そんな限界状況で苦しみもがいている様子を…やや距離を置きながら、冷静に観察している奴がいた。

登山ガイドの『ダリンシン』だ。

死にそうになっている私とは対照的に、彼が疲れているような感じは微塵もなかった。

その登っている姿は飄々としていて、何と両手をポケットに突っ込みながら歩いていることが多かった。

「Saya berumur empat puluh dua」。

~彼の年齢を聞いて~さらにビックリ。彼は、なんと42歳。私より14歳も上だったのである。

しかも…、すでに4人の子どもの父であり、一番上の息子は18才。父と同じくガイドの仕事をしているとのことだった。

自身のガイドキャリアはまだ4年という極めて無愛想なダリンシンが、このキナバル登山の重要なキーパーソンになること等この時は全く思ってもみなかったのである。
その教室のドアを開けたとたん~全ての見学者は固唾を飲んだ。

薄暗い影の中、全ての光の筋はその空間の中央に向かっている。

ひときわ明るく照らし出されていた大きな光の中に、『キナバル山』はあった。

今にもひとつひとつの命が動き出しそうなほど~生き生きとした姿。

その躍動感溢れるSCENEは、まさしく25年の時を超え、次世代へそのバトンを繋ごうとしている彼ら彼女らの『ff』時代そのものであった。

それを達成した私達は、とてつもなく大きな達成感を分かち合う。

JSKL25年目の同じ時に日本から遠く離れた同じ場所で、同じ学年の仲間として奇跡的に出会い、一緒に力と心を合わせた~かけがえのないメンバーであった。

そして、その感動の輪の中に…Minakoもいたのである。

さらに…こだわったものがあった。

それは~『lighting』。

照明によって、対象の見え方は大きな影響を受ける。~そのことがわかってから、あらゆるパターンを試していった。

試行錯誤の結果、備え付けてある天井の電気は消し、教室の四隅から『キナバル山』に向けてやや弱めのスポットライトを当てることにした。

最後の土日もそれらの作業に費やし、全てのセッティングが完成したのは、学習発表会スタート直前。

そして…、いよいよ私達の『ff』を披露するその時がやってきた。




一体ずつの繋ぎの調整を終え、絵の具での着色、ニス塗りを経て、ようやく組体操部分が完成。

“マレーシア国旗”“日の丸”等、その上にはためく万国旗作成という細かな作業も終了。

後は、この“キナバル山”という作品をいかに見せるかということだった。

この部分は、子どもたちの頑張りに応えるべく担任3人が担ったのだが、これがまた“the long and winding road”。

まずは、教室の中に同じ高さの机を合わせて台を作る。その上に直接作品を置くわけにはいかないので、模造紙を繋ぎ合わせたものを敷くことにした。

ここで追求したのが、その模造紙の表面をいかにマラヤ大学の芝生が敷き詰められていたグラウンドに近づけるかというリアルさ。

中学部美術担当の先生にもアドバイスをもらいながら、様々な絵の具やペンキを試し、マラヤ大学の芝生に近いものを選んで着色。その上に、芝生の間から見える細かな砂を薄~く撒いていった。

見事に出来上がったマラヤ大学のグラウンドの上に、子ども達が精魂込めて作り上げた像を、一体一体丁寧に組んで並べていく。

発砲スチロールで、型どった『キナバル山』の表示も完成。その全体を覆うように『万国旗』も設置した。
その作業は、…全く甘くなかった。

子ども達はそれぞれ組体操での自らのポジションと動作を針金で表し、紙粘土で肉付けをしていく。

しかし、この作品の場合、自分一人だけの製作ではない。難しいのは、左右前後で組んでいる相手との“繋ぎ”であった。

作っては相手と合わせ、合わなければまた崩したり修正したり~という作業が繰り返されていった。

さらに…、一体一体の“像”がほぼ出揃った頃から、放課後、それらを全部ホールに集めた。担任3人で全ての像を組み立てて、全体のバランスや細かな繋ぎができていない部分をチェックしていくのである。しかも、連日連夜…。その作業は大変な時間がかかり、ようやく一段落するのは~明け方。

マットの上で仮眠を取りながら作業を続け、翌日始業直前に家に帰ってシャワーを浴び、そのまままた出勤~という日々が続いた。

「いつまでこんなことをやるねん…」~ その作業のしんどさから、とうとう子どもの一部から不平が聞こえ出し、我々担任の疲労もどんどん溜まる一方であった。

しかし、それでも妥協はしなかった。それでもその不平やしんどさを乗り越えていった。

それを支えたのは、6月の厳しい練習を耐え抜いたという自信と25年目という節目の年に、小学部6年として最高の足跡を“キナバル山”という形に残したい~その熱い熱い思いだった。
思い返せば…その年の6月、灼熱の陽射しの下で、私達は苦しさやしんどさを感じながらも、ひとつの頂きを目指していた。それは、キナバルの山が持つ勇壮さや強さ。そしてその麓に広がる森林の優しさや豊かさ。

その姿を自らの理想とする像に重ねながら、互いに励まし合いながら練習を続けていたのである。

そして、マラヤ大学のグラウンドでその完成を成し遂げた時、私達は大きな達成感と心の成長を感じることができた。

あの時の感動と“ff”を再び形にしたい…。

その思いで、開校以来25回目の卒業生となる子ども達、そして、彼らの担任3名が一体となって…その粘土細工の製作に邁進していったのである。
“テニスシューズ”での重い足取りは続く。『足を上に上げて前に踏み出す』ということは、こんなに大変な作業やったんか…。

だんだんまっすぐ立っていられなくなってくる。手すりがよく整備されているのが、とても有り難かった。体を折り曲げて、手すりにすがりつくように進む。

休憩の回数がどんどん増えていく。今やっていることが、自分の体力の限界を超えていることが、はっきりと感じられた。

「人間ちゅうもんはなぁ、もうダメやと思った時点から、まだその倍はやれるもんや」~中学の時、鬼のような練習を重ね女子バスケ部を全国大会に連れていったFの言葉がふと脳裏に蘇る。

一体同じような道がどこまで続くのか。

休憩の回数がどんどん増えていく。極度の疲れからか…、休憩所でしばらくウトウトと眠ってしまうこともあった。

すでに、ヤバい~状況やったのである。

折しも、日本ではハウンドドッグの“ff”が大ヒットしていた。

『25年の時を超え…今ぼく達は“フォルテシモ”』~このスローガンを合言葉に、私達は最高のパフォーマンスを目指し、学習発表会に出品するための作品作りに全力で取り組んでいった。

日本のよさを言葉と書体に表した「習字」、自らの未来を見据える表情を表現した「立体彫塑」等の製作を進めていったのてある。

そして、中でも一番気合いを入れたのが、「粘土細工」の共同作品だった。

その名も~『キナバル山』




その日本からやって来たおばさまたちの装いに注意が向いたのだ。

登山用の上下服に登山用のしっかりとしたブーツを着用し、背中には『mont-bell』の登山用ザック。カーボンメタリックらしきもので作られたような伸び縮み自在なスティックを持っている人も多かった。

すなわち…、みなさんバリバリの登山専門店御用達のいでたちだったのだ。

でも、冷静に考えてみれば、そりゃそうだろう。みなさん(我々もだが)が登っているのは、(何度も言うが)4000メートルを超える東南アジア最高峰の山なのである。完全防備するのが当たり前だった。

それを改めて意識した時点で、自らのいでたちを眺めてみる。

下は、短パンの上に重ねてはいたばかりのジャージ。上はただのTシャツ一枚。背中には、いつものデイパック。そして、極めつけは~カラフルな蛍光色の紐付きテニスシューズ…。

まじまじと~本格的なおばさまたちのいでたちと自らのそれを見比べてみた。ふと見ると、おばさまたちも心配そうにこちらの(完全にテニス仕様の)装いを眺めている。…恐らく同じ気持ちだったのだろう。

~益々不安は増大していった汗
キアペンからタマンセプテにかけての25年分の思いを結集し、今の私達のパワーを最大限に表現したものをスバンの未来に託したい。

~そんな思いで、MEIJIYAでのミーティングは延々と続き、子ども達との話し合いも進められていった。

そして、ついに学習発表会に臨む小学部最高学年としてのスローガンが決定されたのである。

『25年の時を超え~今、ぼくらは“ff”(フォルテシモ)』