その瞬間、私の目ん玉が飛び出た理由とは、塔の側面に彫られたレリーフが“男女結合図”“性交像”~まぁずばり言ってしまえば、“セックス”を表現したものだったのだ。
それも…、通常の合体図というのではなく、普通ではない体位(普通ではないってどんな体位?と一応ボケ突っ込みをしておきましょう…)を描いている。
しかも、白昼堂々、誰もが見ることができる野ざらし状態で…。
ホンマ~、見れば見るほど目ん玉が戻るどころか、益々飛び出ていく。
ヒンドゥーの月の神“Chandra”の後裔と称するチャンデーラ王家は、9~13世紀頃、中部インド一帯に強大な勢力を有していた。
カジュラーホーも彼らの勢力下にあり、その時代にこれらのヒンドゥ寺院が建てられたとのこと。
では、何故に彼らは寺院の壁一面にこのような官能的な彫刻を刻んだのか?
当時のチャンデーラにおいて、密教の影響を受けたことにより、女性が神の化身であると考えられ、神の力に接するためには、“性交”が信仰にかなう行為として讃えられていた~という説らしい。
いやいやいや…、ホンマかいな。
それやったら、日本でも時々ある、スケベなおっさんが教祖と称しやりたい放題なことをしている全く怪しげな新興宗教とおんなじやん…。
チャンデーラ王家かなんかしらんけど…、ちょっと怪しいんちゃあうかぁ!
しかし、よく見ると、ひとつひとつの彫刻は、そんな私のちっぽけな妄想とはかけはなれた~かなり丁寧でバランスがとれ、精巧なものであった。
とてもじゃないけど、半端な技術や美的感覚ではここまでのものを創り上げることはできない芸術性だ。
見回るうちに、“よこしまな気持ち”が多少薄れてきて、徐々に大脳の新皮質で冷静に捉えられるようになってくる。
考えてみれば、確かにたったひとつだったはずの女性の命から、もうひとつの命が生まれてくるということは、かなり神秘的なことである。
そんなことを成しえる女性のことを敬い畏れさえ抱くというとこは、自然なことかもしれない。
その新たな命を吹き込む“性交”という行為にしても、それはそれは不思議な行為として捉えられていたのだろう。
実は、この旅で、ヒンドゥー教と性の繋がりは、かなり深いことがわかってきた。
そもそも、それぞれのヒンドゥー寺院で大切に大切に祀られている“リンガ”と呼ばれる円筒形の形をしたシンボルは、男性の性器を表しているという事実も驚きだった。
インドの人々は、命を生み出すものやその行為に畏れと敬いを抱いている。
私は、もう一度、『ミトゥナ像』と呼ばれている男女交合像を見上げてみた。
最初は、余りにも、周囲ののどかな農村の風景とのアンバランスに大きくとまどっていたが、だんだん、こういうものは隠すべきだと考えてしまった自分の“浅さ”がはずかしくなってきた。
生命を生み出す行為に対しても真摯に向き合い、それを芸術や宗教にまで昇華させてしまう~チャンデーラの人々のその“深さ”に敬意さえ抱くようになっていったのである。





