようだが、実際はこの水には消化液が混ざってたりするので、とても飲めたものではないらしい。

実は、ここボルネオ~ウツボカズラでは結構有名とのこと。何と(今のところ)36種類のウツボカズラが見つかっているそうだ。

ウツボカズラに“種類”があることすら知らなかったが、目前にあるそれは、確かにテレビで見たものよりかなりでかいように思う。

後で知ったことだが、この時ダリンシンが見せてくれたウツボカズラは、特にキナバル山でよく見られる『オオウツボカズラ』という種類だった。かなりの希少価値があるようで、このオオウツボカズラを目当てにキナバルに来ている人も多いとのこと。

このオオウツボカズラは、かなり高度が高い(肥沃な土が乏しい)岩場でも生息できるらしい。では、その栄養分をどこから得ているのか。

~それこそが、(未だに信じられないことながら…)“捕獲した虫”からなのだ。
もう何時間歩いただろうか…。

ついに目も霞んできて、所々に掲げてある“Anda bewak disini”(You are here)の表示板もよく見えなくなってきた。

そんな時、ふと見上げると…、ボンヤリと頂上付近(だと思われる)岩肌が姿を見せていた。

「そろそろ半分は超えたのか…」

ここまで来ると、休憩所が『天国』のように思えてくる。疲れた体を横たえていると、かわいいリスが見え隠れしていた。

しかし、そのことを楽しむ心の余裕はない。そこに留まるわけにもいかなかった。

体を引きずるように再び歩き始めると、それまで何の存在感もなかったダリンシンが、突然その行く手を遮り、コース外の茂みへと手招きした。

「こんなに疲れ果ててる時に、何事やねん」~少しの苛立ちと不安を感じながら、仕方なく彼についていく。

ほんの5分ばかり進んだ場所で、彼は急に立ち止まり、「Periuk Kera(猿の杯)」と大声を出して指さした。

その指の先に目をやった瞬間、私はあれほど疲れていたことを忘れ、感嘆の声を上げてしまった。

そこには、日本の山では有り得ない『猿の杯』が~群生していたのである。