アーグラーのホテルで、インド2度目の朝を迎える。


『ヒンズータイム』という新聞に目を通してみた。


アメリカで行われているテニス大会準決勝で伊達公子がサバティーニを破った~というニュース。


そして、先日墜落したエア・インディアの詳報。その機体の残骸とともに、なんと(どう見ても)遺体だと思われる写真も掲載されている…。


今日は、初めてのインド国内便に搭乗しなければならない~もちろん、エア・インディア…。



重苦しい気持ちのまま、10:18AM~Jollyさんが段取りしてくれた“プレジャーツアー”の車でホテルを出発。


アーグラー郊外のエアポートはインド軍の管轄だということで、その敷地内に入る時、軍隊によるゲートチェックがあった。



やがて、エアーターミナルらしき場所に到着。


と、車を降りた途端、その辺りにたむろしていた人たちが…一斉に集まってきた。


何事かと思いきや~我先に私たちの『荷物』を持とうとするのである。


彼らの狙いが、そのチップにあることを悟る。


“No,no,no,no…NOT Necessary”とその手を払いのけ、やっとの思いで建物の中へ。



粗末なチェックインカウンターにて、何とかBoarding Passをゲット。


~しかし、このカウンターのおばちゃん…、PCを操作しながらではなく、紙を見ながら手続きをしてたぞ~大丈夫なんやろかぁ。


とにかく、座席の位置を確かめるべく、渡された搭乗チケットを見て…言葉を失う!


そこに一応座席NOは印刷してあったのだが、その上からゴム印で『FREE SEATING』と押されていたのである。


「え~~~~~っ!この飛行機、“自由席”なんかぁ~~~~~!」~おもいっきり日本語で叫んでしまった…。



先日のエア・インディア墜落事故、PCを使わない搭乗手続き、そして自由席…。


このままこの飛行機に乗ってええんやろか~またまた不安が募っていった。



16のブログ





その瞬間…、私は息を呑んだ。


左右の完全な線対称を形どる大理石が白く輝き~強烈に眩しい…。


さっきまで“スリ”に気をつけながら歩いてきた通りの様子が余りにも文明からかけ離れていると感じていただけに、この建築物の存在が余計に『奇跡』だと感じる。


建物の前面に広がる庭園に、縦に伸びる長方形の水路が掘られていた。


その水面を見て~さらに驚く。


そこにも、白く輝く大理石の建物が上下の線対称となって映し出されていたからである。


~完璧や…!


そう思わせるような建物が、こんなところにあったとは…。


その建築物こそが、算数の教科書で初めてその存在を知った~『タージ・マハル』。



「タージ・マハルはね、宮殿ではなくてお墓なんですよ」


「ムガル帝国の皇帝だったシャー・ジャーハンが、ムムターズ・マハルというお妃のために造ったお墓」


「二人が結婚したのは1612年~シャーが22歳、ムムターズが20歳の時で、二人の間には14人の子どもが生まれました」


「1631年にムムターズが死に、その死を悲しんだシャーが、ムガル帝国の国力を注いでこのお墓を建て始めたんです」


「もちろん、その当時は機械などありませんから全て手作り~1653年の完成までに何と…22年かかりました」


「その後、シャーはさらにタージ・マハルのそばを流れるヤムナー川の対岸に黒大理石による自らの墓を建設し、タージ・マハルと橋でつなぐことを計画していました」


「しかし、彼の権力は息子に奪われ、彼はアーグラー城に幽閉されてしまうのです」


「結局、その無茶な計画は実現せず、彼の遺体はここタージ・マハルのムムターズの横に葬られています」


「この建物に彫られている文字はすべてアラビア文字でコーランなんですよ~ムガル帝国はイスラムの国でしたからね」


「あれが見えますか~この建物の最上部に三日月が取り付けられているでしょ~あれはまさにイスラムの象徴です」


~Jollyさんからタージ・マハルにまつわる様々な物語を聞きつつ、建物内を巡る。



近づいてみても、その細部にわたる装飾や芸術性に~目を見張るばかりだった。


一体、たった一人の妃のためにこれだけのものを造らせるムガル帝国の力って、どんだけ大きかったんやろう…。


それよりも、(何度思っても)1600年代半ばの時代にここまでのものを作り出すだけの技術や芸術の力があった~その事実に改めて驚嘆する…。


ただ、その技術者や芸術家たちの陰には、奴隷の如く働かされた数えきれないほどの一般労働者がいたことも想像がついた。


この難工事を成し遂げるまでの22年間に、一体どれほどの命が失われたであろうか…。



私は、これまた立派な大理石の棺の中で眠っていたシャーとムムターズではなく、ここまでの完璧さを求められたがゆえに犠牲となってしまったであろう人々へ~思いを巡らすばかりであった…。



16のブログ

人間~危機に直面した時にこそ、その本当の大きさが現れてくる…と思っていた。



例えば、ある職場。


次々と想定外の事故や事件が発生し、対処していかなければならないことが多かった。


事案の重大性が大きければ大きいほどトップに近い上司が仕切るのだが…、その姿を見てて人物がよ~くわかる。


大きい人ほど、事態を冷静に受け止め、~焦らず動じず的確に判断し、なるほどと思えるような指示を出していく。


逆に、小さい人ほど、焦りうろたえ声を張り上げバタバタし、指示も途中で変化しまくって、下の者が右往左往する。


私もそんな様々な姿からあるべき姿を学び、少々の事案であれば腹を据えて受け止め、少しはいい方向へ事態が進むように判断できるようになってきたかな~と勝手に考えていた。


が、…それは大きな思い違いであった。全く、自信過剰もはなはだしい。



思い出すのは、私が勉強を続けてきた特別支援教育の中の『障害受容』の研修を受けた時の内容。


“受容に至るまでの五段階説”というものを、スイス出身のキューブラー・ロスという精神科医が唱えていると教えてもらった。


受け入れがたい事態に直面した時、人はまずは『否認』し、それが事実だと知ると『怒り』、それから何とか逃れる方法はないものかと『取引』を考え、それも無理だと悟ると『抑うつ』状態となる。


そういう段階を経て、やっと最後に事態を『受容』するに至る~と。


この時は、障害がある子どもの親の心理として説明を受けたが、元々、キューブラー・ロスは“死”に直面した人の心理としてこの説を唱えたらしい。



さて、自分はどうだろう…。


~まだまだ、『受容』には至ってないなぁ。


さすがに、もう『否認』はできないけど、『怒り』(というよりも愚痴)はまだ言いたくなるし、何とか道はないものかと必死で『取引』を探っていたり、無気力な『抑うつ』状態に陥る時間も多い。



結局…、(はずかしながら)自分の小ささを思い知らされている(-_-;)

その建築物をはっきりと意識したのは、確か『算数』教科書の見開きのページに掲載されていた写真だった。


そのページでは、「対称」を説明するためにこの建物の写真が使われていた。


なるほど~完璧なまでに“symmetry”である。


写真ごときに心を動かされることはめったにないのだが、この時ばかりは、その美しさに…しばし見とれた。


そして、(自分の無知さにあきれるのだが)その時、私は、このあまりにも有名な建物の名前すら知らなかったのだ。


後日、その建物が1653年に完成したものであることを知る。しかも、その場所がインドであることがわかり、さらに驚く!


その頃、日本は江戸時代真っ只中である。


もちろん、その時代、日本でも「城郭」「神社」「仏閣」等、数々の優れた建物が建築されたであろうが、それでも、この建物とは比べ物にならないような気がした。



一枚の写真に心を動かされてから、すでに十数年が経過した頃…。



16:30~やっとアーグラー着。


しかし、ここで出会えるはずのトップトラベルのガイドを探しているうちにさらに時間は経ち、17:00を過ぎてしまう。


やっとのことで、Jollyさんという男性ガイドと出会う。


“スィカンドラーでの一件”があったので、やや構えていたのだが、Jollyさんはとても穏やかで優しそうな感じだった。


「くれぐれもスリに気を付けて」と注意を受けながら、一緒にその建物をめざす。


人口100万人だというアーグラーの街の路上は、まさに人々が動物と一体となって暮らしている『生活道路』そのものだった。


~そして、ほどなく高い壁に囲まれたその建物の入り口に到着。


心配していたが、こんな遅い時間でも入れるようだ。




いよいよ、あの時、一枚の写真に写っていた“対称建築物”の『本物』を目にする~その瞬間が近づいてきた…。



16のブログ

誰でも~病気なれば、やはり『治る』ことをめざすだろう。


そのために、薬を服用したり病院にも行く。


病院でドクターに望むことはただひとつ~病気を『根治』させてもらうことである。


県内、滋賀、金沢、そして大阪…。


この一ヶ月…仕事まで休んで、あちらこちらへと走り回った。


それは、何とか病気を根治させる可能性はないのか~という道を探してのことだった。


そして、最後の大阪にてその答えは出た。


標準治療での根治は~ほぼ不可能…。


まだまだ奇跡を信じてくれる人もいたり、(無論)自分の中でもそのことを信じる気持ちは持ち続けたいが、一方で、冷静さを求められる新たな局面に入ったことは確かだ。


とりあえず、治療については明日から準備に入る方法に集中していくことと、(エビデンスのないことに惑わされることなく)その先の方法も考えていくこと。


そして、治療や体調の推移を見極めながら、年明けからの時間を(仕事も含めて)どう過ごすべきかを考えること。


~またまた神様から大きな宿題を課せられた…。

アーグラーの手前でドライバーが連れて行ってくれたところは、『スィカンドラー』という1613年にその息子の手によって建てられたというアクバル帝の廟であった。


その正門に向かおうとしていた時、見知らぬ男が近寄ってきて、この建物の説明を始めた。


「親切な人やなぁ~」「もしかしたらグプタさんの手配により、アーグラーでトップトラベルのガイドと待ち合わせをすることになっていたので、そのガイドが気を回してここに来てくれたのかなぁ~」


…くらいに思ってしまう。


インド訛りの英語なので聞き取りが難しかったのだが、一生懸命話をしてくれるので、聞いているふりをしながら一緒に建物の中へ…。


門をくぐると、それまでの喧騒から一転して静かな雰囲気。赤茶けた色に染められた回廊が印象的であった。中庭もよく整備されていて、アクバル帝という王を祀るにふさわしい環境である。


でも、本日のメインは何と言ってもアーグラー。どんどん時間も過ぎているので、急いで外で待っててくれたドライバーのところに戻り、タクシーに乗り込もうとした。


と、その時~、なぜか最後までついて来ていた男が突然焦りだし、“Give me charge!”と大声を張り上げた。


ここで、私はやっと事態を飲み込む。彼の親切心は~他ならぬ『金目当て』だったのだ。


インドでは、観光客に近寄り、親切気に説明を行うことでチップを稼いでいる奴がたくさんいる~インドを旅する上ではわかっとかなければいけない必須事項らしいが、こんな基本的なことでさえ私はリサーチできていなかった…。


まぁ、今考えると、時間をとってあれだけ一生懸命説明してくれたのだから、少しくらいチップを渡してやればよかったのかもしれないとも思う。しかし、その時の私は、日本人感覚ではありえないこと~という思いから…


“NO~~~”と強く伝え、そのままタクシーに乗り込もうとした。


男は、こいつに言ってもあかんと思ったのか、タクシードライバーに向かって怒鳴り始めた。


ここで、ドライバーが彼ら(インド側)につていたら、どうなっていたかわからない。


しかし、ドライバーはこちら側についてくれて、かなり言い返してくれた。


ここから、益々険悪になっていく。男は、近くにいた仲間に声をかけてドライバーを取り囲んだ。今にも殴り合いになりそうである。


ドライバーもやばいと思ったのか、隙を見てタクシーに乗り込む。車を動かそうとすると、彼らは窓から頭を突っ込んできた。


それでも、タクシーは動くので、とうとう男たちはあきらめた。


最後に、私の方を向いて、「気をつけろ~このドライバーを信用するな!」との捨て台詞。


アクバル帝廟のスィカンドラーの門前で、まさかこのようなことが起ころうとは…。


タクシーのシート上でぐったりとしながら、やけに男の「信用するな!」という言葉が脳の中で反芻されていた。


思い返せば、いきなりの空港からの悪徳タクシーやったしなぁ。さっきの男が言った「このドライバーを信用するな」というのも、もしかして…。さらに言えば、あの時は神に見えたグプタさんも大丈夫なんやろか…。


ここでは、一体誰を信じればええんや~。


不安と不信が、再び増幅していった…。



16のブログ

ランチタイム~わずか30分で、再びタクシーに乗車。


そして、引き続き、『Unbelievable~Indian Street ATRACTION』 is going on~




~藁で作った家…


~あれっ、れっきとした男性大人二人連れがいるけど、なんかおかしいぞぉ~おいおい二人仲良く手をつないでいるやんけ…???


~(何度見直しても)確かにピンク色をした牛…


~道路上で牛追いをしている子ども…


~その神の使いが、道路の真ん中で堂々とおしっこをしている姿…


~道路上で動かなくなり、そのままの場所で修理をしている車…


~そればかりか、道路上で事故ったままほったらかしにされている車…


~道にできた水たまりの水を使って、サイクルリクシャー(後ろの荷台を2人掛けの座席にした自転車)のタイヤを洗うおっちゃん…


~いきなり道端でパンツを下ろし用を足す子ども…


~子どもだけでなく、おっちゃんもおしっこを…



よく見ると、道路上にはたくさんの動物のフンが散らばっていて、そのにおいが立ち込めていた。


ここで、私はやっと気がついた。


インドの道路とは、単なる通行のための場所だけではないのだ。ヒトも含めた、まさに動物たちの大切な生活の場~本当の意味での『生活道路』であったのだ!



再びタクシーが止まり、ドライバーが降りるように促す。


やっとアーグラーへ到着か~と思いきや…、そこにめざす建物はない。


しかし、すぐそこに細かな模様を彫りこんだ大理石で造られた豪華な門らしきものが見えた。


ここも有名な建築物なんだろう~と、タクシーを降りて門に向かう。


~と、ここで思いもかけぬ“事件”勃発!!!



16のブログ

『サリー』は、元々サンスクリット語の「細長い布」という意味らしい。


その意味の通り~5メートルに及ぶ布を、まずは腰に巻き、残りの部分を肩に回すという着衣方法が一般的であるとのこと。


マレーシアでも、インド系の女性たちはサリーを身に着けていることが多かった。


私の英語の先生だった“Shandy”というインド系の女性が、自らの結婚式に招待してくれたことがあったが、それはそれは豪華で煌びやかなサリーであった。


民族衣装であるという意味合いがあるので、インドの女性たちは、(日本における『着物』のように)特に冠婚葬祭等特別な時にこそ着る衣装なんだろう~という勝手なイメージを抱いていたのである。



~さて、ニューデリーからアーグラーへ向かう途中に立ち寄った食堂の近くで、土方仕事をしている人たちがいた。


道路に積まれた瓦礫を片付けているのだろうか。


相変わらず雨は降り続いていて、その中での作業はかなりつらそうだった。


その作業を行っている集団に、一人の女性が近づいてくる。


彼女も、赤と黄色のサリーを身に着けていた。


この工事の依頼者か男性労働者に食べ物か何かを運ぶ役の人かなぁ~と思いながら、周囲の殺風景な景色の中でひときわその明るい色彩が目立つサリー姿の女性を眺めていた。


が、次の瞬間、その女性は私の予想に反した行動をとる。


手にしていた平たい籠の中に瓦礫を入れ、男性労働者に交じって運び始めたのだ。


なんと…彼女も、この雨の中、厳しい土方仕事に従事する労働者の一人だったのである。


もちろん、傘もさしていないし、カッパも着ていない。


ずぶぬれになったサリーをまとい、籠いっぱいに瓦礫を入れ、その籠を頭上に乗せて運んでいく。


その表情は、苦しみに歪んでいるように見えた。


一体、彼女はこの仕事をしなければいけないのだろうか。“貧困”ゆえなのか、“カースト”ゆえなのか…様々な想像が頭を駆け巡る。


そして、一体、彼女は“サリーを着て”このつらい作業をしなければならないのだろうか。「インドの女性は仕事の時サリーを着なければいけないんですよ」~グプタさんの言葉が蘇る。



~今、目の前で瓦礫を運び続ける女性の鮮やかなサリーとShandyのサリーが、雨のしずくの中で~オーバーラップした…。



16のブログ

人間~未来が開けているからこそ、エネルギーを高めたり挑戦しようとする意欲が湧いてくるのだろうか…。


今の自分を見つめて~そう思う。


こういう事態になってしまうと、まず~『テレビを見ない』『本も読まない』『新聞も気合を入れて読まない』…体たらくだ。


この9月までは、何とか頑張っていた~『ギター練習』『英語の勉強』も、今のところ、一切手をつけなくなってしまった(まぁ、その学びの場に行くどころではなくなってしまったということもあるんですが…)。


依然メールで担当とやりとりしたり、週末の遅い時間にこっそり職場へ行ってはいるものの…気になって仕方がなかった自らの仕事のことも、だんだん「任せればいいかぁ」~と薄れてきた。


そもそも、“頑張ろう”としていた気持ちはその程度のものだったのか?それとも、未来があるからこそ、モチベーションをキープできていたのだろうか…。


でも、その『未来』とは、一体どのくらいまで先のことを指すねん。


一日一日がとても貴重に思える日々のうち、治療等に費やす時間を除いた“My Life”をどう過ごすべきか…これが今の大きなテーマである。


現状は、得体の知れない不安の中で~まだまだ鬱々と過ごしていることが多いかなぁ。


ただひとつ、この『ブログ記事作成』には取り組めているので、それは自分の気持ちを前に向かせてくれている有難い存在だ。


まぁ、今はそんなに焦らず~まずは、ゆったりとした時間の中で、心地よさや幸せを感じる時間を見つけていこうと思う。


少ないながらも、ここ最近でそう思えた時間とは~


~ブログでいい記事が書けたなぁと自己満足しているとき…


~カフェで、おいしいコーヒーとパンをいただいたとき…


~人の温かいハートを感じたとき…


~ウォーキングをした後、熱いお風呂にゆっくりとつかりくつろげたとき…


~食欲がいまいち乏しい中、食事をおいしく食べられたとき…


~家族とゆっくりと話ができたとき…


もっともっと増やしてもいきたいが、とりあえず~こんな時間を大切にしていこう!

(しつこいようだが)マレーシアは、マレー半島の西マレーシアとボルネオ島北部の東マレーシアの2つの部分から成る。


行政的に言えば、13の州と連邦特別区である首都クアラルンプール及びラブアン島に分けられるのである。


その中で、東マレーシアに位置するのは、『サラワク州』『サバ州』そして『ラブアン島』(と、一応もう一度学習しておこう)。


いやいやラブアン島って何やねん?そこはながさへんで~というつっこみはごもっとも…。実は、KLからコタキナバルへのフライトは、このラブアン島経由だった。


その時は、名前すら知らなかったのだが、ここはサラワク州とサバ州の境界線上に浮かぶ免税特区の島なのだ(と、地球の歩き方に書いてあったということです…)。


さて…、強烈な体験と様々な思索を深く胸に刻みながら、私は、ボルネオ島の東側にあるサバ州の州都「コタキナバル」そして「サンダカン」を後にして、再び機上人となった。


次にめざすは、ボルネオ島の西側、ほとんどインドネシアとの国境沿いにあるサラワク州の州都「クチン」。


ここを訪れる目的はただひとつ。


~ボルネオには、未だに『人の首を狩る種族』がいる(らしい)!


マレーシアに赴任しKLでの生活も結構慣れてきた頃に聞いた~この衝撃的な噂の真偽を確かめることだ。


そんなとんでもない野望を抱き、私はクチン空港へと降り立った。


もう時間が遅かったため、その日はサラワク川河口に面した“Kuching Hilton International”に一泊し、翌日からのミッションに備える。


そして、いよいよその日はやってきて…、まさに気分は~Tom Cruise!



16のブログ